04
爺やに案内されたのは、手入れの行き届いた畳張りの居室だった。几帳面に掃除された部屋は建付けも良好で、もちろん隙間風のひとつも吹き込んでこない。この点だけでも自分の長屋とは雲泥の差である。
部屋の中央に敷かれた布団はふわふわと膨らんでいて見るからに柔らかそうだ。馴染みの煎餅布団と比べるのも烏滸がましいというもの。街道沿いの旅籠でさえ、よほどの高級店でなければ、これほど上等な寝具は供していないだろう。
それだけではない。部屋の隅に置かれた文机や火鉢といった家具も見た目からして真新しく、質の高い物を選んで置かれていることが見て取れる。客用の居室ひとつ取ってもこれなのだから、屋敷の他の家具も推して知るべきというもの。アガツマ屋の主人がこの環境を作るのに相当な金額を掛けたことは間違いないだろう。
「とはいえ、盗人がわざわざ狙いを定めるものでもない、か」
大抵の家具や生活用品は、値段に比して重量がある上に嵩張るものだ。いくら高級だからといって、布団やら箪笥やらを盗み出してえっちらおっちら運んでいこうというのも間の抜けた話である。その上、換金のために街まで運び込もうものならどうしたって輸送中に人目についてしまう。総じて、盗賊にとって割の良い獲物とは言えないのではないか。
交易品としての側面のある茶器の類であればわからないでもないが……、シマの口ぶりからすると、おそらく名のある芸術品のような規格外の逸品は屋敷に置かれていないように思える。そういえば庭にも茶室は建てられていなかったな、と思い出す。あくまでも普段使いの道具に上等な物を選んでいるだけ。そういう方針なのだろう。
「となれば、この屋敷でもっとも価値があるのは……、シマ殿自身の身柄か?」
畳の上に腰を下ろし、そう呟いた。
なにしろ藩主御用達の大店の娘である。これで親と不仲であれば話は違ったろうが、見たところ家族仲は良好。彼女を拐かして身代金をせしめる、という可能性も考えて然るべきだ。
この点、シマはどう考えているのだろうか。自身が狙われる可能性に気づいていないのか、あるいは、気づいているが敢えて無視しているのか。おそらくは後者の気がする。彼女の頭の回転なら、思い至らない方が不自然だ。
どうも彼女には厭世的というか、自分のことに投げやりな雰囲気がある。己の価値を低く見積もりがちな気配が言葉の端々に滲んでいた。生まれついての病弱が彼女の気質をそういうものにしたのだろうか。
しかし、誘拐か。
検討すべき可能性ではあるが、思わず唸ってしまった。
盗みと比べても危険が大きい。賊にとっても、守る側にとっても、だ。
守る側にとっては、言うまでもなく、人質を取られる危険があるのが最大の問題だ。そも、誘拐とは人質を前提にした犯罪と言ってもいい。たとえ押し入った賊を追い詰めても、人質に刃を向けられれば容易には手を出せない状況を作り出されてしまう。ある意味、物を狙った盗みよりもよっぽど厄介だ。
一方で、賊としても誘拐という手段は悩ましいものだろう。
なにしろ、目当ての相手を盗んで終わりではない。その後になって人質の縁者から身代金をせしめなければならないのだ。交渉、受け渡し、そして人質の解放、そのすべてに捕縛の危険がついて回る。
そもそも、交渉が纏まらないという可能性だってある。そうなってしまえば、いかに首尾よく盗みを働いたとしても、得られるものは何も無く、結果としては徒労にしかならないのだから。
「要するに、割に合わない。が、だからといって人は理屈だけで動くわけでもないわけで……」
ひとしきり考えを巡らせてみるが、いまひとつ予測が纏まらない。肝心の賊の情報が無いのだから、当然といえば当然である。せめて賊の首魁の性格でも分かれば、もう少し具体的な想定を組み立てられそうなものなのだが。
実際のところ、何事も起こらず賊が捕縛されればそれに越したことはない。偽らざる本音だ。別に盗賊とことを構えたいわけではないのだから。それに、屋敷への逗留がまるまる無駄足になるわけでもない。
むしろ、余計な事態に煩わせられずに雷獣と向き合えれば理想的とも言える。
そう、雷獣だ。
「隠すでも誤魔化すでもなく、披露する、とまで言ってのけるとは」
瞼を閉じてシマの口ぶりを思い出す。
はったり、ではないはず。相手の出方によっては密かに家探しすることも辞さないつもりだったが、さて、どうしたものか。屋敷の主が「見せる」と言っているのだから、下手に藪をつついて不興を買うのも下策だろう。
彼女が呼び寄せた学者というのも気に掛かる。数日の内に到着するというのであれば、それまでは大人しく待つべきか?
「……うん?」
ぐるぐると考えを巡らせつつ、なんとはなしに敷かれた布団の枕に触れると、かさりと小さな音がした。
不思議に思って持ち上げてみれば、枕の下には四つ折りにされた小さな紙片。
拾い上げて中身を検めてみると、そこには見覚えのある歪な筆跡で短い文章が書かれていた。
『雷獣は本物。
事情があってすぐには動けない。
件の学者を待つ必要あり。
しばらく静観して欲しい』
どきり、と胸が鳴った。
思わず部屋の中を見回してしまう、が、当然誰かがいるでもない。
太陽はとっくに沈んでいる。行灯の弱々しい灯りが、自身の影をゆらゆらと揺らめかせているばかりだ。衣擦れの音も自分のもの。他に聞こえるのは、襖の外の風の音と虫の声だけ。
「なんともはや」
呆れとも感嘆ともつかない言葉がこぼれ落ちる。
まぁ、まぁ、まぁ。
不意打ちだったのは確かだ。けれども、そんなに驚くことじゃない。
だって、そうだろう? 彼女ならこのくらいの悪戯は、きっと朝飯前だ。
だからほら、まずは落ち着いて深呼吸。それからしっかり頭を回せ。
彼女がこちらの伝言を受け取ったのか、それとも独自にこの屋敷を調べていたのかはわからない。しかしいずれにせよ、彼女は既に雷獣の正体について確たるものを掴んでいるようだ。その上で、なにかしらの事情があり、しばらく様子を見るように伝えてきているわけだ。
文面を見るに鍵となるのは、やはり、呼び出されたという学者だろうか?
だが、この時代の人間を彼女が気に掛ける理由とは?
「……はぁ」
不意に溜め息が漏れた。
思考が急激に鈍化する。思い浮かぶのは益体もない言葉ばかり。
虚脱感が肩にのしかかる。額に指を当てて、盛大な溜め息をもう一度。
詰まるところ、私はきっと、がっかりしていた。
いったい何に?
雷獣の調査で遅れを取ったこと? 提示された情報が断片的にすぎること?
それとも、彼女の顔を見れなかったこと?
まったくもって、ひどいなまくらになったものだ。
自嘲する気すら起きず、瞼を閉じてごろりと身体を横に倒す。
「……寝よう」
転がり込んだ布団は、憎たらしいくらいに柔らかかった。




