第4話「結果はチャンチャン、噂はヒソヒソ」
放課後の廊下は、昼休みとは違う静けさがあった。
部活へ向かう生徒の足音が遠くに響き、教室のざわめきも徐々に薄れていく。
「行くわよ、相沢くん」
白石透子は、昼休みと同じ落ち着いた声で言った。
陽斗は、鞄を肩にかけながら小さくうなずいた。
(……また美術室か)
怖い。
でも、気になる。
そして──透子の隣にいると、なぜか心臓が落ち着かない。
2人が廊下を歩くと、周囲の反応が自然に混ざり合った。
「うわ、また一緒に歩いてるじゃん」
「いいじゃん、もう中学だし付き合ってたって」
「ねぇ、あの2人ってさ……」
「ふーん」
30人以上の“群れ”が、それぞれのリズムで動いている。
その中を、陽斗と透子は静かに歩いた。
(やめてくれ……!)
陽斗は心の中で叫んだが、透子はまったく気にしていない様子だった。
美術室の前に着くと、透子は迷いなく扉を開けた。
「失礼します」
昼休みよりも光が弱く、室内は少し冷えていた。
机の列、石膏像、乾いた絵の具の匂い──すべてが静かに沈んでいる。
透子はすぐに机の脚を確認し始めた。
「昼休みの観察で、だいたい見当はついたわ」
「え、もう?」
「ええ。あとは確かめるだけ」
透子は机の脚を持ち上げ、床に軽く置いた。
カタ……カタ……
机が小さく揺れた。
陽斗は思わず身を縮めた。
「ひっ……!」
透子は無表情のまま、机を指で弾いた。
「相沢くん。あなたの机も同じ現象だったわ」
「お、同じ……?」
「そう。原因は──」
透子は指を一本立てた。
「“床の傾き”と“机の脚の長さの誤差”」
「……え?」
「それに加えて、湿度で木材が膨張してる。
この部屋、昼と夕方で湿度が5%以上違うのよ」
透子は壁の湿度計を指さした。
「木材は吸湿すると膨張する。
机の脚は、湿度が上がると平均で0.1〜0.2ミリ伸びるわ」
「そ、そんなに……?」
「さらに、床材も温度差で微妙に歪む。
この部屋は西日が入るから、夕方は床が少しだけ温まるの」
透子は床を指で叩いた。
「床材の線膨張係数は、木材より小さいけどゼロじゃない。
温度差で0.05ミリくらい変わることもあるわ」
陽斗はぽかんと口を開けた。
「そ、そんな細かい差で……?」
「ええ。科学は“細かい差”の積み重ねよ」
透子は机の脚を軽く弾いた。
「この机、共振周波数が低いの。
人の歩行振動でも揺れやすい構造よ」
「きょ、共振……?」
「ブランコと同じ。
一定のリズムで力が加わると、大きく揺れる」
透子は淡々と説明しながら、机の脚と床の隙間を示した。
「ここ、0.8ミリ浮いてる。
湿度で木材が膨張すると、ここが0.5ミリになる。
その差で揺れ方が変わるの」
陽斗は目を丸くした。
「す、すご……」
「怪奇現象なんて、だいたいこんなものよ」
透子は机を軽く叩いた。
カタッ。
机が短く揺れた。
「ひぃっ……!」
陽斗は飛び上がった。
透子は、じとっとした目で陽斗を見た。
「……あなた、男の癖にビビり過ぎ。カッコ悪いわ」
「ぐはっ……!」
陽斗の心にクリティカルヒットした。
(い、痛い……! 言い方が……!)
透子は悪気があるのかないのか分からない表情で、机を見つめ続けている。
(……この人、悪魔?)
昼休みの天使のような横顔とは違う。
でも、どちらが本当の彼女なのか分からない。
「じゃあ、これで調査は終わりね」
透子はノートを閉じ、満足げにうなずいた。
「え、終わり?」
「ええ。原因は分かったもの」
「そ、そうなんだ……」
陽斗は胸をなでおろした。
怖い話ではなく、ただの科学現象だった。
(よかった……)
そのとき──
ガラッ。
扉が開いた。
「君たち、また勝手に入ってるのか!」
美術の先生だった。
「ひっ……!」
陽斗は再び飛び上がった。
透子は無表情のまま、淡々と頭を下げた。
「すみません。見学の続きをしていました」
「勝手に入ったら危ないって話しただろ。ほら、出なさい」
「……はい」
透子は素直に従い、陽斗の腕を軽く引いた。
「行くわよ、相沢くん」
「は、はいっ!」
2人は美術室を追い出されるようにして廊下へ出た。
教室に戻ると、空気が一気にざわついた。
「ねぇ、さっきの……」
「また2人で美術室?」
「白石さん、誰かと行動してるの珍しくない?」
「でもさ、あの距離感……」
「ふーん、別にどうでもいいけど」
「え、何の話?」
「知らないの? さっき──」
クラスの“噂”が一斉に動き出す。
観察、無関心、冷静、茶化し──
30人以上の空気が混ざり合い、教室がざわざわと揺れた。
陽斗は顔が真っ赤になった。
「ち、違うって! ただ……その……!」
透子は無表情のまま席に座り、ノートを開いた。
「相沢くん。騒がないで」
「いや、騒いでるのは僕じゃなくて……!」
透子はふと顔を上げ、陽斗を見た。
そして──
ほんの一瞬だけ、柔らかく微笑んだ。
目が細くなり、
口元がわずかに上がり、
声よりも先に“空気”が優しくなるような微笑み。
「別にいいじゃない。
だって──仲良しでしょ?」
その瞬間、陽斗の呼吸が止まった。
胸が跳ね、耳が熱くなり、
心臓が一拍遅れて大きく鳴る。
透子はすぐに表情を戻し、淡々とノートを書き始めた。
陽斗は机に突っ伏しそうになりながら、心の中で叫んだ。
(ど、どうしたらいいんだ……!?)
天使と悪魔が同じ顔で並んでいるような、
そんな不思議な感覚だけが胸に残った。
そして、机の揺れの謎は──
科学であっさり解決されたのだった。




