03
アガツマ屋の御息女は気だるげな表情で文机にしなだれかかっていた。
年の頃は二十かそこらだろうか。まず、肌の白さが目についた。菫色の着物から覗く手首もひどく細い。骨と皮だけ、とまでは流石にいかないが、強く握れば折れてしまいそうな儚さがある。顔の作りも細身で鋭い。しかし、丸みを帯びた目尻の印象が、かろうじて彼女の纏う雰囲気を和らげていた。
ちょいちょい、と手招きされ、彼女の部屋に入る。
娘は品定めするようにじっとこちらの顔を見つめた後、ふいと背後の老使用人に視線を飛ばした。
「爺や、お茶の用意を」
「かしこまりました、お嬢様。少々お待ちくださいませ」
するすると背中で襖の閉まる音が聞こえた。老人の気配が遠のいていく。
外の寒風に対して、部屋の中はほんのりと暖かかった。娘の傍らには火鉢と、使い込んだ様子の煙草盆が置かれている。文机の隅には表紙の反った帳面と算盤、それから筆と硯とが綺麗に並んでいた。
娘の背後には閉め切った襖。どうやら奥にも別の部屋が続いているらしい。
「改めまして、当屋敷を預かるシマと申します。どうぞお見知りおきを」
「タツミの紹介で参りました、クロウと申します」
娘に名乗り返し、畳に頭を下げる。
頭のつむじに視線を感じた。顔を上げると、案の定、シマの黒い瞳がこちらを見つめていた。何が面白いのか、口元はゆるく弧を描いておりいかにも上機嫌といった様子である。
「お噂はかねがね。聞いた通りの、ふふ、凛々しいお方ですわね」
「は……? あの、誰がそのようなことを」
「知人から少々。いえ、お気になさらず。悪いお話は聞いておりませんので」
袖で口元を隠してくすくすと笑みを溢すシマの様子に、思わず首を傾げそうになる。師や兄弟子ならいざ知らず、私個人の噂などいったい誰が流すというのか。
疑問が顔に出たのだろう。しかし、シマはひらひらと手を振り、聞いてくれるな、と笑うばかり。私は喉まで出かかった追求の言葉を飲み込み、つい口をへの字にしてしまった。
「ごめんなさい、こんな辺鄙なお屋敷に押し込められていると、ちょっとしたことでもなんだか愉しくなってしまって。クロウ様のことはとても腕の立つ剣客とお聞きしています。名高きイスルギ流の達人が当家の依頼を受けていただけるのであれば、ええ、まさしく百人力ですわ」
「……大袈裟です。御依頼には微力は尽くしますが、私などまだまだ」
「そうご謙遜なさらず」
わざとらしく大仰な言い草に憮然とした表情を取ってしまう。
その様子を眺めて、シマが愉快そうに口元を緩めた。
「では、お仕事の確認をいたしましょうか。といっても、大枠のところはお父様から既に聞いているかと思いますが」
「はい。どこぞの賊がアガツマ屋を狙っている気配がある、と」
「おかげでお父様とお店はてんてこ舞い。藩主のお殿様にもご助力願って、普段以上に市中の警戒を強めているとか」
「けれども、まぁ」とシマが皮肉げに頬を歪ませた。
「私にとっては、やはり、対岸の火事のように感じてしまいますね。いえ、もちろんお父様のことは心配ですよ? ですが、だからといって私にできることがあるのかといえば、それは否です。手伝えることもないのにのこのこと街まで出ていこうものなら、それこそお父様の足を引っ張るだけ。結局のところ、いつも通り、この屋敷で事態の解決を待つしか無い。……それだけのことです」
彼女が言葉を切ったちょうどそのとき、老使用人が茶を運んできた。どうぞ、と彼女に勧められ、二人で熱い茶を一服する。上等な葉を使っているのだろう、渋みの少ない爽やかな風味だった。自然にほぅと息が漏れる。
先ほどのシマの口ぶりにはどこか諦観の念が滲んでいた。しかし、投げやりになっている様子ではない。彼女なりに熟考した上での結論なのだろう。
実際、それは賢明な判断といえる。病弱な娘がふらふらと鉄火場やってきたともなれば、アガツマ屋の主人も気が気でないはずだ。
「しかし、離れた場所にいてもらうのもそれはそれで心配だと、御父君はそう考えたわけですね」
「ええ……。心配のし過ぎだと思いませんか? 私はもうずっとこちらのお屋敷に住んでいるのに、今更になって何を心配しているのやら」
「店の警備が厳しければ賊が矛先を変えるかもしれません。御父君が不安に思うのも無理はありません」
「どうでしょうね。アガツマ屋の財産はほとんどが市中の蔵に収めてあります。この屋敷に目ぼしい財産が無いことなんて、少しでも下調べをすればすぐわかることですわ。盗人にしてみても、わざわざ狙う価値なんて……」
「愉快な話ではありませんが、単なる腹いせ、ということもありえますから」
シマの眉が不快げにぴくりと傾く。
彼女はこちらをじっと見つめ、やや間を置いて、深々とため息を吐いた。
「理解できませんね。ですが、お父様の判断に異を唱えるつもりもありません。クロウ様にはしばし当屋敷に逗留いただき、有事の際の助力を願いたいと思います」
「無論、そのつもりです」
「申し訳ありません。どうせ何も起こらないとは思いますが……」
「何事もなければそれで良し。しかし、依頼を受けた以上、全霊で臨みます。どうぞご安心を」
「真面目な人」
くっと喉を鳴らして、シマが微笑んだ。
箱入り娘と聞いていたが、想像とはだいぶ違う印象だ。やや斜に構えた性格のようだが、はっきりとした自分の意見を持っているし、人見知りというわけでもなさそうだ。
ともすれば甘やかされて育ったわがまま娘の相手をしなければならないのかも、と考えていたのだが、どうやらそれは杞憂だったらしい。
「この屋敷に目ぼしい財産は無い、とおっしゃいましたね。それは本当でしょうか?」
「ええ、金子は最低限しか置いてありませんし、換金しやすい宝飾品もありません。私、細工物やら宝石やらにはあまり興味がなくて……。ほら、着飾っても見せる相手がいませんから、ねえ」
「では、庭の蔵には?」
「あそこは……、そうですね、ご興味があれば明日にでもご案内しましょう。もっとも、値打ち物が仕舞ってあるわけではありませんが」
「というと、何が収めてあるのでしょう?」
「そこは実際に見てのお楽しみということで」
シマはそう言葉を切って茶碗を手に取った。どうやら蔵の中身について今は説明するつもりはないらしい。
私は、探るように問いかけた。
「ひょっとして、雷獣がいるのですか?」
「まぁ……! あらあら、どこでそんな噂を聞いたのかしら?」
「シマ殿が雷獣なるものを拾ったと、タツミから伝え聞いたもので……」
「クロウ様は妖怪を信じおいでで?」
「妖怪と呼ぶかはわかりませんが、世には尋常ならざる獣がいるのだと、そう理解はしています」
興味津々の黒い瞳がこちらを覗き込んでくる。
娘の視線をまっすぐ見つめ返す。心当たりがまったくない、という態度ではない。真実か与太話か、五分五分と思っていたが、天秤は傾きかけていた。
「……蔵にはいません」
しかし、シマはあっさりと首を振った。
それから指を唇に当て、悪戯な表情で言葉を続ける。
「実のところ、クロウ様の他にも招待しているお客人がいますの」
「客、といいますと?」
「都の学者様です。なんでも外つ国の動物に詳しい方なのだとか。予定では数日中に到着する予定です。学者様をお呼びした目的は……、ええ、お察しの通りです。『不思議な動物』の鑑定をしていただこうかと」
屋敷の主は、月のようににっこりと唇を弧にした。
「学者様が到着しましたら、クロウ様にも雷獣を披露いたしますわ」




