21
乾いた音が鳴った。
黒法師の肘先が小さく跳ねる。
短筒の先端から細い白煙。僅かに遅れて、火薬の臭い。
「ぁ」
喉から呼気が漏れる音。
すぐ隣から聞こえた。
サナが、崩れる。
支えを失い、背中から。
のけ反る。落ちていく。
「っ――!」
斜めになった彼女の身体を抱き留めて、石筍の陰に転がり込んだ。
提灯が地面に落ちる。灯りが揺らぎ、消える。
抱えた肢体はまるで粘土のよう。意識がないのだ。手応えが重い。
瞳は閉じている。呼吸は詰まりがちで不規則。
灯りが足りない。しかし、着物の胸元に黒い穴が空いているのが見えた。
――心臓の位置だ。
「サツのイヌが……! しつこいんだよ!」
石筍を挟んで罵声が飛ぶ。
再び破裂音。地面の岩肌が弾けた。
近い。
撃ってきている。
遮蔽の陰にサナを横たえ、視線を持ち上げる。
ゴンザが別の石筍の陰にいるのが見える。
頭の中で黒法師の位置を描く。
大きく息を吸い、岩陰から飛び出した。
「っ、そこか!」
黒法師を横目に、斜めに走る。
側面を取りたい。距離を詰めるのは、まだ。
黒法師の腕が水平に動く。銃口が追いかけてくる。
黒い孔が揺らぎ、定まる。
斜め前に石柱。
蹴りつけて、無理矢理方向を変える。
「くそっ、ちょこまかしやがって……!」
銃声。続けざまに二発。
石柱を蹴った勢いのまま地面を転がり、跳ね起きる。
洞窟に轟音が反響している。
痛みは無い。撃たれてはいない。
黒法師が短筒の先を滑らせる。逃れるように、また走る。
弾込めは。
黒法師を見る。短筒は構えたまま。射撃を止める気配はない。
舌打ち。どういう手妻だ。
「おおおぉ!」
黒法師の背後から咆哮。
ゴンザが岩陰から飛び出す。右手には抜き身の長巻。
斬り込むには遠い。しかし、圧がある。
黒法師が咆哮に振り向いた。
瞬息、鋭角に地を蹴り、その背を目掛けて走る。
挟撃。
突進するゴンザに向けて、黒法師が引き金を引いた。
火薬が爆ぜる、一瞬の光。
「ぐお……」
「はっ! ノロマめ!」
ゴンザのくぐもった声。駆けていた足を縺れさせ、肩から地面に転げる。
掌から零れた長巻が硬質の音を立てて地面に落ちた。
口の端を吊り上げた男が振り返る。
身体の向きに合わせて、短筒がこちらを向く。
だが、遅い。
刃は、届く。
「シッ!」
抜きざまに、斜め下から斬り上げる。
銀の刃は、闇の中に黒い。
切っ先の影が弧を描く。
柔らかい手応え。肉を裂いた。
振り抜いた刃を血飛沫が追う。
視界の端に黒い塊。短筒と、手首から先。回転して、宙に舞う。
「ぎ……、テメ!」
至近。しかし、表情は読めない。目元に黒い板が貼り付いている。
黒法師が後ずさる。残された左腕が懐へ。
追って、踏み込む。
振り上がった刃を返す。
渾身。
袈裟懸けに。
斬り下ろした。
「あがっ……」
生温かい飛沫が頬に掛かる。黒法師の左腕が懐から零れ、空を彷徨った。
黒ずくめの身体が仰向けに倒れる。地面で軽く跳ね、沈み、動きを止める。
刀を構えたまま、切っ先を僅かに下げて、黒法師に向ける。
残心。
傷は致命のはず。
しかし、常識では測り切れない手合いだ。油断はできない。
そのまま、暫く。大の字に倒れた相手を見据える。
黒法師は、もう、動かない。
「ふぅ……」
漸く、息を吐いた。警戒は残しつつ、肩を柔らかくする。
息を入れ替えると、頭が急速に冷えた。
危地だった。弾込めの隙を当てにしたのは失策だった。黒法師に射撃の腕があれば、討たれたのは自分だったろう。
斬り伏せた黒法師の顔を見る。鼻から下の半分は白く、生気を感じない。目元には相変わらずの黒い板。よく見ると、板から耳に蔓が伸びている。材質もよくわからない。これはなんだろう。
それから……、そうだ。サナとゴンザは。
「……え?」
黒法師から目を上げ振り返ると、うつ伏せに倒れたゴンザの傍にサナが居た。地面に膝を着いて、ゴンザの身体に触れている。口元を固く結んだ表情。なにやら手当てをしているらしい。
心臓が早鐘を打つ。動揺している。意識してゆっくりと呼吸しながら、二人に近づく。
刀は、抜いたままだ。
「大丈夫。大事な臓器は外れてるし、弾も貫通してる」
足音に気付いたのか、サナがこちらも見ずに言う。
仰向けになったゴンザは瞼を閉じている。着物の脇腹が血に滲んでいるが、既に止まっているらしい。呼吸は穏やかで、規則正しかった。
「それは、ゴンザ殿のことですか?」
「そう。止血と鎮痛剤の作用で眠っちゃったけど、命に別状はないよ」
「サナさん。あなたの方は……」
「わたし?」
ゴンザから視線を持ち上げてこちらを見たサナは、瞠目し、それから眉を顰めた。
「クロウさんこそ、血まみれじゃない」
「返り血だけです。地面を転がった擦り傷くらいしかありません。それより……、その、胸を、心臓を撃たれたのでは?」
「え? ああ……」
何故か苦笑した彼女は、自身の胸元に目を落として穴の開いた着物に指を通して持ち上げた。銃弾に穿たれた穴は確かに存在する。しかし、落ち着いて観察すると出血がない。持ち上げられた着物の下には、素肌ではなく黒い肌着(らしきもの)が着込まれていた。
「インナーが防弾なの。衝撃で意識が飛んだけど、弾はここで止まったから」
「いんな?」
それには答えず、彼女は立ち上がり、黒法師の方に目を向けた。
ぴくりとも動かない男をじっと見つめて、彼女は溜め息を吐く。
「バイザーにスーツ……、この時代で偽装もなしとか、もうさ……」
詮なし、と首を振り、彼女はこちらを見る。
「……生きてる?」
「いいえ。斬りました」
「そっか」
「彼が、悪い人?」
「そう」
サナが指を唇に当てる。悩まし気に揺れる睫毛が見えた。細められた瞳が血濡れの刀を捉える。怯えの色は無いが、揺らいでいる。
「気に入りませんか?」
「え?」
「彼を斬ったこと」
「それは、そんな……」
言葉を詰まらせた彼女は、唇から指を離し、額に掌を当てて瞑目した。無防備だ。しかし、それはきっと彼女にとって必要な儀式だったのだろう。瞼を持ち上げた彼女の視線には、はっきりとした一本芯が戻っていた。
「本音を言えば、生きたまま捕えたかったわ。きちんと裁判を受けさせたかったし、取り調べて一味のことも聞きだしたかった」
「……」
「でも、殺されかけたのも事実。わたしの装備だけで確実に捕縛できたって保証もない。そもそも、クロウさんが物陰に引っ張ってくれてなければ、そのまま頭を撃たれてたかもしれないし……。だから、うん、ありがとう」
サナは小さく頭を下げる。浮かべた微笑みは、どこかぎこちなかった。その裏側に彼女の葛藤が見える。
けれど、これはまだ良い方だ。目の前で人が斬られれば、大抵はもっとひどい反応が返ってくる。動揺、怯え、不信。そういった視線には慣れてはいるが、やはり、苦手だった。
それらと比べれば、サナは冷静である。冷静であろうとしている。
何故だろう。
元々の気質なのか。覚悟があるからか。それとも、責務があるからか。
黒法師が放った犬という言葉を思い出す。彼女は猟犬か、番犬か。ころころと笑う平時との落差が、確かにそれらしい。そんな連想が浮かんだ。もちろん、本来の言葉の意図はわからないが。
「クロウさんは平気なの?」
「平気、とは」
「人を殺して、落ち着いていられる?」
「落ち着いてはいません」
「そうは見えないな」
「今は、気を張っているだけです」
「ああ……、そっか。まだあの子を見つけるって仕事が残ってるもんね」
「ここで待ちますか?」
「そうしよう。ゴンザさんを外まで運ぶのも大変だし」
すん、と鼻を動かすと、土の匂いや侍の腐臭よりも、火薬の焦げ臭さが目立つ。あるいは、その嗅ぎ慣れない匂いが臨戦を解けない原因なのかもしれない。薄く漂う煙も、どうにも落ち着かない。
錆を嫌って血振りをする。鞘に収めるべきか。少し、迷う。
その逡巡が、結局、幸いした。
「灯りを点けないと。提灯はどこに落ちたかな」
「ここよりも入り口の近くじゃない? 最初に隠れた石柱の……」
言葉が途切れた。サナも気づいたらしい。
足音だ。人のものではない。もっと重く、二本よりも多い。視線が洞窟の入り口に釘付けになる。薄闇にも目が慣れつつあった。
足音の質は湿っている。草履や下駄の乾いた音ではない。素足の裏で、岩肌に薄く張った水を叩くのが近い。狭い通路の向こうから、何重にも反響して届いている。
それを、待つ。待つしかない。
隘路の壁に影が映り、次いで、四足の巨躯が覗いた。
「かまいたち――」
百聞は一見に如かず、と彼女は言った。
まったくもって、その通りだと思った。




