04
ヨサクと別れ、登りの山道に踏み入った。
緑の合間を縫って焦げ茶色の地面が僅かに蛇行しながら続いている。足の裏には湿った落ち葉の残骸の感触。秋に散り冬の雪に覆われていた旧年の残り香が、虫に食まれ、土に混じって、新たな循環に溶けようとしている。
山中は先程までいた集落よりもよほど騒がしかった。
風が吹き抜け、葉がさざめき、虫が蠢く。
高い場所から鳥の声。見上げるが、薄曇りの空は若々しい広葉樹の枝に遮られて、ほんの少ししか覗くことは叶わなかった。
「サナさんに状況を伝えておいて」
「既に情報の共有は済んでいる」
「流石、仕事が早い」
陽射しが弱いからか気温は高くない。停滞した空気は湿り気を帯びているが、時折通り抜ける風の爽やかさが不快感を和らげていた。
「ミナミ捜査官を待たないのか?」
「そうだね。とりあえず上ノ庄とやらの様子を見てこようと思う」
「想定されるリスクが大きい」
「うーん、でも、二人揃って行動するのもそれはそれで危ない気がする」
「根拠の提示を求める」
根拠と言われても、半分くらいは直感なのだが。
一応、理由がないわけでもない。ひとつにはヨサクの言っていた、年頃の娘が連れ去られている、という証言が気に掛かっているというのもあるが……。
「秋に来た役人も二人で行動していたけど、結局、犠牲になってしまったわけだろう? 下手人がどういう存在で、いったいどういう手段を用いたのかはわからないけれど、人数が多ければ安全ってわけでもないと思うんだ」
私が喋っている間もヤクモは黙って歩き続けている。こちらの声は間違いなく届いているはずなのだが、こうも反応がないと不安になってくる。
「それなら、まずは私が偵察してみて、その情報に合わせてサナさんが外から仕掛ける、っていう方が上手くいく可能性が高いのではないかな。最悪、私が下手を踏んでも、挽回の機会が残るわけだしね」
「クロウの言い分は理解した」
「そもそも、三人の犠牲者は何をされたんだろう? 元凶がこの村にあるとしても、何日も日を空けてから離れた場所で自害を選ばせるなんて、それこそ呪術やら妖術みたいだ」
話を聞くに三人とも壮絶な死に様だったらしい。領主が怯えるのも無理はない。
私は前を歩くヤクモの胴を抱き上げた。足を浮かせた黒猫が、抵抗もなくすっぽりと腕の中に収まった。
「心当たりは?」
「データが不足している。確度の高い推測は提供できない」
「別に外れてもいいよ」
「類似の現象を起こせる動物兵器がデータベースに七種存在する。また、特定のガジェットを所有する現代人も同様の結果を引き起こすことができる」
「そこからは絞り込めない?」
「データ不足だ」
ヤクモを抱えたまま山道を進む。
ブナの木を回り込むように坂道を折り返した。地面に落ちていた若枝を踏み越える。木々の高い位置でがさりと音がする。小さな影が視界の端を掠めた。栗鼠かなにかだろうか。
「呪いではないのだろう?」
「技術的に確立された暗示、催眠のプロトコルを想定している」
「もし私がその支配を受けてしまったとして、あとから治すことはできるのかな」
「適切な器具と薬剤が準備されていれば、おおよそ八割の手法には対処可能だ」
「その準備というのは……」
「既に手配してある。ミナミ捜査官が合流時に持ってくる予定だ」
まったく、やることなすこと卒がない猫だことで。
「しかし、残り二割の手法は物理的に脳へ工作を施すものだ。この時代の設備では実行は難しいと推定されるが、もしも施術を受けてしまえば治療も困難となる」
「そのくらいの……、ええと、りすくは仕方ないだろうね。頭の中を弄くられるっていうのはぞっとしないけれど」
「仕方ないの評価は不能だ」
黒猫の言葉はどこか憮然としたものに聞こえた。
ヤクモは『仕方ない』と考えることができないらしい。しすてむの構造上の問題、と彼は言っていた。猫の世界における一般的な問題なのか、それとも彼個人の問題なのか、説明を聞いてもいまいちよくわからなかった。
しばらく歩いて、また坂道を折り返す。
歩き始めて四半刻ほどだろうか。小さい沢に架かる簡素な木橋を渡った。水の流れはささやかで、橋の上までは音も届いてこない。沢に沿って植生が深く、繁茂した藪が強い緑の匂いを発していた。
「さて、集落の入り口には見張りがいる、っていう話だったね」
橋を渡ったところで足を止め、二択を考える。
すなわち、真正面から堂々と歩いていくか、道を外れて忍び込むか、だ。
領主の遣いとでも名乗れば正面からでも集落に入ることはできるかもしれない。しかし、果たして行動の自由が保証されるだろうか。山神なる存在や下の集落から連れて行かれた人たちについて調べるためにも、できれば独りで行動したい。集落の人間に監視されるような状況は避けたいところだ。
……となると、やはり見張りを避けてどこからか回り込むのが得策か。
「ヤクモ、ここから見張りとか集落の様子を確認できる?」
「可能だが、非推奨だ」
「理由は」
「広域走査にはアクティヴ・センサを使用する必要がある。集落に現代人が存在した場合、こちらの位置を逆探知される可能性がある」
「忍び込むには向かないんだね?」
「パッシヴ・センサの有効範囲まで近づけば、比較的安全に探査が可能だ」
「横着せずにまずは足を使え、ということか」
世の中、うまい話はそうそうないものだ。
辺りを見回して、新緑の薄い場所に目星をつける。軽く息を整え、山道から高い側の斜面に向かって飛び込んだ。接地の瞬間、深い足跡を残さないように重心を制御する。膝を柔らかく使い、道から離れる方向へともう一度跳躍する。
着地と同時に姿勢を低くした。張り出した細い若枝が額を擦る。
そのまま沢に沿って斜面を登っていく。土地勘のない山中で目印もなしに移動するほど無謀ではないつもりだ。ひとまず沢の流れを遡る形で高所に出て、そこから集落へと近づく手段を模索するとしよう。運が良ければ、水源を辿る途上で集落に行き当たるかもしれない。
「もう自分で歩く?」
「一定レベル以上の悪路では歩行に要するエネルギーの消耗が大きい。このまま運搬を継続することを要求する」
「横着者め」
「効率の問題だ」




