08
『某藩御用達の商家の御息女、さる雷雨の夜に雷獣と見える。
籠に囲うに、体長一尺、金毛にして、姿形はMarmotに似る。
性質は穏健にして人を恐れず、雷気を纏て己が身を守る術を持つ。
御息女、これなるは天の国の獣と語る。甚だ怪し。
されども斯くの如き獣、浅学にして聞き及ぶこともなし。まこと奇怪なり』
幾度となく表現に迷い、筆を悩ませ、どうにかこうにかそこまで書ききって、ハネトはようやく筆を置いた。牡丹雪のような溜め息をひとつ。自身の認めた覚え書きを指で摘み上げ、彼は盛大に眉に皺を寄せた。
「なんて胡散臭い……。書き直すべきか? いやしかし、他に書きようも……」
無精髭の伊達男は名状しがたいうめき声を上げながら頭を抱えこんでいる。
本人は大真面目なのだろう。しかし、ややもすれば滑稽なその様子を、私は火鉢に当たりながら苦笑いで眺めていた。
サナが奥の間に引っ込んだ後、私もハネトもすぐさまシマの部屋から追い出されてしまった。部屋の主曰く、「これから天女様とお茶をするの」だとか。うきうきした表情を隠しもせずにそう嬉々と言われては、「待った」などとはとても言えず。茶の準備を運んできた爺やと入れ替えに、男二人、寂しく客間に戻ってきた、というところである。
「別にいいのでは? 嘘を書いているわけでもないですし」
「簡単に言ってくれるね。僕はあれらと会ってしまったことを現実として噛み砕くのに精一杯だっていうのに」
軽い気持ちで声を掛けたが、彼からは恨めしい目で睨まれてしまった。
言いたいことはわかる。学者殿には学者殿のしがらみや、これまで積み上げてきた知見の枷というものがあるのだろう。
その点、こちらは無学無官。何を見て、どう考え、どのように他人に伝えようとも、誰にはばかることもない。しかも、未来の技術の一端を知る身として、大抵のことは「まぁそんなこともあるのかな」でひとまずは納得できてしまう下地もある。
我ながら、なんとも気楽な立場なものではないか。
「クロウくん、きみ、いかにも他人事っていう顔をしてるけど。きみだってアレを間近で見たじゃないか。あんなものを見て、なにも思うところはないのかい?」
「なにもない、ということはありませんが」
「ふぅん。なら、是非とも聞かせてもらいたいね」
「大したことではありませんよ。ただ単に、『あれなら斬れそうだな』と感じただけです」
そう言うと、「はぁ?」とハネトが目を丸くした。
「雷獣といっても、本物の雷を落としたり、あるいは雷に変化するわけでもなかったではないですか。あの獣がやってみせたのは、雷に似た何かを身に纏うだけのこと。その雷に似た力にしても、傷を残さず痛みを与える、つまり、威嚇のようなものにしか思えませんし……」
「う、うーん?」
「爪牙のような武器も持たず、外皮も鎧の如き硬さがあるようには見えませんでした。であればやはり、あれは刀で斬れる相手なのではないか。私が感じたことといえば、そんなところですね」
「……呆れるべきか、感心するべきか」
などと言いつつ、学者殿は明らかに呆れの表情を浮かべていた。
失敬な。私に限らず剣術家であれば、未知の存在に対してこの手の感想を最初に持つのは珍しいことでもあるまいに。
「雷の話のときもそうだったけど、いつもそんなことばかり考えてるのかい?」
「ええ、まぁ」
「へぇ……。ならさ、僕と会ったときもそうだったわけ?」
「もちろんです」
「あ、そう」
あっさり返事をすると、ハネトは唇の片側をぴくりと持ち上げた。
皮肉だったのだろう。やりにくいな、と顔に書いてあった。
「……しかし、いったい何が目的だったんだろうね、彼女」
「シマ殿のことですか?」
「あの場に僕が立ち会う意味、あったと思う?」
腕を組んだハネトが憮然として言った。
「調査のためなんて言われて来たけどさ、彼女、雷獣の正体について自分なりに納得してたんじゃないかな。あんな……、えー、天女様を侍らせてたわけだし。いまさら僕がどんな見解を出そうがもう関係ない、というか」
「そうであっても、一応は第三者の意見を聞いておきたい、と考えたのでは?」
「なんだかしっくりこないなぁ」
「あるいは、単純に誰かに雷獣を見せびらかしたかったとか。シマ殿は意外とその手の稚気がある方に思えます」
言いながら、心中には枕に仕込まれた伝言が浮かんでいた。
難しい顔で唸るハネトの表情を注視する。サナの伝言は、この学者殿の到着を待っていることを示唆していた。もしかしたら、この男を呼び寄せたのもシマではなくサナの判断なのかもしれない。
ハネトに雷獣を見せることに、何か意味があったのだろうか。わからないが、あの未来人がまったく無意味なことをするとも思えない。
「クロウくんは、屋敷にあの天女がいると知っていた?」
「いえ、まったく」予測はしていたが、確信はなかった。「ここ十日に屋敷を訪れた客は私だけだと、先日シマ殿が言っていました。彼女が嘘を言っていないのであれば、天女が降りてきたのは十日よりも前か、それとも今日になって急に、ということになりますね」
おそらくは前者。枕の件があったのはそれより後だ。素知らぬ顔で通していたシマは、なかなかの役者といえる。
時系列を考えれば、私が故郷を出立するより早く、サナはこの屋敷に目をつけたことになる。どうやら料理屋への伝言は無駄だったらしい。しかし、そうなると、彼女はどうやって雷獣の情報を得たのだろうか。
「アレは斬れそうかい?」となにげなくハネトが聞いた。
「さて……、どうでしょう」
「おや、そこは言い淀むんだ」
「得体が知れません。あの薄羽のような羽衣も、雷獣の力を受け流していたように見えます。尋常の装束ではないでしょう。となれば、内に着ていた着物もただの布とは限りません。首尾よく刃を当てたところで、徹るか否か……」
たしか彼女は『いんなあ』と言っていた。鎧下のようなものだと思うが、胸に受けた弾丸を止めるような代物だ。以前会ったときと同じように彼女がそれを着込んでいるのなら、こちらの刀が通じるかは怪しいところだと思う。
「無論、布に覆われていない素肌を狙うといった手段はあります。ですが……」
「ですが?」
心情的に刀を向けにくい、と言いかけた。
しかし、ここで顔見知りと白状するのもどうだろう。ハネトは真顔だった。自然を装っているが、こちらを探っている気配がある。
好奇心に富む学者殿に、天上の乙女と通じていると知られる……。深く考えずとも、厄介事に発展するとしか思えなかった。
誤魔化すしかないか。
「ですが……、顔が好みなので、刃が鈍るかもしれませんね」
「……」
「かわいかったですよね。さすがは天女様」
「……いい性格してるよ、きみ」
ごもっとも。
そこそこ本心が混じっていることは、心の中にしまっておこう。




