10
雪の日は静寂が深くなる。
理屈はわからないが、そういうものと経験で知っている。
凪いだ水面のようなその静けさが好きだ。
同時に、それが破られる瞬間にも心が動く。
静の中に一瞬だけ現れる万象の気配。大木の枝に積もった雪が落ちる音、吹雪を伴う横殴りの強風、あるいは姿も見えない獣たちの遠吠え。それらがふっと耳を打ち、雪の白さに呑まれて消える。
今夜は、己の喊声がそれだった。
「イスルギ流がクロウ、いざ参る!」
鋭く声を放ち、それと同時に右手の襖を開いて廊下から室内へと滑り込んだ。
音を立てずに素早く襖を戻し、耳を澄ませる。
気配を探る。堂々と玄関から押し入った一団は、二手に分かれた。
こちらの声に反応して廊下を踏み鳴らしながら近づいてくる者たち。
それとは別に、比較的ゆっくりとした勢いで別方面に廊下を進む者たち。
後者はさらに数組に分かれ、追い込み漁のように屋敷の部屋を検めながら屋敷の奥へ奥へと浸透しつつあるようだ。
前者の集団はひとまず無視すると決める。
頭の中に絵図を描きながら、足音を殺し、滑るように畳の上を移動していく。
低い姿勢で、それこそこちらが泥棒になったかのように。廊下に姿を晒す時間を最小限に、襖に仕切られた空間を渡っていく。
地摺りに構えた刃は陰に沈んでいる。
息を止め、部屋の内から襖に忍び寄り、廊下の足音を頼りに刃先を突き出した。
「ぎっ! がぁあ!」
仕切りの薄壁を貫いた刺突が、侵入者の足を捉えた。
切っ先を引くと同時に、噴き出た血潮が襖を叩く。片足の支えを失い転がった賊の身体が、襖を歪めて押し倒す。
びちゃりと湿った音を耳に残し、沈むように後退。そのまま部屋を横切り、襖とは対面の障子をずらして再び廊下へ出る。
「チッ……。おい、独りでうろちょろするんじゃねえ!」
屋敷の遠くから大声が響いてきた。
「灯りを点けろ! 集まって動くぞ! さっさとこっちに来やがれ!」
野分のような低い声。野卑だが、命令慣れしている匂いがする。
あれが頭目か?
廊下を突っ切り縁側へ戻る。床に転がる三人を飛び越えて、玄関へと駆けた。
土足に汚れた上がり框を横目に、手近の柱に身を寄せて息を吐く。
侵入者の背後を突く位置だ。屋敷の中には月光も届かず、周囲は闇に沈んでいる。柱の陰から奥向の廊下を覗き込むと、片っ端から開け放たれた座敷の襖と、その向こうでぼんやりと揺れる淡い光が見えた。
頭目の命令を受けて賊は提灯を使い始めたようだ。薄明かりの揺れ方を観察して、光源はおそらく二つと当たりをつける。
その片方、向かって右側の光に向けて突っ込んだ。
柱の陰から廊下に飛び出す。距離にして十歩と離れていない。刀身を寝かせた構えで疾駆する。足音を完全に消すことはできない、が、提灯の持ち主が振り返るより早く間合いに飛び込んだ。
「あ!」と声を漏らした相手の肩口に刃を押し当て、引き斬るように滑らせる。
着物ごと肉を抉った切っ先が対手に斜めの傷を刻み込む。浅い。しかし、小悪党の戦意を削ぐには十分。どのみち屋内だ。刀の大振りが封じられている以上、細かい技で相手を無力化していくしかない。
斬った相手の手から提灯が落ちる。目眩のように夜の闇が揺らめいた。
瞬間、悪寒。
素足の指先を意識しながら左に跳ぶ。
眼前を風が貫いた。
闇の中に黒い刃。
首を狙った刺突と、避けてから気づく。
「ボサッとするな! 囲めッ!」
黒塗りの刀を持った男が吼えた。頭目と思しきものと同じ声だ。やや長身、痩せ身、利き手は右。夜闇に紛れて年齢までは読み取れない。ぼさぼさの黒髪の奥で、野獣のような目を光らせている。
男の背後でどたどたと慌てた足音。二人分の人影が左右に分かれた。
直感的に左に走る。
襖が開け放たれた座敷に入り、直後、回り込もうとした賊とかち合う。
踏み抜く勢いで畳を蹴り、方向転換。
床が弾ける音と同時に、賊の短刀が脇をすり抜けて空を切った。
逃さず、刃を跳ね上げ、手首を断つ。
声にならない悲鳴が轟いた。
息を吐く暇もなく、背後から敵意が迫る。
疾駆の速度は殺さず、身を沈め、旋回させた刃で脛を掃う。
「っぶねえなァ、おい!」
頭目の男が急停止しつつ床を蹴った。
下段の薙ぎが男の足裏をすり抜けた。相手の反応の速さに歯噛みする。
「そこで死んどけ!」
男が踏み込んでくる。袈裟斬りの構え。
座敷の狭さが選択肢を縛っている。故に、軌道は読める。
だが、違和感。
反撃の択を放棄し、畳を転がり距離を取る。
耳に微かな風切り音。頭目の剣とは別のもの。
それに合わせて、刀を小さく振り払う。
がちり、と金属質な手応えが返ってくる。
なにかを弾いた。
視界の隅で匕首がくるくると宙を舞う。頭目とは別の賊から投擲されたのだ。
間髪入れず、頭目が刺突を繰り出してくる。
開いた距離が相手の一歩で潰される。
黒く塗られた切っ先が闇に溶けている。
直線の軌道。
速い。
「っ!」
投擲を弾いた刀身を力任せに戻す。
対手の刀を横殴りにして、不格好に軌道をずらした。
甲高い金属音。
頬に一筋の熱。
掠ったか。
息を止めたまま、前に出る。
顔のすぐ隣で黒塗りの刀が戻っていく。
引きも速い。見事な突きだ。
だが、それだけのこと。
刀を右手に預ける。
空いた左手を無造作に掲げ、振るう。
闇から飛来した短刀が、その袖に刺さり、弾かれた。
「えっ」と遠くで下手人だろう賊の声。
至近。頭目の男が目を見開く。
後退の気配。
逃さない。
ひときわ強く床を蹴り。
左手を伸ばして襟を掴み。
横薙ぎに刀を振り抜いた。
すれ違う。
ずぷりと手応え。
斬って抜けたのだ。
熱い血潮が横顔に掛かる。
背後で男が傾いた。
支えもなく、頭から床に落ちる。
寸前、掠れた声が小さく聞こえてきた。
「っ、化け物……」
失敬な。
どこからどう見ても人間だろうに。




