第56話「夏の光と、言えなかった言葉」
六月。
湿った風が校舎を抜け、制服は衣更えを迎えた。
ブレザーが消えただけで、
教室の空気は一気に軽くなる。
男子はワイシャツ一枚。
女子は夏服のブラウス姿。
──そして、男子の妄想は爆発した。
「やばい、夏服ってこんな破壊力あったっけ」
「白石さんの夏服、なんか……すごい」
「語彙力死んでるぞ」
「いや、あれはもう……なんか……」
「お前ら落ち着け、理性を保て」
「無理だ、夏は男子の敵だ」
陽斗も例外ではなかった。
(白石さん……
夏服だと……
なんか……
可愛い…
いや、落ち着け僕……
落ち着け……
でも……
ドキドキする…)
クラス全体が、
夏休みを待ち焦がれていた。
──そのときだった。
「えー……残念だが連絡があります」
担任の佐伯先生が、
いつになく真面目な声で言った。
「白石は……
一学期の終了をもって、
転校することになりました」
教室が凍りついた。
「……え?」
「転校……?」
「マジで……?」
陽斗の頭は真っ白になった。
(……終わる……
夏休みが来たら……
白石さんと過ごす日々が……
全部……
終わる……)
透子は、
いつもと変わらない表情で座っていた。
淡々と、受け入れているように見えた。
(なんで……
なんでそんな顔できるんだよ……
僕は……
全然……
受け入れられないのに……)
──放課後。
陽斗は居ても立ってもいられず、
透子の家へ向かった。
インターホンを押す手が震えていた。
「……相沢くん?」
ドアを開けた透子は、
いつも通りの落ち着いた顔だった。
「入って。
どうせ来ると思ってたわ」
その言葉が、
陽斗の胸をさらに締めつけた。
透子の部屋は整然としていて、
余計なものが何もなかった。
その静けさが、
陽斗の焦りを際立たせた。
「転校……本当なの……?」
透子は頷いた。
「うん。
夏には神戸に行く。
お父さんの仕事」
陽斗は言葉を失った。
(本当に……
いなくなるんだ……
白石さんが……
僕の隣から……)
透子は、
少しだけ目を伏せて言った。
「そんな顔しないで。
相沢くんが泣きそうだと……
私まで不安になる」
陽斗は、
胸の奥から何かが溢れそうになった。
(言わなきゃ……
言わなきゃ……
このままじゃ……
後悔する……)
「白石さん……
僕……
ずっと──」
その瞬間、
透子が陽斗の言葉を遮った。
「相沢くん。
その言葉は……
今は聞けない」
陽斗は息を呑んだ。
「……どうして……?」
透子は、
初めて“迷い”のある目をした。
そして──
静かに語り始めた。
「私ね……
弟がいたの」
陽斗は驚いた。
「弟……?」
透子は、
ゆっくりと、
まるで傷口をそっと開くように話した。
「小二のとき、
弟が交通事故で亡くなったの。
母は自分を責めて……
父は母を責めて……
みんな壊れちゃったの」
透子の声は淡々としていたが、
その奥に沈んだ痛みがあった。
「母は耐えられなくて家を出た。
父は……
母を責めたことを後悔して
仕事だけしか考えないようになった。
私は……
ずっと一人だった」
陽斗は胸が痛くなった。
透子は続けた。
「相沢くんは……
弟に似てるの。
だから、かまいたくなる。
放っておけない。
好きだよ。
でも──
それが“恋”か“弟のいない寂しさ”かどうかは……
正直、分からない」
陽斗の胸が締めつけられた。
(……好き……
でも……
恋かどうか分からない……
そんな……
そんな答え……
どう受け止めれば……)
透子は続けた。
「夏には神戸に行く。
しばらく離れる。
でも──
時間が経って、
それでも相沢くんのことが好きだって思ったら……
私は戻る。
相沢くんも……
会いに来て」
そのとき、
透子の目から涙がこぼれた。
「……ごめんね。
こんな言い方しかできなくて……
でも……
嘘は言いたくないの……」
陽斗は胸が熱くなった。
(白石さん……
泣いてる……
僕の前で……
初めて……)
陽斗は震える声で言った。
「……僕、待つよ。
どれだけ時間かかっても……
白石さんが……
僕のこと……
好きだって思える日が来るなら……
僕は……
ずっと待つ。
それに──
絶対、会いに行く。
神戸でもどこでも……
絶対に行くから」
透子は涙を拭き、
小さく笑った。
「……うん。
待ってる」
夕暮れの光が差し込む部屋で、
二人の影が静かに重なった。
──夏が来れば、
透子はいなくなる。
でも、
その先に続く“未来”を
二人は確かに見つめていた。
離れても、
時間が経っても、
それでも想いが残るなら──
必ず、また会える。




