03
「今さらだけど、サナさんって二人にならないようにしてるよね?」
「求められる回答を特定できない。より詳細な質問の設定を求める」
増水によって隔離された山村を歩いている。
踏み固められた土の道は、荷車が余裕を持ってすれ違えるだけの広さがある。勾配は緩やかで、村の奥ほど高い。位置としては裾野が広くてなだらかな山の中腹より少し低い辺りだ。立ち並ぶ木々に遮られて山頂を見ることはできなかった。
道沿いには木造の住居が並んでいる。家と家との間隔は疎らで、小さな空き地や畑が目につく。ひとたび往来を離れれば、家屋のすぐ裏手に藪と林とが待ち構えている。
一本の山道を動脈として切り開かれた村なのだ。人間の領域のすぐ外には、野生の気配が色濃く息づいている。空気にも平地とは違った緑の匂いが混じっていた。
「なんて言えばいいのかな。ええと、一人であろうとしている?」
「回答を特定できない」
「うーん……、そう、自分が二人に増えないようにしている、かなぁ」
「質問の意図を把握した」
ヤクモは普通に喋っている。
つまり、周囲に聞き耳を立てている人間はいないということ。しばらく一緒に過ごして理解したが、彼の感覚は人間よりもよほど優秀なのだ。
「同一の時間に同一の人間が並行して存在しないように行動している、という指摘であれば、その理解は正しい」
「ああ、やっぱり。だってそれを許容するなら、サナさんの方の仕事が明日片付くにしても、その後で今日に戻ってくればいいだけだものね。合流を明日に延ばす必要なんてどこにもない」
「時間跳躍のシステムそのもののセイフティだ。個人の跳躍履歴はすべて管理され、既に実行した跳躍先を基点として百年以内の過去へは跳べないよう制御されている」
彼の言葉に首を傾げてしまった。
想像よりも数字の規模が大きい。
「百年って……、どうしてそんなに長い制限を?」
「なんらかのトラブルによって現代への帰還が不可能になるケースを考慮してのことだ。現代医療のサポート無しに人間が生存できる限界をおおよそ百年と見積もってデザインされている」
「そこまで長生きする人は珍しいと思うけど」
「平均寿命と最高年齢は常に更新が続いている。そのペースを鑑みても、冗長化としては妥当な期間と評価できる」
「……ひょっとして、未来は老人だらけの世の中になってるの?」
「クロウと私とで、老人という概念に齟齬があると推測できる。しかし、人口構成で見れば超高齢社会であることは間違いない」
一瞬、よぼよぼの老人が一列に整列している光景を幻視した。誰も彼もがすらりとした黒服を着込んで黒い板で目元を隠している。鎌鼬のときの黒法師から連想した装いだ。腰の曲がった彼らの群れに囲まれて、サナとヤクモがてんやわんやで彼らを介護しているようだった。
不思議な光景だ。少なくとも、私の目には奇妙に見えた。
人は老いれば老いるほど、死に近づいていく。それが摂理というもの。だから、老人は常に社会の少数派になるものだというのが、私の持っている常識だった。
生きている老人は少ない。否、老境に到れる者もそう多くはない。
しかしだからこそ、若い世代が彼らを支える余裕がある。老人ひとりに対して、子や孫、近所の顔見知りが複数人で手助けしているから、世の中はなんとか回っているのだ。
けれど、その比率がひどく傾いてしまったとしたら。
それも、人間が百年生きるのが当たり前のように論じられるほどに。
想像しただけで、未来の若者たちの苦労が偲ばれた。
今度会うときには、サナをもっと労ってあげるべきだろうか。
「そうか。うーん、未来も案外と世知辛いなぁ……」
「やはり認識に齟齬があるらしい」
ヤクモが何事かを呟いたが、風に邪魔されて私のところまで届いてこなかった。
「それで、同じ時間に同じ人間が重なって存在すると、どんな問題があるわけ?」
「不明だ。複数の予測が提唱されているが、ひとつに断定はされていない」
「例えば」
「制御不能な大規模過去改変。該当人物の対消滅。あるいは因果律の崩壊」
「言葉の響きだけでも物騒だね」
剣呑な言葉を耳にして額に皺を寄せる。正確な意味までは把握できていないが、碌でもない事態に陥るのであろうとは理解できた。
半歩先を歩いていたヤクモが足を止める。一歩分遅れて私も立ち止まった。
村を貫く一本道が、数歩先から様相を変えていた。道幅は半分ほどになり、勾配が急になっている。山の斜面に沿うようにして、斜めに登山していく道のりだ。道の両側には藪が迫っている。山側の斜面には葉の落ちた木々が並んでいて、下からの見通しを遮っていた。
ここまでちらほらと続いていた家屋の集まりも、ひとつ手前の家で最後だったらしい。村の全体像はまだわからないが、このあたりの集落としてはここで区切りとなるようだ。
「ここまでで何人いた?」
「十三人。いずれも屋内だ」
「避けられてるな」
「可能性は高い」
「春先だっていうのに、真昼間から完全に閉じこもっているのはおかしいよ」
畑仕事に出ている者さえ一人もいないのは、はっきり言ってありえない。
道中で見かけた畑は、特段ひどく荒れていたわけでもなかった。普段はきちんと村人に管理されているという証拠だ。私たち、つまり余所者がやって来たのを知って、慌てて家の中へ姿を隠したと見るべきか。
「一番近いのは?」
「すぐそこの住宅だ。窓際に座り込んでいる」
振り返り、歩いてきた道を引き返す。
十数歩ほど戻った先の左手に木造家屋が建っていた。平屋で茅葺き。屋根の形がかなり急勾配だ。通り沿いには閉め切られた玄関と、木製の格子を嵌めた窓がひとつ。
玄関に近づき様子を探る。ヤクモは窓のあたりに人がいると断じたが、戸外からはその気配を感じ取ることはできなかった。動きを止めて、じっと息をひそめているのだろうか。
「御免、どなたかいらっしゃいませんか?」
閉まった玄関戸に向けて大声を放つ。
家の中からの返事はない。迷子になった声が、しんと静まり返った山中に溶けていった。念のため二度、三度と繰り返してみたが、結果は同じ。
「ヤクモ」
小声で足元の相棒に声を掛けた。
黒猫は音もなく窓の下まで歩み寄り、ばねのような跳躍で格子に跳びついた。小さな顔を格子の間に突っ込み、黄色の瞳を左右に動かしてから、彼は喉を震わせた。
「ッシャァー!」
「ひぃ!?」
家の中から悲鳴が聞こえた。これで居留守は使えまい。
任務を果たした黒猫は、既に窓から離れて屋内からの死角へと移動していた。
「どうやら御在宅の様子。扉を開けるが、よろしいか?」
「お、お待ちを……!」
意識して強い口調を叩きつけると、窓の下の住人が転がるように玄関へと駆けてくる気配があった。僅かな逡巡の間を挟んで、ついに観念したのか、引き戸が軋みながら開いた。
玄関を開放した家主は、こちらの腰の物を認めると蛙のように地べたに平伏した。薄い髪と掠れた色の着物の背中だけが見える。流石にこれはばつが悪い。
「も、申し訳ありやせん。御武家様にとんだ無礼を……」
「頭を上げてください。私は別に士分というわけでもありませんので」
「へ? あ、あのぅ……、お侍さまは殿さまの遣いではねえのですか?」
「いや、そこは間違いないです。この村には領主からの依頼を受けて参りました」
「は、ははぁー!」
どうしたものか。余計に恐縮させてしまった気がする。
ふと視線を横にずらすと、壁の陰に呆れたような黄色の瞳が浮かんでいた。もちろん、垣間見えた黒猫の感情は気の所為で、ヤクモはいつも通りの澄まし顔のままだ。
とにかく、このままではいつまで経っても話が進まない。
半ば強引に村人の顔を上げさせて、会話が可能になるよう場を整える。ヨサクと名乗った村人は、立ち上がったあともなかなかこちらと目を合わそうとしなかった。しきりに目を泳がせていて、ひどく落ち着かない様子だった。
「どうやらヨサク殿もこの村の問題についてある程度は把握しているようですね」
「い、いえ、おらなんて、ほんと、何も知らなくて……」
ヨサクはもごもごと口籠らせた。
その表情を注意深く観察しつつ、私は事前に得ていた情報を再確認する。
「発端は去年の秋です。藩の役人がこの村を訪れました。年貢の徴収のためです。彼らは村の長と面会し、しかし、一切の年貢を取り立てることなく帰路につきました。これはご存知ですね?」
「へ、へい」
「おかしいとは思いませんでしたか?」
「そりゃ、変な話だとは思いやしたが、村長が気にすんなって言ってたし、暮らしが楽になるってんなら、おらから文句なんて言えねえですから……」
「なるほど。その役人たちが山を下りた後、どうなったかは聞いていますか?」
「……聞いておりやす」
喋ることさえ恐ろしいとばかりに、ヨサクは腕を抱いてぶるりと身震いした。
年貢の徴収にやって来たのは士分の役人が二人と荷運びの役夫が数人。その内の士分である二人は、既に死亡していた。
変死である。
去年の秋の暮のことだった。
ひとりは市中の溜め池に自ら飛び込んで溺れ死に、
もうひとりは己の首を己の指で締めて窒息死した。
「冬になって、別の御武家様が村にやって来やした。秋に来たお役人さまがおかしな死に方をしたんだって、そりゃもう大変な剣幕で……。この村でなにかあったんじゃないか、って刀ぁ抜いて怒鳴り散らすもんだから、村の衆は皆、生きた心地がしなかったもんでさぁ」
「それで、その役人はどうされました?」
「しばらくは村の入口あたりで騒いでたんですが、そのうち『お前らじゃあ話にならねえ。村長に会わせろ』みたいなことを言い出して。結局、あの方も前のお役人さまと同じように、村長ん家のある上ノ庄に登っていきやした」
上ノ庄とは、と問うと、ヨサクは震えながら山の方角を指さした。
村の一本道に沿って山を一段登った先に、こことは別の集落があるらしい。
「それから数日は何の音沙汰もありやせんでした。けども、しばらく経った後で、新しく来た御武家様がふらりと山から下りてきたんです。ここからは山の登り口がよく見えるんで、すぐにわかりやした。そいで、おらぁなんだか気になっちまって、その御武家様に声を掛けたんです」
「彼はなんと?」
「『問題なかった』って……。ほんとに、それだけしか……」
ヨサクの口調は自信なさげで、言葉尻は小さく萎えていった。
上ノ庄から下りてきた役人はそのまま村を去り、以降、姿を見せていないという。
「役人のその後について、他に知っていることは」
「いえ、とんと聞きやしませんが……」
目の前の男の瞳を覗き込む。怯えの色が濃く、落ち着かない様子だが、後ろ暗さは感じない。嘘は言っていないと見える。
件の男の消息は把握していた。
彼もまた、既に鬼籍に入っている。
自らの刀で喉を突いて、自害したのである。
これで、自ら命を絶った役人は三人。
その全員が、領主に対して『この村は問題ない』と報告したのだという。
胡乱な瞳で、要領を得ない語り口だったそうだ。乱心、衰弱、はたまた譫妄かと疑われ、やむなく謹慎を命じた矢先の自死であった。
奇怪な事件である。目撃された死の瞬間の狂乱ばかりが噂され、なぜ彼らが死を選んだのか、心当たりのある者は誰もいなかった。
だからなのか。
領主は、呪いを疑い、恐れている。
私のところに話が回ってきたのは、それが理由だった。
「そんなだったから、次のお役人さまが村に来るときは、いよいよ悪いことが起こるんじゃないかって、みんな不安になっちまって。年貢のこととかお役人さまのことで、村の衆が連座で責任を取らされたらどうしようか、なんて考えちまって……」
「それで私のことを避けていたわけですね」
「へ、へい……」
「わかりました。安心してください、私には皆さんをどうこうする意志も権限もありません。この村で何が起こっているのか、ただそれを調べたいだけなのです」
なるべくゆっくり、柔らかい声を心がけて、丁寧に頭を下げた。
旋毛の向こうでヨサクが息を呑む気配がする。顔を上げると、目の前にいる何の変哲もない村人から、ほんの少しだけ怯えの色が抜けていた。
「上ノ庄の様子を教えていただきたい」
「……わかりやせん」
「わからない?」
苦い顔をしたヨサクに首を傾げる。
「去年の秋から、集落の出入りを管理するようになったんです。上ノ庄の入り口に、番兵みたいに若い衆が置かれてて。村長の命令だって、そいつは言っておりやした。そいつに止められちまって、中には入れやせんでした」
「では、上ノ庄の住人とは全く接触がない状態ですか?」
「いえ、向こうの連中がこっちまで下りてくることはありやす」
「何のために」
「人手が足りない、っつって。若い衆とか年頃の娘っ子を連れて、また山に帰っていきます。徒党を組んで、暴力も振るうもんだから、誰も逆らえやしません」
ヨサクの声が震える。膝の上で強く握ったこぶしがわなないていた。
怒りか、不甲斐なさか、あるいは同じ村の住人に対する失望と絶望か。
目元を袖で拭い、鼻をすする音が妙に生々しい。
「連れられてった者は、まだ誰も戻ってきません」
「そうですか……。わかりました。ひとまず上ノ庄の様子を確認してみて、可能であれば、そういった人たちが家に帰れるよう手を尽くしてみます」
「お侍さま……、ええ、ええ、ありがとうごぜえやす」
「他になにか、気になることはありませんか? 上ノ庄の状況に繋がるようなら、どんな些細な事でも構いません。よく思い出してみてください」
再び平伏しようとするヨサクを抑えて質問を続ける。
記憶を漁るように額に皺を寄せた彼は「眉唾ですが」と前置きしてこう言った。
「上ノ庄には山神様がいるんだ、と。連中はそう言っておりやした」




