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利剣一閃アヤカシ殺し  作者: 子守家守
樹怪と黒猫
50/51

08

 水底から浮かび上がる感覚があった。明るい光の気配を感じ、溶けるように目を開く。ぼやけた視界に刹那の遅れで意識が接続する。自分の見ているものに意味を与えることで世界の輪郭が描き直される。


 すぐ目の前にサナの顔があった。黒い睫毛の震えさえ見て取れるほど近い。微かに目を細めて、こちらの顔を覗き込んでいる。柔らかな唇から漏れる吐息の音まで聞こえそうだった。


 自分が仰向けに寝転んでいると気づいた。四肢の感覚はあるが、なんとなく立ち上がるのが億劫だった。

 怠け者の思考で右腕だけを持ち上げる。伸ばした指先がサナの頬に触れた。綿のような柔らかさ。彼女の瞳が驚いたように瞬く。そのまま冷たい耳たぶに触り、黒い髪を指で梳いた。なにもかもが滑らかだ。


 もう少し近くで見たいな、と欲が出た。だから、伸ばした指を彼女のうなじに回して、引き寄せようと軽く力を込めた。

 彼女の反応は早かった。視界の外から細い指が飛んできて、とん、と私の額を突き飛ばした。反対の手がこちらの右腕をさりげなくうなじから外している。見惚れるほど鮮やかな手際だった。遠ざかる琥珀の瞳が半目になってじろりと私を見ていた。


「まったく、起き抜けになにしようってのよ」


 呆れたようにそう言ってサナは立ち上がった。天井を見上げていた私の視界から彼女が消える。慌てて上体を起こしたところに、横合いから細い筒が飛んできた。サナがなにかを放ったようだ。緩やかな放物線を描いたそれを顔の手前で掴む。金属製で五寸ほどの大きさの筒だった。


「これは?」

「水筒。それでも飲んで目を覚ましたら?」


 サナの口ぶりはどこか素っ気ない。投げ渡された筒を軽く振ってみると、確かに中から水の音がした。その音を意識して、ようやく自分の喉が乾いていることに気づいた。さっきからどうも思考と感覚が認識に追いついてきていない。

 筒を傾けて中身を口に流し込む。直後、むせそうになった。恐ろしく冷たい水だった。まるで氷のようだ。筒の外側にはその冷たさがまるで伝わっていなかったので、完全に不意打ちだった。

 咳き込みそうになるのを堪えて、冷水を喉に流し込む。飲み込んだ水の塊が胸の熱を奪い取りながら肚に落ちていくのを感じた。


 咳を堪えたからか、目尻にじんわりと涙が浮かぶ。しかし、冷えた水の効果は覿面で、ぼんやりと靄に覆われていた思考はたったのひと口で晴れ渡っていた。


「目は覚めた?」と明瞭になったサナの声が耳に届く。

「ああ……、はい。久しぶりですね、サナさん」

「ええ、お久しぶり」


 やはり口調に棘がある。今更だが自分の行動の迂闊さを呪うしかない。安易に女性の顔に触れるなど、我ながら度し難い呆けっぷりだ。以前も同じ失敗をしたばかりではないか。


「あの、さっきは失礼しました」

「……はぁ。別に怒ってませんよ。いくらクロウさんの行動が天然タラシだったからって、それにグチグチと文句を言うほど器が小さいつもりはありませんし?」


 そう言ってサナはそっぽを向いてしまった。困った。しかし、言い訳のしようもない。彼女の柔らかさを指先が覚えている。完全に愛想を尽かされたわけではなさそうなのが僅かな救いか。


 頭を掻きながら立ち上がる。腰の片側が重い。刀が差されたままだった。視点が高くなり、周囲を観察する余裕ができた。

 四方を土塗りの壁で囲まれた狭い空間だった。目測だが四畳くらいだろうか。地面は剥き出しで、私が寝ていた場所にだけ筵が敷かれている。

 正面の壁に木製の扉が見えた。残りの三方の壁際には二段の棚が備えられている。置かれているのは乾いた土の付着した鍬や鋤といった農具ばかり。窓は高い場所に採光がひとつだけ。そこから輝く陽光が差し込んでいる。日中のようだが、今は何時くらいなのだろうか。


「ここは、農具置き場ですか?」

「兼、クロウさんの監禁場所ね」

「監禁」

「昨夜のこと、どこまで覚えてる?」

「覚えてるというか……、うーん、どこまでが現実だったのか」


 腕を組み、唸る。

 記憶はあるが現実味が薄い。途中からは夢か幻覚かに迷い込んでいたような気もするが、その境界も曖昧だった。

 夢現(ゆめうつつ)の終わり際では、そう、確か、サナの顔を見たかと思うのだが……。それを思い出して、今目の前に立っている彼女をまじまじと見つめてしまった。


「そもそもサナさんはいつからここに? 多分、合流した記憶はない、と思うのですが」

「……すり合わせが必要そうね。ヤクモ、ちょっとこっちに」


 サナが上を向いたので、釣られるように視線を天井に向けた。

 農具置き場の採光窓から黒い影が飛び降りてくる。しなやかに着地したそれは、もちろん黒曜石の彫像ではなく、真っ黒な毛並みの雄猫だった。黄色い瞳が見上げてくる。私は軽く手を挙げてそれに応えた。


「おはよう、ヤクモ。無事でよかった」

「こんにちは、クロウ。現在の時刻は十二時二十四分だ。体調は万全か?」

「うん、どこにも違和感はないよ」


 確かめるように身体を左右に捻ってみる。調子は悪くない。いや、むしろ普段よりも身体が軽く感じる。疲労がほどよく抜けている感触だ。意外と気持ちよく眠れていたということだろうか。


「推定睡眠時間は十四時間。半日以上は眠っていた計算になる」

「ヤクモ、外の様子はどう?」

「特筆すべき変化は見られない。我々の侵入は察知されていないと推測できる」

「オーケー。じゃあ見張り交代ね。クロウさんと現状の共有をしておいて」

「要請を受諾した」


 そう言ってサナは壁際の棚を足場にして、倉庫の梁に飛び乗った。そこから採光窓の外を覗き見るつもりらしい。跳躍の瞬間、着物の裾から白い腿が見えた。今日はいつぞやと似た町娘の装いだ。黒髪に挿した簪が陽光を反射して銀に光っている。


「……それで。どういう経緯で私はここでぐっすり寝ていたわけ?」

「時系列に沿って説明する」


 ヤクモの説明は簡潔で要点を抑えたものだった。高台で日没を待ったことから始まり、集落への侵入、無人の民家の確認、集落中央部への移動、そして窓から覗き見た乱痴気騒ぎへと続いていく。

 このあたりまでは私の記憶とも食い違いはない。問題はここからだ。


「午後九時四十三分。クロウが隣家の屋根上から狙撃を受けた」

「ああ、やっぱり。撃たれたのかな、とは思ったんだ。確認はできなかったけど」

「カイマン社のオートマチック・モデルと推定される」

「未来の武器ってこと?」

「そうだ。しかし、現代の主流装備と比較すれば旧式ともいえる」

「型落ちだけど、暴力団とかマフィアとか……、要するに無法者が好んで使う感じね」

 サナが天井から補足した。


「でも、それは躱した記憶がある」

「その通りだ。クロウの回避行動により弾丸は地面に着弾した」

「それから……、確か、家を回り込んで壁を盾にしたんだっけ」

「肯定する。その三秒後、襲撃者がガス・グレネードを発射した」

「なにそれ?」

「手持ち式の大砲と理解すればいい。屋根上から放物軌道を取った砲弾が、クロウの正面で炸裂した形になる」

「大砲ってことは、そうか、爆発したのか」


 衝撃に弾き飛ばされて、背中から建物の壁に激突したのを思い出した。肺が潰れるような痛みを覚えている。そのまま頭から地面に倒れ伏したこともだ。


「爆発は小規模だった。しかし、至近距離の人間を吹き飛ばす程度の威力はあった。その後、砲弾から麻酔ガスが周囲に噴射された。おそらく、これによりクロウは意識を絶たれたものと推測される」

「ガス」

「気化した薬物だ。形状は白色の煙。比重が空気よりも重いため、地表付近に滞留していた」

「あの煙か……。吸ったらまずいものだった?」

「成分分析は完了している。意識の可逆的な喪失が主たる効能だ。直ちに健康への被害はない」

「不安になる言い回しだなぁ」

「テンプレートだ」


 しかしそうなると、そこから先の記憶はすべて私が見た夢ということか。言われてみれば現実的ではない光景を見ていたとわかるのだが、主観では現実と地続きのようでどうも不思議な感覚だった。


「まぁ、わかったよ。それで、間抜けにも眠りこけてしまった私はその後どうなったの?」

「ガスの濃度が低くなった時点で襲撃者が屋根から下りてきた。クロウの身柄はその人物に確保された」

「何者? 未来人?」


 疑問というより、ほとんど確認である。


「そうだ。身元の照会も済んでいる。顔写真がデータベースに存在した。キノシタ・ノリタケ、三十二歳。前科三犯。半年前から行方不明となっていた男だ」

「そのキノシタ何某(なにがし)という男が、屋根の上で見張りに立っていたと」

「見張りではない」

「……? なら、なんのためにそんなところに?」


 疑問を口にすると、どうしてか天井のサナが盛大にため息をついた。視線を頭上の梁に向けると、憮然とした彼女の横顔が見えた。あからさまに不機嫌な表情である。


「地上に下りたキノシタの音声データを録音してある。該当箇所を抜粋して再生する」

 足元でヤクモが喋った。視線を地面に戻すのとほぼ同時に、彼の口から低いだみ声が聞こえてくる。荒っぽい口調で苛つきを隠しもしない声だった。

「『~ったく、なんだってんだよォ。せっかく気持ちよく呑んでたってのに、誰が邪魔しようってんだァ、おい!』」

「呑んでた、って……、酒のこと?」

「遠距離から観察したが、頬の紅潮と瞳孔の混濁が確認できた。酩酊状態であった可能性は高い」

「屋根に昇って月見酒、か。それはまた高尚なことで」


 思わず鼻白むと、頭上から怒気の籠もった声が降ってきた。


「冗談じゃないわ。クスリをバラ撒いて無関係な人を巻き込んでおいて、自分は呑気に酒盛りだなんて、ふざけんなって話よ」

 梁の上から外の様子を覗いていたサナが、鋭い目つきでこちらを見た。

 指先でこつこつと横渡しの梁を叩きながら、彼女は言葉を続ける。

「クロウさんが目撃したっていう乱交現場の民家を調べたの。簡単な検査だけでも多量の合成薬物の残留が認められたわ。私たちの時代でも違法とされている危険な代物よ。あんなものをこの時代でバラ撒くなんて、どうかしてるわ」

「キノシタには違法薬物の密売で逮捕歴がある。ルートは不明だが、現代で入手したものを持ち込んだものと思われる」

 ヤクモが黄色の瞳を瞬かせた。

「薬物、か。では、あそこに集まった人たちは、やはり正気ではなかったということに?」

「少なくとも、田舎の風習で済ませられる話じゃないわね」


 再びサナのため息。憤懣やるかたないといった表情で、彼女は採光窓の外を睨みつけた。

 数秒の間を置いて、ヤクモが話を再開する。


「説明を戻す。気絶したクロウはキノシタに身柄を確保された。その場で身体検査が行われ、その後、手足を縄で縛った上でこの農具置き場に監禁された。以降、キノシタはこの倉庫を訪れていない」

「……それだけ? まさか、刀の没収もせずに? 信じられないくらい甘い対応だな」

「クロウは我々と接触があるが、我々の時代のアイテムを一切所持していない。よって身体検査を行ったキノシタも、クロウをこの時代の一般人であると判断したものと推測される」

「ああ、わかった。つまり、侮られたってわけだ」

「現地人であれば対処は容易と判断された可能性は高い。クロウの目が覚めた後で、以前の役人のように薬物投与と暗示を行おうとしていたのだろう」

「ふぅん……」


 かちんときた。

 不覚を取ったのは認めよう。しかし、刀という明確な凶器さえも見逃されて、稚児の如く軽んぜられるとは。

 これは私だけの問題ではない。イスルギの名に連なる者すべての沽券に関わる問題だ。誰か一人が不当に軽く扱われれば、いずれは流派全体で請け負う仕事にまでそれが差し障ることになる。それが同門というものあり、流派の看板を背負うということだ。


 ゆえに、私も、斯様な扱いを受けたまま黙って帰るわけにはいかない。


 抜かぬ剣こそ最良の剣とタツミは言う。

 しかしそれは、争うことを恐れて徒(いたずら)に逃げることを肯定する意味でも、ましてや侮られたまま縮こまることを肯定する意味でもないのだ。


「ま、それだけ甘かったからこそ、こっちは簡単に救出できたんだけどね。見張りもいなかったし、忍び込んで、手足の縄を切ったらそれでおしまい」

 外の観察に見切りをつけたのか、サナが梁から一足で飛び降りた。ヤクモの隣に着地した彼女は、好戦的な笑みを浮かべて目を細めた。茶色の瞳が獲物を狙う狩人の如くぎらりと光る。

 ……どうやら、彼女も敵(・)に対して、ただでは済まさない心算らしい。鏡はないが、きっと私も似たような顔をしていることだろう。まったくもって、同感だ。


「よその時代にまで迷惑を掛ける身勝手な振る舞い、たっぷり後悔させてやるわ」

「無論、後悔だけで済むとは限りませんけどね」

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