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利剣一閃アヤカシ殺し  作者: 子守家守
樹怪と黒猫
48/51

06

 のっぺらぼうのように夜闇が地面に貼り付いている。

 影絵のような凹凸のない光景が遠近感を狂わせる。道か、畑か、土か、草か。林の奥から見えた集落の地面は、底の見えない黒一色で塗りつぶされている。遠景に聳える山は書割のように平坦な表情を浮かべていた。


 風はなく、木々のさざめきも密やかだ。虫の声も秋ほど煩くはない。

 息を吸う。喉を通る空気が生ぬるかった。


 地面に露出した杉の根を踏み越えて駆け出した。

 木立の陰から飛び出し、加速を増して、上ノ庄の集落に侵入する。

 目標は村と林の境にもっとも近い家屋。遠目には黒い塊にしか見えないそれを目指して一直線に突き進む。もし途中で住民に見つかってしまえば、どうせ隠れられる場所もないのだ。不審な余所者として見咎められるのは避けられない。となれば足音にだけ注意してさっさと走り抜けてしまうに限る。


 風を切って走り、滑り込むように軒下の壁に張り付いた。

 低い姿勢でもと来た方向を見渡して、夜の闇に動きがないかを確認する。襟に爪を引っ掛けて背中に乗っていたヤクモが降りてくる。視線を交わし、彼が頷くのを見て、ようやく長い息を吐き出した。


(さて、家の中は……)


 耳をそばだてながら、息を殺し、窓を覗き込む。

 暗い。しかし、何も見えないほどではない。火の落ちた囲炉裏、節くれだった木の柱、冷たく固い土間、簡素な板張りの床とそこに敷かれた空っぽの筵。

 人の姿はない。

 土間に置かれた梯子が半二階に続いていた。視線を上に向ける。見えたのは農具らしき荷物の山。梯子の先は物置として使っているらしい。当然、そこにも住人の姿はない。


(外出? こんな時間に?)


 もともと空き家だった、というわけではないだろう。壁に吊るされた干し野菜が、今も誰かがここに住んでいると伝えている。


「玄関に向かう足跡がある」


 ヤクモが喋った。付近に人がいないのは確定か。

 覗き見を止めて、壁沿いに家の正面に回り込む。玄関戸は閉まっていた。入り口付近の地面には細かな凹凸が幾つも重なっている。普段から人の足で踏み均されているのだろう。その中からたったひとつの足跡を見つけるのは人間の目では困難だ。


「ヤクモ、一番新しいものを探して」

「特定した。およそ三十分前のものだ。集落の中心に向かっている」


 崖の上から見た地形を頭の中に思い描く。

 上ノ庄の中を通る道は二本だけ。それらがちょうど十文字に交差する場所が集落の中心地に当たる。目の前の小道を辿っていくだけでいずれは到着できる位置だ。


 念のため、小道から少し離れた位置を通ることにする。畑と道の中間あたりの、雑草の茂った場所を選んで走る。これなら朝になっても足跡はそう目立たないはず。


 百を数えるまでもなく、道沿いの次の家にたどり着いた。

 先ほどと同じように壁に張り付き、中の様子を窺う。

 淀んだ空気に音はなく、沈んだ闇に動きはない。やはり、無人だった。


 次の家も、そのまた次の家も無人。


 疑念は確信に変わりつつある。

 こんな夜更けに誰も彼もが外出しているだなんて、どう考えても普通ではない。

 この山奥の小さな集落で、何かよからぬことが起こっている。


(四つ辻が見えた)


 集落の中心が近づく。ここに至るまで、人間はひとりも目撃していない。

 土と砂を踏み固めた二つの道が直角に交差している。付近には家屋が三軒佇んでいた。家々が疎らに散っているこの集落の中で、この三軒は珍しく密集して建っているものといえる。


「足跡はあの家に続いている」


 ヤクモが視線で示した。

 彼の言う足跡とは、最初の家で見つけたものだけではない。道沿いに並んだ家のすべてで、四つ辻の方向に向かう足跡が確認されていた。


(その全員が、ひとつの家に……?)


 静かに近づきながら家の外観を観察する。集落の他の家屋との明確な差異は見られない。大きさも平々凡々、やや色褪せた木と土塗りの半二階の建物だ。


 だが、正面を避けて裏手に回り込んだところで、窓から明かりが漏れていることに気づいた。橙色の仄かな光だ。行灯かなにかだろうか、漏れ出た光は微かに揺らめいている。

 足を忍ばせ、更に近づく。

 声が聞こえた。くぐもって、掠れた、複数人の声。出どころは家の中。壁を挟んでいるからか、何を言っているのかまではわからない。

 否、本当にそうだろうか。鼓膜に届く声の調子はとても会話には思えない。もっと衝動的な、叫びとか、咆哮といった感じの声だ。言葉の意味を聞き取れないのではなく、そもそも言葉に意味がこもっていないように思える。


(嫌な感じだ)


 中腰の姿勢で窓の下に張り付いた。

 聞こえてくる声も近くなったが、やはり意味のある言葉とは思えない。

 雄叫び、金切り声、嗚咽、そして、喘ぎ声。

 じわりと汗が滲んだ。家の中には何人いるのか。二人や三人ではない。五人、十人……、いや、もっと大勢かもしれない。まさかとは思うが、集落の全員がここに揃っているとでも?


 ヤクモは足元で沈黙を続けている。彼なら屋内の様子も既に把握しているだろうに、それでも声を発さないのは、中の人間に聞きつけられるのを嫌ってのことか。


(迂闊なことはできない、かな)


 慎重に膝を伸ばし、真上の窓に顔を近づける。

 饐えた臭いがまず鼻を突いた。汗、体液、それから僅かに血の気配。粘ついていて、酸いた臭気だ。肺の奥が窄まるような悪寒がする。


 不快感を堪えて、窓の中を覗き込んだ。

 見えたのは肌色の群れ。服を脱ぎ捨てた裸体の集団。立っている者はひとりもいない。およそ二十人の男どもが獣のように、否、蚯蚓のように床を這っている。

 目は虚ろ。口の端からはよだれの糸。誰もが意味をなさない言葉を呻いている。


 ()()が、獲物に集る蟻のように、三つの柱に群がっている。

 それぞれの柱に括られていたのは、同じく裸体の若い娘たち。手首に縄をかけられ、群がる男たちに揉みくちゃにされている。彼女たちの口から漏れるのは喘ぎと衣を裂いたような嬌声だけ。頬は異様に紅潮し、瞳は焦点を失くして虚空をさまよっている。


(なんだ、これは……)


 狂乱の坩堝。地獄の宴。

 目に映った光景をようやく脳が理解し、頭の中で火花が弾けた。

 激情の渦が燃え上がる。無意識に腰の愛刀に手が伸びた。

 冷静ではない、と自覚する。しかし、それに何の問題がある? 裸で、丸腰で、正気でもない男がたったの二十人。その程度を相手にして梃子摺るとでも?


 そうだ。こんなふざけた集まり、壊してしまえばいい。

 この光景を見ていると、腹の底から嫌悪感が湧き上がってくる。人の尊厳に唾を吐くような乱痴気騒ぎだ。参加している連中には連中の言い分があるのかもしれないが、こんなものぶち壊しにしてやったほうがいっそ世のためなのではないか。


「きひ」


 笑い声が聞こえた。這い回る男たちのものではない。柱に縛り付けられた娘が髪を振り乱しながら歪な表情で笑っている。

 ヨサクの話を思い出す。下の集落から若い娘が連れ去られたという話だ。

 確証はない、が、もしかするとあの娘がそうなのではないか。

「は、あはは、っは……」

 快楽か、堕落か、それとも諦めか。乾いた笑い声がぐるぐるとこだましている。


 目を閉じた。

 数を数える。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……。

 熱を帯びた衝動を思考から切り離す。

 目を開いた。目の前の現実は変わらない。

 だが、目に写る光景の輪郭が多少は鋭くなった。

 刀の柄から指を離す。大きく息を吐き、窓下の死角に隠れる。

 空を見上げれば白くて丸い月。冷たい隻眼が遙かから私を見下ろしている。


(刃を抜くのは簡単だ。だからこそ、考えるべきは抜いた後のこと)


 ()()()()を頼りにこの場を制圧して、その後どうする?

 縛られている娘たちは無理やり連れてこられた者なのか、それとも自発的に参加している上ノ庄の人間なのか。被害者なのか、それとも共謀者なのか。

 被害者ならば助けるべきか。助けて、この集落から連れて逃げるべきか。

 夜は深く闇は濃い。不慣れで峻険な山道を、追っ手を警戒しつつ、消耗しきった娘を守りながら下っていく……、果たしてそれは無謀ではないのか。


 この欲にまみれた宴はいつ終わるのか。

 集落の人間は昼の間は畑仕事に勤しんでいた。であれば、遅くとも朝にはお開きになるのではないか。人が捌けて、娘たちを密かに救出できるようになってから動くのも選択肢ではないか。少なくとも、夜闇の中を慌てて逃げ出すよりも、山道で滑落したり遭難したりする可能性は低くなるはず。


(そもそも、()()が呪いの原因なのか?)


 目の前の光景は、なるほど、まさしく淫祠邪教の儀式に見える。

 上ノ庄を訪れた役人たちもこれを目撃したのか。それとも、なんらかの理由でこの宴に参加してしまったのか。たしかに真っ当な感性の持ち主がこの集いの狂気に囚われれば、精神を病んでしまうというのも頷ける話だ。


 だが、たとえそうだとしても、それだけで自死を選ぶほど追い込まれるものだろうか。


 やはり、ヤクモが推測したように、なんらかの暗示や催眠といった精神の支配が存在したと考えたほうがしっくりくる。この異様な集会はその支配の効果を十全に発揮させるため、対象の精神を弱らせるためのものなのではないか。そんな予感がある。


(ヤクモは……、何を見ている?)


 ここからどう動くのか、指針を立てるためにも彼の意見を聞いてみたい。

 足元に視線を落とすと、影に溶けた黒猫が黄色い瞳を輝かせてじっとどこかを見つめていた。視線を追うと、四つ辻の別の家が目に入る。ちょうど月を背後にしていて、まるで黒い影が実体になって聳えてるかのよう。

 その三角屋根で、何かが動いた気がする。


「みゃあ」


 足元で猫の鳴き声。

 鈍重な思考を置き去りにして身体が動いた。土を蹴り、後方に飛び退く。

 あらかじめ決めておいた合図だった。ヤクモが普通の猫みたいに鳴くときは、すぐそこに差し迫った危険があるということ。


 一瞬、屋根の上が白く光った。

 目の前の地面が小さく弾ける。飛び跳ねた黒い土が頬を叩く。

 飛び退いた勢いのまま地面を転がり、跳ねるように立ち上がってそのまま走る。


 ようやく思考が追いつく。矢弾が地面を穿ったのだ。飛び道具。弓ではない。

 火縄か。しかし、銃声はなかった。似た状況に覚えがある。連想するのはサナの得物。すなわち、未来の武器。


 振り返る余裕はなかった。

 家の裏手を全力で走り抜け、壁が折れたところで横に飛び込む。

 土塗りの壁に肩を預けて息を整える。壁を介して微かな振動を感じ取った。人の形が蠢く気配。屋敷の中では狂乱の集いが続いていると知らせてくる。壁一枚を挟めば涅槃の如き別世界か。反吐が出そうだ。


(射線は切った。どうやって間合いを詰める?)


 屋根の上に見えた『敵』の姿に意識の焦点を合わせる。

 彼我の位置を測り対手の動きを読むべく、思考が目まぐるしく走り回る。

 幾多の可能性を脳裏に書き出して、その尽くを斬るべく、刀の鍔に指を掛ける。


 直後、ぽん、と間の抜けた音が聞こえた。

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