5.見ず知らずの血縁者たち
その午餐会の予定が組まれたのは、婚姻式の直後だった。
今から十日以上前のことである。
だからこんな嵐の日となることを、誰も予測をして決めたわけではなかったけれど。
ゼインは起床してすぐに隠された庭園を望む窓辺に移動すると、指でガラスの曇を拭って、荒れ狂う外を眺めて笑った。
そして漏らした一言は──。
「面白い」
これである。
陽が高くなってからも雨風は一向にやむ気配を見せず、それどころか先ほどは心臓を震わすほどの大きな雷鳴までが城内にいる人々を襲った。
これは今日中に嵐がやむことを望めないかもしれない。
堅牢な城の内部まで雨音が届くことはないから、午餐会の会場は雷さえ鳴らなければ問題はないだろう。
さりとてこんな日にはどうなることやら。
城の内廊下にて会場を外から守る騎士たちは、元から先行きが気掛かりでならなかったうえに、天候に不吉な予感を覚えて、窓もない内廊下の壁を見詰めては、その向こうで荒れ狂う外の様子を想像し、せめて午餐会が終わる頃には晴れ間をと星々に願うのであった。
新たに王妃となられたあの御方が。
これ以上憂えることなど何ひとつ起きませんように──。
すっかり城内に信望者を増やしてきた王妃は、しかしその騎士らの祈りも知らず。
これまた本人は理由分からず今朝はやけにやる気に満ちた侍女たちに世話をされて準備を終えて、今はゼインの左腕に右手を添えて、微笑を浮かべながら、ゼインと共に会場に向かっているところだった。
お嫌でありましょうに。
お辛いでしょうに。
あのように笑顔を見せて。
なんと健気な御方が。
お優しい御方か。
心のお強い御方だろうか。
城内の至るところを守る騎士が、廊下で足を止めた侍女や侍従が、新王妃の動かぬ笑顔にそれぞれの想いを重ねて、ゼインとフロスティーンの行く先々で頭を下げていく。
こうしてまた、誰の思惑もなく、勝手に王妃の信望者が城内に増えていくことになるのだが。
ゼインとてこれは想定していないことで、歩みを進める間、隣の妃以外には気を止めることはなかった。
──特に何もなく、いつも通りに見えるな?
妃が緊張している様子もゼインからは見て取れない。
この段階のゼインには、着飾った妃が今日は一段と美しいことしか分からなかった。
王と王妃の歩みが止まる。
「王陛下、王妃殿下のお出ましにございます」
アウストゥール王国の紋章入りの扉が開いて、視界には廊下よりずっと明るい室内の様子が飛び込んで来た。
フロスティーンの視線が頭を下げる男女に向かう。
祖国サヘラン王国の第一王子ヘイルストーンと、第一王女グレイシアと思われた。
婚姻式では、ゼインとフロスティーンは、各国大使らの口上を順に受け取っている。
ただそれは大変に儀礼的なもので、二人は高い台の上に置かれた椅子に座って、一段と下がった場所で頭を下げて挨拶と祝辞を述べていく大使らを見守り、そして最後にゼインが礼を伝えると大使らは去っていく、その繰り返しだった。
フロスティーンの祖国サヘラン王国の大使らの登場時には、アウストゥール王国の人間だけでなく、他国の大使らも息を呑み見守っている様子が見られたが、ゼインはサヘラン王国の大使らを特別扱いしなかったため、第一王子ヘイルストーンから形式的な口上を聞いただけで、特に距離が近付くことも、長い会話が成り立つようなこともなかった。
つまりフロスティーンは、まだサヘラン王国のこの王子王女とは近い距離で顔を合わせたことがない。
これはアウストゥール王国に限る話としても異常事態であろう。
婚姻式が始まるよりずっと以前から、この男女は王城に入っていた。
様々事情はあれど、大国の王子王女であり、かつ妃の祖国から来た大使役、フロスティーンの兄王子と姉王女であることは揺らがぬ事実であって、本人たちからの面会の希望もあれば、フロスティーンはもっと早くに彼らと会って話している方が一国として自然な対応だった。
だがゼインはこれを許さなかった。
そしてこんなにも日を空けて、彼らを待たせて、やっと今日の午餐会を迎えたのである。
ただし妃はそれらすべてを知らされることなく、天上の国では当然のことなどと受け止め、この会場に来ていた。
「顔を上げてくれ」
異常事態は継続中だ。
婚姻式を終え、大使役の務めも終了と見做せる今に、フロスティーンの祖国であることを抜きにしても、大国サヘラン王国の王子王女である点だけを踏まえれば、今日はゼインたちが先に部屋に入って、歓迎の意を込め王子王女を迎え入れて良かったところ。
それをゼインはあえて先に二人をこの部屋へと案内させて待たせるようなことをした。
そのうえ自分たちが現れるときには、頭を下げるように促せとまで命じていたのだ。
虐げてきた妹王女の前、さぞや屈辱を感じ、今日こそは怒りに取り乱してくれるかと願ったゼインは、部屋に入ってすぐに素直に頭を下げて待っていた二人を見て面を食らった。
そしてここでゼインが指示した通り顔を上げた王子王女を見ては、ゼインはついに眉を上げてしまったのである。
王子も王女もゼインと初対面のときのようにすぐに言葉を発することはなかったが。
その瞳は明らかに……。
いいや彼らのペースには吞まれまいと、ゼインは冷たく告げることにする。
「改めて紹介しよう。我が王妃、フロスティーンだ」
これならどうだと挑まんばかりに、ゼインは嫌味としてそう言った。
ゼインには仕込んでいた次の一手もある。
「先日婚姻式でお初お目見えしましたが、お話をする機会がございませんでしたので、本日は改めてご挨拶させていただきます。このたびアウストゥール王国の王妃となりました、フロスティーンです」
フロスティーン自身にはまったく嫌がらせの意図はないものの、ゼインに教わった通りに挨拶をしてみせれば。
攻撃力が高過ぎたか。
すでに濡れていた男女の瞳から涙が溢れる。
滂沱のそれは、ゼインが今朝見た外の大雨を再現しているようで。
「やっと……やっと会えたね、フロスティーン。これは夢ではないかな、グレイシア」
「えぇ、えぇ、わたくしも信じられませんけれど。夢ではなく現実で、ようやく末の妹姫に会えたのですわ、お兄さま」
想定していたものとはあまりに違うその反応に、困惑していたのはゼインだけではない。
室内を守るため壁際に控える騎士も。
配膳役として控えていた侍女や侍従も。
この場の同席者として少なく選ばれたゼインの重臣たちも。
同室するどの者たちの顔にも、困惑の色は隠せていなかった。
そして──。
アウストゥール王国の新王妃といえば、笑顔を消して、その瞳をぱちぱちぱちと瞬いている。
しばらくそれは続いたが、やがてフロスティーンの視線は、隣にいるゼインへと移った。
──悪いな、フロスティーン。俺にもこの反応は想定外だ。
このときフロスティーンはひときわ長くゼインを見上げていたせいで、周囲はまた様々に勝手な想いを乗せてしまった。
王陛下と王妃殿下は心から想い合ってございます。
既に流れる噂は、今日の雨風もなんのその、さらに勢いを増してこの王城から遥か遠くまで広まっていくことだろう。
ゼインとフロスティーンがどちらからでもなく自然にそちらを見たときには、サヘラン王国の王子王女はそれぞれにハンカチを握り締め、溢れる涙を拭いているところだった。
──これで演じているならば、その無駄に高い演技力を称賛しよう。
いつ終わるか分からない時間を制して、ゼインは午餐会の参加者に着席を促した。
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