第52話「色が変わる、誰も触れていないのに」
五月の空気は湿り気を帯び、
理科室の窓から差し込む光が、
机の上のガラス器具を鈍く照らしていた。
五時間目の理科。
先生が実験器具を片づけているときだった。
「……え?」
クラスの中心にいた女子──木下が、
小さく声を漏らした。
「ちょっと……見て……」
その声は震えていて、
しかし妙に静かだった。
陽斗は振り返った。
木下の手元の試験管の中で──
透明だった液体が、ゆっくりと“青”に変わっていく。
誰も触れていない。
振ってもいない。
温めてもいない。
ただ、置いてあるだけ。
「え……なにこれ……」
「さっきまで透明だったよね?」
「誰か入れた?」
ざわつきが広がる。
透子は、
その変化をじっと見つめていた。
(白石さん……
目が……
完全に“事件モード”だ……)
木下は不安そうに言った。
「ねぇ……これ……
怖いんだけど……」
先生が近づき、
試験管を覗き込んだ。
「……おかしいな。
この試薬は色が変わるはずじゃないんだが……」
その言葉で、
クラスの空気が一気に冷えた。
「え、じゃあ何で?」
「誰かイタズラ?」
「いや、触ってないよな……」
透子は静かに言った。
「先生。
この試験管、
少し預かってもいいですか?」
先生は驚いた顔をしたが、
すぐに苦笑した。
「……白石ならいいだろう。
壊すなよ」
透子は試験管を受け取り、
光に透かして観察した。
陽斗はその横顔を見ながら、
胸がざわついた。
(白石さん……
転校の噂……まだ消えてない……
でも……
こうして事件が起きると……
いつもの白石さんに戻る……
それが嬉しい……
でも……怖い……)
透子は言った。
「相沢くん。
放課後、理科室に来て」
「えっ……」
「調べるわよ。
この“色の変化”の理由を」
クラスがざわつく。
「また相沢が呼ばれた」
「美女と野獣コンビ復活」
「いや、今回は“科学者と助手”だろ」
「相沢、助手って感じする」
陽斗(……僕は……
いつから助手になったんだ……?)
透子は試験管を持ったまま、
教室を出ていった。
陽斗はその背中を見つめながら、
胸の奥がざわつくのを感じた。
(白石さん……
転校するかもしれないのに……
僕は……
こんなふうに……
事件に巻き込まれて……
嬉しいって思ってる……
最低だ……)
──放課後・理科室。
窓から差し込む夕陽が、
試験管の青色を淡く照らしていた。
透子は机にノートを広げ、
試験管を慎重に置いた。
「相沢くん。
まずは“事実”を整理するわ」
陽斗はうなずいた。
透子は淡々と話し始めた。
「① 誰も触れていないのに色が変わった
② 温度変化はない
③ 光の強さも一定
④ 木下さんの試験管“だけ”が変化した」
陽斗は息を呑んだ。
(……木下さんだけ……?
なんで……?)
透子は続けた。
「相沢くん。
この現象は──
“化学反応”では説明できないわ」
「えっ……
じゃあ……
どうやって……?」
透子は試験管を指差した。
「これは“外部要因”よ。
誰かが仕掛けたの」
陽斗は背筋が凍った。
(また……
誰かが……
クラスの誰かが……
こんなことを……?)
透子は静かに言った。
「相沢くん。
この事件……
“木下さんを狙ったもの”よ」
陽斗「木下さんを……?」
透子はうなずいた。
「そう。
“色が変わる試験管”は、
木下さんにしか起きていない。
つまり──
木下さんに向けたメッセージ」
陽斗は息を呑んだ。
(メッセージ……
誰が……
なんのために……?)
透子は試験管を光に透かし、
小さくつぶやいた。
「……この青色……
“ある物質”の特徴だわ」
「ある物質……?」
透子は陽斗の方を見た。
「相沢くん。
明日、木下さんに話を聞くわ。
この事件の鍵は──
“木下さんの過去”にある」
陽斗はごくりと喉を鳴らした。
(過去……
木下さんの……?
どういうことだ……)
透子は試験管をそっと置き、
夕陽の中で静かに言った。
「相沢くん。
この事件……
前より厄介よ」
陽斗は胸が跳ねた。
(……白石さん……
転校の噂があっても……
事件のときだけは……
僕の隣にいる……
それが嬉しい……
でも今は少し寂しい…)
──試験管の“青い謎”は、
静かに動き始めた。




