第16話「囁きの正体、迷い込む音」
図書室の奥、本棚と本棚の狭い通路。
透子が「音が溜まる」と言った場所に、
陽斗は緊張で喉が乾くのを感じていた。
夕方の光は弱く、
棚の影が床に濃く落ちている。
空調の音が、時折ふっと弱まり、
また強くなる。
その揺れが、
図書室全体を“呼吸”させているようだった。
透子は棚の隙間に指を滑らせ、
木材の継ぎ目を確かめるように触れた。
「……やっぱり」
陽斗は思わず身を乗り出した。
「な、なにが?」
透子は棚の裏側を指さした。
「この棚、裏に“空洞”があるの。
普通の本棚じゃないわ。
壁と棚の間に、細い空気の通り道ができてる」
陽斗は首をかしげた。
「空気の……通り道?」
透子はうなずき、
棚の裏側に耳を近づけた。
陽斗も真似して耳を寄せる。
その瞬間──
ス……ス……
かすかな風の音が、
“囁き声”のように聞こえた。
陽斗は飛び上がった。
「ひっ……!」
透子は落ち着いた声で言った。
「空気が流れてるのよ。
空調の風が、棚の裏の空洞を通ってる」
陽斗は震える声で聞いた。
「で、でも……声みたいに聞こえるのは……?」
透子は棚の側面を軽く叩いた。
コッ……コッ……
乾いた音が返ってくる。
「この棚、木材の厚さが均一じゃないの。
薄い部分と厚い部分が混ざってる。
だから、空気の振動が“声の周波数”に近づくの」
陽斗は目を丸くした。
「そんなことで……?」
透子は淡々と続けた。
「音は“形”を変えるの。
空気の流れ、壁の反射、棚の空洞……
条件が揃えば、“人の声に似た音”が生まれる」
陽斗は背筋がぞわっとした。
透子は棚の裏に手を伸ばし、
指先で空気の流れを確かめるように動かした。
「ここ。
空気が“ねじれてる”場所があるわ」
陽斗は思わず聞き返した。
「ね、ねじれる……?」
透子は陽斗の方を見た。
その瞳は、
静かで、深くて、
“真相に触れた人間”の光を宿していた。
「空気が狭い場所を通ると、
流れが乱れて“渦”ができるの。
その渦が、声のような音を作るのよ」
陽斗は息を呑んだ。
(……そんな仕組みで?)
透子は棚の裏に手を入れ、
何かをつまみ上げた。
「これが原因の一つね」
陽斗は覗き込んだ。
透子の指先には──
細い“しおり紐”が絡まっていた。
「えっ……しおり?」
透子はうなずいた。
「棚の裏に落ちて、
空気の流れを“部分的に遮って”いたの。
これが渦を作って、声のような音を生んだのよ」
陽斗は驚きで言葉を失った。
透子はしおり紐を机に置き、
棚の裏をもう一度確かめた。
「これで、もう“声”はしないはず」
陽斗は耳を澄ませた。
……
空調の音はある。
けれど、
あの“囁き声”はもう聞こえなかった。
陽斗は思わず息を吐いた。
「す、すげぇ……」
透子は静かに言った。
「怪奇じゃないわ。
ただの“音の迷い”よ」
その声は、
図書室の静寂に溶けるように響いた。
陽斗は透子の横顔を見つめた。
光の少ない図書室で、
透子の瞳は深い影を宿していた。
陽斗は胸の奥がざわついた。
(……白石さんって、やっぱりすごい)
透子はノートを閉じ、
静かに言った。
「帰りましょう。
図書館ならではの不思議な声だったわね」
図書室の扉を閉めた瞬間、
囁き声は完全に消えた。




