06
雷獣と聞いてからずっと考えていることがあった。
すなわち、雷を斬ることは果たして可能なのか、という問題だ。
「百年以上昔の伝説になるけど、雷を斬ったという武将がいたそうだよ」
煙管の灰を火鉢に落としながら、ハネトがそう応じた。
蔵の案内の翌日に現れたこの男は、雷獣の調査のためにシマの招いた学者であり、上等な藤の着物を着こなす伊達者であった。年の頃は三十の半ばといったところ。精悍な顔つきで無精髭を撫でながら博学を広げる姿は、なかなかどうして様になったものだった。
「とはいえ伝説は伝説。事実かどうかは怪しいところだね。よしんば事実であっても、たまたま落雷を受けて生き延びただけだとか、ある程度の誇張を含んで語られてることも考えられるかな」
襖一枚を隔てた中庭では、しんしんと雪が振り続けている。昨日から舞っていた雪は、午前から本降りになっていた。降りしきる白い塊の勢いを鑑みるに、そろそろ足首が埋まるほど積もっていることだろう。
屋敷を訪れたハネトも道中はずいぶんと難渋したらしい。今朝方に旅籠を出立し、雪が本格化したときにはもう戻るに戻れないところもまで進んでいたのだとか。編笠に雪をたっぷりと積もらせて現れた彼の顔は、血の奥から凍りついたかのように真っ青になっていた。
がたがたと震えるハネトを見て、シマはまず暖を取るようにと取り計らった。彼女は「雷獣の調査は人心地ついてからで結構」と言い残して、今は自分の部屋に引っ込んでいる。
案内された客間で火鉢に指をかざすうちに、ハネトの血色も段々と良くなってきた。懐から取り出した煙管を燻らせ始めたところを見るに、かなり調子が戻ってきたらしい。
同じ客間で、私も暖房の相伴に預かっていた。
激しく雪の降る外を出歩くわけにはいかず、かといって与えられた居室にこもっていてもやることがない。要するに手持ち無沙汰なわけで、シマが自室に戻った以上、話し相手にハネトを捕まえたのは自然な成り行きだった。
「もう少し詳しいことはわからないのでしょうか?」
「これ以上の話となると……、そうさな、雷切を成したその武将は、落雷の衝撃で下肢の自由を失ったとも、あるいは逆に、雷神の加護を得て無双の武勇を誇ったとも伝えられているね」
「それだけですか?」
「それだけ、とは?」
「結果にはあまり興味がありません。肝要なのは、如何にして雷を斬ったのか。私が知りたいのは、その過程なのです」
「ほぅ」
あぐらを組み直したハネトが、興味深そうに瞳を輝かせた。
「これがイスルギの剣客かぁ」と呟きながら、男は鳶のように表情を鋭くする。
「さて、かの武将が如何にして雷を斬ったのか、か。一説によると、彼はその日、大木の陰で昼寝をしていたらしい。そこに突如として夕立が降りかかり、落雷の気配がするやいなや、武将は素早く刀を取って起き抜けにばらりずん、と」
「そうして落雷を斬り伏せたわけですね」
「まぁそういった文書が残ってはいるけど、さっきも言った通りこれは戦国時代の逸話だよ。正しい保証なんてどこにもない」
「……いえ、参考になります」
目を閉じて、雨の日の落雷を瞼の裏に描く。
視界を白に染める一瞬の後、目を開くと、好奇心を隠しきれないハネトの表情が待っていた。「参考になるとは?」と問う彼に、思考を纏めてから言葉を返す。
「雷は刹那の内に天から地へと走り抜けるもの。いかなる達人の剣であれ、その速度に追いつくことは叶わないでしょう。すなわち、雷が走るのを見てから刃を振るうというのは、そもそも不可能というものです。昼寝のために目を閉じていた武将は、図らずとも目に頼らず刃を繰り出した。それが功を奏して雷を斬るに至ったのではないでしょうか」
「ふぅむ。それで?」
「目に頼らずといっても、闇雲に刀を振り回しても仕方ありません。しかし、落雷は高所に好んで落ちると聞きます。その雷は本来、武将ではなく彼が涼んでいたという大木を目掛けて落ちたのかもしれません。つまり、機会を逃さず刀を振れば雷を斬り得る場所に武将は寝転んでいた、と考えることができます」
一呼吸を挟み、ハネトの様子を窺う。
対面の彼は、どこか面白がっている様子で続きを促した。
「その伝説とまったく同じ状況を再現するのは現実的ではありません。方策としては、雷の走る予兆を掴み、先んじて落ちる先を誘導しておいて、そこを斬る。これしかないでしょう」
「……具体的には、どうやって?」
「それはこれから考えます」
苦笑しながら答えると、ハネトは「あらら」と表情を崩した。
「そもそもいくら考えたところで、雷に挑むなんて無謀もいいところですし……」
「おや、その自覚はあるんだね。なら、さっきまでの話も本気ではないのかな」
「本気ですよ。能うか能わざるかはさておき、予測と対策を練るのは常のことです。……もっとも、余計なことに気を回しすぎるのも良くないと、師からは釘を差されているのですが」
「師というと、かの有名なイスルギ・タツミが、ねぇ」
腕を組んだハネトがそう言って唸った。
「……僕からひとつ助言ができるとすれば、雷というのは金属に引き寄せられるもの、というコトくらいかな」
「金属に? 失礼ながら、ハネト殿は雷の性質に詳しいので?」
「あー……、いや、あまり偉そうなことは言えないのだけど。雷の正体なんて、僕にも説明のしようがないし。ただ、そういう実験の結果を知ってるっていうだけ」
「なるほど、高所に落ちる他にもそのような性質が……」
謙遜しているが、十分に詳しいではないか。
ハネトの言葉を反芻しながら、腰の愛刀を意識する。常に持ち歩いている金属品といえば、やはりこれだろう。
はてさて、この情報は喜ぶべきものだろうか。雷が自然と刀に引き寄せられるというのであれば、それを斬る、あるいは受けるといった動作は行いやすくなるのかもしれない。
しかし、実のところ雷を斬ることは本来の目的ではない。より正確に目的を設定するのであれば、斬りたいのは『雷獣』なのだ。
雷獣がその名の通り雷を操る獣であるならば、放たれた雷を捌き、切っ先を本体へと届かせる必要がある。雷に触れると同時に刀をはたき落とされてしまうともなれば、それは本末転倒というやつだ。
「クロウくんは」と、ハネトが口を開いた。
彼の使う、『くん』という呼び方はどうにもむず痒い。学者の界隈の流行りなのだろうか。
「雷獣にはあまり興味がない?」
「え? いえ、そんなことはありませんが……」
「その割には僕に詳しく聞いてこないよね。一応さ、雷の専門家とかじゃなく、雷獣の調査っていうのが僕が招待された名目なんだけど」
おっと、と虚を突かれたのが顔に出てしまったかもしれない。
「ふむ」と呟いたハネトが、訝しむように顎の髭を撫でた。
「さては、聞いても仕方ないと思ってる? 本物の妖怪がいるのなら、にわか知識の学者が見てもなんにもわからないだろうと。……あるいは逆に、君はもう雷獣の正体を知っているのかな? 知っているから聞く必要もない、とかでさ」
「……」
鋭い。どちらも当たっている。
彼女が出張ってきているなら、十中八九、雷獣は未来の生き物だ。
その点では確かに雷獣の正体に当たりをつけていたし、それと同時に、ハネトがどれほど優れた学者であっても雷獣の正体を言い当てるのは不可能だと決めつけていたのも事実だ。
その辺りの機微を会話の内に感じ取っていたのか。想像以上に聡い男だ。
ハネトは挑戦的に唇を吊り上げている。
何を考えているのか。ひょっとしたら、私とシマがぐるになって彼をからかっているものかとでも疑っているのだろうか。
「なにか誤解があるようですが……。無論、私も雷獣なるものの正体などは知りませんよ。ただ、もうすぐシマ殿に実物を見せてもらえるわけですし、ハネト殿の意見を聞くのはその後でもいいかなと、そう思っていただけです」
「そうかい? まぁ、ひとまずはそういうことにしておこうか」
かつん、とハネトの煙管が火鉢の縁を鳴らした。
見計らったかのように客間の襖がするすると開く。廊下から凍えるような冷気が吹き込んでくる。姿を現した屋敷の爺やが、廊下に正座したまま恭しく頭を下げた。
「御二方、お待たせ致しました。お嬢様がお呼びです。どうぞ、お部屋の方へ……」




