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「ままならないものねえ」
そう呟いたシマは物憂げに眉を伏せていた。
夜は明けて、もう午に近い時間である。
結局、頭目を欠いた賊の残党はあっけなくこちらに投降した。
賢明な判断といえるだろう。賊の総数は九人。そのうちの三人を格闘で捻じ伏せ、四人を刀で斬った。残りはたったの二人。しかも、頼みの綱の凶器を投擲してしまった後のことだ。命のやり取りに絶対はないとはいえ、この期に及んでは抵抗も悪あがきにしかならなかっただろう。
誰だって自分の命が大事だ。
私だって、無闇矢鱈に人を斬りたいわけではない。
投降した賊は縄で縛って拘束してある。
頭目の男は命を落とした。残りの怪我人にはひとまずの手当を施したが、助かるかどうかは半々と見える。シマが家人を街に遣ったので、遠からず藩の役人が屋敷に来るはずだ。きちんとした治療を受けられるかどうかは、到着した彼らの匙加減だろう。
シマをはじめ、屋敷の人間に怪我はない。
その点については、正直ほっとしてる。
「お父様の目が曇っていた、とまで言うつもりはありません」
賊を引き込んだ門番の男について、彼女はこう語った。
「十年勤めた真面目な奉公人。経歴に嘘はありませんし、お父様が彼をこの屋敷に派遣したのも長年の仕事振りを評価してのことだったのでしょう」
ですが、とシマの唇からひどく疲れたため息が漏れた。
「当の本人はそうは考えなかったわけです。彼を捕縛する際、爺やが詳しく聞いてくれましたわ。色々と恨み言を並べたみたいですが、要点だけいえば『十年働いたのに手代にもしてもらえず、かといって他の働き口を見つけることもできず、挙句の果てに本店から僻地の閑職に回されてしまい、募った恨みがついに堪えられなかった』……ですって」
「恨み? 逆恨みでしょう」
門番の吐いた言い草に、思わず顔を顰めてしまった。
奉公人が丁稚から手代と認められるまでに十年以上掛かるというのも珍しい話でもない。話を聞くに、件の男がことさらに不利益な立場にあったり、店の者から不平等な扱いを受けていたというわけでもないらしい。
であれば単に、才覚か、努力か、あるいは時の運に恵まれなかっただけのこと。
そのことを嘆くなとは言えないし、現状に不満を抱くのも決しておかしなことではない。だが、その不満を悪い方向に転嫁して、自ら犯罪に手を染めるとなれば話は違う。
家人に被害が出なかったとはいえ、実際に賊を手引し、凶行に及んだのだ。一歩間違えればアガツマ屋の主人は娘を失っていたかもしれない。主人にしても、あるいは藩の領主にしても、決してなあなあで済ますわけにはいかないだろう。
「馬鹿なことを、とは私も思いましたわ」
シマは囁いた。
「けれど、それは私が傍観者だからいえること。本人は至って真面目に考えて、自身の境遇は雇い主に非があると本気で思いこみ行動を起こしたわけです。もしもお父様が……、いえ、あるいは彼の同僚や、いっそ私でも構いません。誰か一人でも、彼のことをもう少しだけ気にかけてあげられる者がいたならば、今回の一件は事前に防げたのかもしれませんわ。そう考えてしまうと、なかなか割り切れないものがありますの」
これは自惚れかしら、と彼女は小さく口の端を持ち上げた。
口を動かしている内に調子が戻ってきたのか、事件前夜の狐のような笑みがぎこちなくも浮かんでいた。
「もしもを考えるのが人間です。ですが、只人に時を戻すことはできません」
「そう、所詮は過ぎたこと。わかっていますわ」
昨夜と同じ彼女の部屋だが、昨夜よりも寂しい空間になっていた。
純粋に、密度が違う。私の隣にハネトはおらず、シマの背後にサナはいない。
二人は、既に屋敷を離れていた。
「依頼された仕事は終えました。ですので、私はこれで御暇したいと思います」
そう言って頭を下げた学者殿を、シマは引き止めなかった。
彼は女主人に挨拶をするより前に、「正直、あまり長居したくないんだ」と、私に囁いていた。血の匂いの残る客間でのことである。鉄錆に似たその香と寝不足によるものか、彼の顔色はすこぶる悪かった。
ハネトの不調にはシマも気づいたことだろう。
目の前で深く頭を下げた彼の言葉に、彼女はしずしずと頷いた。
「もちろん結構です。私のわがままのために遠方から御足労いただき、誠にありがとうございました」
シマは一旦言葉を切り、ハネトが頭を上げるのを見てから続ける。
「せっかくいらしてくださったのに、ハネト様をこのような事態に巻き込んでしまったことは、本当に申し訳なく思っています。後日、アガツマ屋からも正式に謝罪の者を向かわせますわ」
「あ、いや、そこまで大事にしなくても。ちょっと間が悪かっただけですから」
意外にも、ハネトは困ったように笑ってみせた。
「昔からそうなんです。どこかに出掛けると、何かにつけて妙なことに巻き込まれやすいというか。今回は巻き込まれたといっても、直接の被害を受けたわけでもありません。ですから、どうぞお気になさらず」
「ですが、それでは私の気が収まりませんわ。ご迷惑でなければ、せめて何かお詫びになるものを用意しますので……」
「いや、そんな……、うーん、困ったな」
ハネトは両手を前に出して固辞したが、シマは頑な態度を崩そうとしない。
しばしの問答の末、最後に折れたのはハネトの方だった。
「それじゃあ、ひとつお願いをしても?」
「なんなりと」
はんなりと微笑んだシマから視線を外して、学者殿はふっと窓の外を見た。
抜けるような青空に白い太陽が輝いている。
降り注ぐ陽光に翳りはなく、庭に積もった白雪が銀色に輝かせていた。
目を細めても、視界が白く灼けつく。空よりも地上のほうが眩しいくらい。
ハネトは、庭の銀世界に佇む土蔵を見つめていた。
白い漆喰の塗り壁が、銀雪の反射を吸い込むように聳えている。
それを指さして、彼は照れた表情で言った。
「シマさんが描いた絵を一枚、いただけないでしょうか」
「私の絵に価値などありませんわ」と困惑するシマを「価値があるかは僕が決めます」と押し切り、ハネトは彼女から一幅の掛け軸を貰い受けて帰路についた。
肩の荷が下りたような表情で、飄々とした雰囲気を幾分か取り戻した彼は、至極あっさりと去っていった。朝餉を供されたすぐあとのことだった。雪道の苦労はあるだろうが、そろそろ主街道にたどり着いた頃合いだろうか。
「屋敷の外に私の作品が出ていくのは、初めてのことですわ」
「門外不出の秘宝だった、というわけですね」
「クロウ様、わざと大袈裟に言ってませんこと?」
シマは口を尖らせたが、反面、声色はさっぱりしたものだった。
「ハネト様も誰から絵のことを聞いたのやら」と呟きつつ、彼女は悪戯っぽく口を斜めにした。
「それはさておき、クロウ様も残念でしたね」
「なんのことでしょう?」
「もちろん天女様のことですわ。クロウ様には顔も見せずに帰ってしまわれたのですから。せめて挨拶くらいはしたかったのではなくて?」
そうなのである。
サナは昨晩の内に、私の預かり知らないところで消えてしまったのだ。
賊の襲撃の間は、彼女も屋敷の奥の間に留まり、逃げ込んできたアガツマ屋の家人たちを守る素振りを見せていたという。頭目を斬った私が報告に行ったときも、確かに彼女はその場に残っていた。
やはりこうした鉄火場には慣れているのだろう。落ち着いた表情で超然と屋敷の人々の不安を宥める彼女の姿は、なるほど、天上の存在と言われればそう信じてしまうかもしれない。
実際のところ、その冷静さは奉行所の役人に近い気質によるものなのだが。
その後、私は賊の拘束と凶器の回収のために奥の間を離れてしまった。
彼女はそのすぐ後に屋敷から去っていったのだという。
もちろん、屋敷を訪れた目的である雷獣を腕に抱えて、だ。
「残念といえば残念ですが……、顔を合わせても別れの挨拶を一言いえただけでしょうし、そこまでは悔しがるほどのことでも、といった感じですね」
「まぁ、なんて言い草かしら。よいですか、クロウ様。そのたった一言の別れを言えずに、多くの人が涙を流してきたのですよ?」
そう言ってシマはあからさまに呆れた表情を作った。
「天女様に見えるなんて、一生に一度あるかないかだというのに。己の幸運に自覚がないのかしら。まったく、クロウ様は天下の剣士さまなのですから、もっとしゃんとしてくださいませ」
「あ、はい……」
「気のない返事。処置なしですわねぇ」
そうは言われても、というやつである。
サナの神出鬼没ぶりは筋金入りだが、彼女の仕事が終わるまでの間は、また顔を合わせる機会があるのではないかと、私は楽観的に考えている節があった。それだから、今回の無言の別れもいまいち悲観できずにいるのだ。
実をいうと、切り札もひとつ考えてある。
つまり、私が彼女から聞き得た未来の情報を市井にばら撒こうとすれば、彼女も慌てて姿を見せるのではないか、という策だ。
……まぁ、そんなことをすればまず間違いなく彼女もこちらを処理しなくてはならなくなるだろうから、迂闊には使えない策なのだが。
ともあれ、どうしてもサナに会いたくなったときには、最終手段として検討することになるだろう。
「そういえば、シマ殿は天女様とはどうやって知り合ったのです?」
「露骨に話を逸らしましたわね。まぁ、構いませんが。さて、どこから話したものかしら。順序としては……、そう、まずは雷獣を見つけた日のことからでしょうか」
あれは本当に偶然でしたわ、と彼女は目を細めて視線を過去に馳せた。




