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しゃらり、と刃が音を鳴らす。
鎌と呼ぶにはあまりに大きい。大太刀、否、斬馬刀と言った方が正確だろう。浅く湾曲した長大な刀身が、獣の尾に接続されている。洞窟の冷たい岩肌にその大刃が擦れる度に、高く涼やかな音が鳴るのだ。
まるで刃研ぎ。あるいは、あれにとっての爪研ぎか。
刃を担う四足獣は、その大振りな得物に相応しい体躯の持ち主だった。がっしりとした熊にも似た巨体。身体の線は太い。しかし、四肢は熊よりも長く、結果としてすらりとした印象を受ける。重心は安定していて、尾部に重石を持っているというのに、その歩みにはしなやかさを感じられた。
だが、なによりも奇妙だったのはその輪郭だ。
目を凝らしても正確な形を捉えることができない。獣の輪郭は周囲の風景と混じり合い、あやふやに歪んでいる。洞窟の暗さによるものでもないだろう。あれでは、まるで……。
「陽炎?」
「屈光性の毛皮による欺瞞効果ね。もっとも、メインの目的は電子観測に対するステルスで、光学的な効果は副産物らしいけど」
「……それは、妖術の類ですか」
「歴とした科学技術よ。曖昧なのは見かけだけ。実体は間違いなく存在するわ」
言葉の正確な意味は不明だが、言わんとすることの大枠はわかった。要するに理外の術ではなく、生物としての仕組みということなのだろう。蛙が背景に合わせて自身の色を変えるのと同じようなものと理解した。
なんとなくだが、一度気を失ってからサナの言葉の調子が変わった気がする。理解の及ばない単語を使うことを躊躇わなくなった。あるいは、言葉を選ぶ余裕がない証左なのかもしれない。
広間の入り口に陣取ったかまいたちは、歪んだ輪郭の内から爛々と目を輝かせている。宿るのは明確な敵意。ゆらりと揺れる尾の太刀が、蛇の如く鎌首をもたげている。
「それで、生かして捕まえるにしても、おとなしくさせる当てはあるのですか?」
「ちょっと待って。……拠点防衛のルーティンがオーダーされてる。認証者以外を排除する命令か。外部からの変更は……、受け付けない? あいつら、プロトコルに手を加えやがったな」
「もう少し、わかるように」
隣から舌打ちが聞こえた。振り向く余裕はない。かまいたちから視線を離さず、正眼に構える。切っ先を向けて牽制するが、あの巨獣に対してどれほどの効果があるのやら。
じりじりと、横に動く。このままでは眠っているゴンザに近すぎる。移動に合わせて、かまいたちの首が追ってくる。獣の瞳は細身の顔の横寄りについている。視野が広くなる形だ。顔の中心はこちらに向きつつも、サナの動きも把握出来ているに違いない。
そのまま少し距離を離したところで、サナの方からかちゃりと音が聞こえた。
「薬を撃ち込むわ。十秒、ううん、五秒でいいから注意を惹いて欲しい」
「秒?」
「変換すると……、ああ、もう! とにかく一瞬でいいから!」
「承知」
叫んだ彼女が可笑しくて、少し頬が緩んだ。良い塩梅に身体の強張りが抜ける。
横方向への移動を止めて、一歩前へ。かまいたちの身体が僅かに低くなる。四肢に力が籠るのが見て取れた。尾を伸ばしても刃は届かない距離。お互い、出方を窺っている。
頬の綻びは消えていた。静かに息を吸い、全身に呼気を行き渡らせ、止める。
膨張した力が充溢した瞬間、地を蹴った。
真正面から間合いを詰める。切っ先はやや低め。目測、十四歩。
かまいたちがその場に小さく跳ぶ。
独特の挙動。四分の一の回転。
体側がこちらを向く。尾の太刀が撓る。
刺突。
地を這うように放たれた尾撃が眼前に迫る。
轟、と風音。
刀を傾ける。
疾駆は止めず。
軌道は既知。
故に、噛み合う。
「――!」
劈く金属音。
刃と刃が触れる。
加速度を乗せて、身体で去なす。
回転。
雨中の傘の如く。
銀の火花を飛沫と流し。
かまいたちの刃を掻い潜る。
旋回する視界が、後方に抜けた尻尾を見送る。
回転はきっちり一周。
足裏が地面を掴む。
ふらつきは刹那。減速は微々。
そのまま突進。
視界の端、伸びきった尾が震える。
咄嗟に、半歩左へ。
戻りの尾撃が、真横で地面を抉る。
空気が爆ぜた。
砕けた石片が頬を掠める。
逃げる刃を追い、踏み込む。
(捉えた)
獣は変わらず横向き。引き戻した尾剣が遠心力に乗って大きく弧を描く。
次は横に薙いでくる。それを読み、後ろ脚に向けて飛び込んだ。
直後、かまいたちの片脚が跳ね上がる。
迎撃の蹴り脚。しかし、可動域は狭い。
身体を倒し、足を先にして地面を滑った。
岩肌の冷たさ。
摩擦の熱さ。
蹴りと横薙ぎ、二連の暴力が頭上を通り抜けていく。
跳ね起きる。
薄く張った水の飛沫。
掌中に刀の柄。
指を握り。脇を締め。過たず。力を徹し。
「ッ!」
かまいたちの尾。その根元に、刃を突き立てた。
硬く、しかし、弾力のある手応え。
刃が半ばで止まる。
歯を噛む。膝を沈める。己を鋼とする。
吼える。
風の震えだけが聞こえる。
唐竹に刃を引く。
硬い抵抗に刃が食い込む感触。
そのまま一息に。
断ち切った。
「キ、ィイイィ!」
奇妙な嘶き。そうか、これがかまいたちの鳴き声か。
同時に、ばちりという音。刎ね跳んだ尾から、白光が迸る。
あれは、雷か?
疾駆の勢いを、かまいたちの尻の後ろで制動する。切っ先を滑らせながら、再び獣に向き直る。得物を失ったかまいたちは、機敏に態勢を立て直し、頭部をこちらに向けてきた。
やはり、輪郭は曖昧。その陽炎のような佇まいの中で、怒りに燃える瞳だけがやけにはっきりと見える。瞳孔は透き通る青。その冷たさが、今は沸騰している。殺意を叩きつけらる。真っ直ぐに、睨まれている。
だが、それでいい。
かまいたちの意識が完全にこちらに向いた瞬間、洞窟に破裂音が響き渡った。
銃声だ。
「おイタはそこまでね」
サナの声には優しさと冷たさが半々に混じっていた。
銃声の直後、かまいたちがぶるりと身を震わせた。次いで、瞳が蕩け、焦点を失う。巨体を支えていた屈強な四肢は徐々に弛緩し、やがてその胴体を地に落とした。
四つん這いになりながらも、かまいたちは焦点の合わないままにこちらを睨んでいる。刀を下ろすことはできない。この瞬間が最も危険だと経験が告げていた。
だが、それも暫しのこと。呼吸を十と繰り返すうちにかまいたちの瞼はいよいよ重くなる。殺気が霧散し、まるで猫のように身体が丸くなった。
唸り声が喉を鳴らす。それを最後にして、獣の瞳は完全に閉ざされたのだった。




