18
「あれは、キタガワ家に代々伝わる守り刀だ」
質屋から出たところの往来で、ゴンザは鼻息荒くそう言った。悪気はないのだろうが、声が大きい。面倒ごとになる前に、質屋から距離を取るように彼を促しながら歩き始める。
ちらりと振り返ると、暖簾の合間から質屋の男の好奇に濡れた瞳が垣間見えた。なんとなく獲物を狙う蛙の表情を連想する。小さく溜め息。ゴンザの背を押して、やや強引に足を速めた。
「某も殿から見せていただいたことがある。銘も、聞いた通りのものだった。間違いない」
「だからって、買い戻そうとか考えちゃ駄目だよ」
「……なんだと。どういうことだ?」
二、三歩前を歩いていたサナが振り向いた。わざとらしく口を尖らせている。器用に後ろ向きに歩きながら、彼女はゴンザに人差し指を突き付けた。
「だってゴンザさん、お金ないじゃない」
「ぐ、む……、それはそうなのだが、なぁ」
「いくら頼んだって、わたしは出さないからね」
ぷい、とサナが進行方向に向き直る。ゴンザの視線が助けを求めるようにこちらに向いた。しかし、彼には悪いが、自分も肩を竦めることしかできない。
「残念ですけど、あの値段は私もおいそれとは払えませんよ」
「ああいや、金の無心をしようというわけではないのだ。気を悪くしないでくれ」
「そもそもさ、あの懐刀を手に入れて、どうしようっていうわけ?」
こちらを振り向かずにサナが問う。どことなく冷たい口調だった。
「無論、本来の持ち主たる殿にお返しするのだ」
「……あのね」
サナが足を止め、ぐるりと周囲を確認した。往来の人通りが折よく途切れる。彼女はゴンザと自分が追いつくのを待ち、それから歩調を合わせながら、小声で囁いた。
「ゴンザさんの居た時代から見て、今が百年後だって、理解してる?」
「話半分になら、な。某は某の戦場に戻れればそれで良いのだ。お主が約束通りに元の場所に送れるというのであれば、今が百年後だろうと百年前だろうと、どうでもよい」
「ばっさりだなぁ。ま、いいよ。それじゃ、百年の時間のズレがあるっていう前提で話すけどさ」
ふん、と鼻を鳴らしたゴンザの顔を下から覗き込んで、サナは両手の人差し指をそれぞれ立てた。すらりと伸びた指が顔の左右に並ぶ。その片方をひょこひょこと揺らしながら、彼女は続ける。
「今、懐刀を買い戻して手に入れたとする。でも、ゴンザさんの言うお殿様って、元の時代のお殿様のことでしょう? 妖怪が見つかればゴンザさんは元の時代に戻れるはずだけど、その刀まで一緒に百年前に戻ったら、どうなると思う?」
「どうなるか、だと? だから、某は殿にお返ししようと……」
「よく考えて。百年前には、お殿様の手元にも同じ懐刀があるんだよ?」
彼女の二つの人差し指がぶつかって、ばってんを作った。斜めに交わった指の合間で茶色の瞳が瞬いた。
彼女の言葉を頭の中で反芻する。不思議な想定だった。今まで考え付きもしなかった考え方である。自然と足が止まり、ゴンザと顔を見合わせる。お互い、鳩が豆鉄砲を食ったような表情だった。
そうしている間にもサナはすたすたと先を歩いていく。はっとして、慌ててその後を追った。
「つまり、懐刀が二つに増えるということですか?」
「そういうこと。けど、問題はここから」
サナが目を細める。並んだ人差し指の、片方が折れた。
「いい? 同一の存在が同時に二つあったとき、どちらかは必ず偽物になるの」
「いや、だが……、どちらも本物だろう?」
「事実として本物だろうと、関係ないのよ。結局、最後に判断するのは人間の思考なんだから」
「想像してみて」と彼女は続ける。
「お殿様に『本物はここにあるのだから、お前が持ってきたのは偽物だ』って言われて、ゴンザさんは反論できる?」
「む……、それは、難しいかもしれん……」
「でしょ。そうなったら、ゴンザさんが持ち込んだ懐刀は、本物だけど本物じゃなくなる。だから、あの懐刀を買い戻したって仕方がない。……ね?」
語尾だけが柔らかい。教え子に言い聞かせるような調子だった。それでもなお、ゴンザは額に皺を寄せている。自分もきっと似たような顔をしていることだろう。
彼女の理屈はわかる。未来からもうひとつの本物がやって来るなんて、普通は思いつくはずもない。
それに、尊い物は代えが効かない、と。きっと誰しもがそう信じているのだ。
例えば、刀であればどうだろうか。
刃渡りの長さ、刃の切れ味、造りの頑強さ、重量と重心……。そういった諸々の要素によって、武器としての刀の性質は定められる。もし、これらの要素がまったく同じ(あるいは非常に近い)刀が二振りあれば、使い手はそれぞれに等しい価値を見出すだろう。
それでも、やはり、愛刀には特別な何かを感じる。
代えが効かないわけではない。そもそも、今の刀は三本目だ。最初と次の二振りは、既に使い潰している。もう戻ることはない。
この刀も数打ちではないが、天下の名刀というわけでもない。ただ、使い慣れている。まったく同じ性質の刀がこの世にあったとしても、自分はこの刀を選ぶだろう。信頼できるのだ。愛着がある、と言ってもいい。
大事に扱っているうちに『本物である』ことに価値が生まれたのだ。たとえそれが、単なる持ち主の思い込みであったとしても。
人は皆、大なり小なり、同じような物を持っているのだろう。『本物である』こと自体を愛せる、そんな宝物を。
だから、自分の宝物と同じ物(もしくは似たような物)が現れたとき、人は躍起になってその存在を否定しようとする。『本物である』という価値が損なわれるからだ。偽物を憎むことさえあるだろう。
特に、代々継承してきた家宝ともなれば、積み重なった歴史もある。絶対に『偽物』の存在を許すわけにはいかない。
そう。本来はそれでいいのだ。
『本物が二つある』なんてことは、あり得ないのだから。
けれど、もしも、その前提が崩れたとしたら。
私たちは『未来の本物』の存在を、本当に認められるのだろうか。
『偽物』として、憎まずにいられるだろうか。
あるいは『偽物』ではなく、『偽者』が現れでもしたら……。
「クロウさん!」
「え?」
「どうしちゃったの? さっきからこーんな顔で黙っちゃって」
気が付くと、目の前にサナの顔があった。両手の人差し指で眉の横を吊り上げている。一瞬考えて、それが自分の表情を模しているのだと理解した。
「いえ、少し考え事をしていただけです」
「そう? ならいいんだけど」
軽く首を振り、意識して目元を柔らかくする。上手くいったかはわからないが、サナも深くは追求してこなかった。
胸の澱を吐き出すように、大きく息を吐く。
思考を切り替えよう。今考えるべきことは、他にあるはずだ。
「ともあれ、懐刀の出所は気になりますね」
「例のお侍さんがお殿様の子孫だった、ってことは?」
「違います。聞いた話では、彼は今の領主の傍流にあたるそうです。勿論、家名もキタガワではありません」
見回り衆と番頭から聞き及んだ情報だ。信用していいだろう。
「つまり、元々の持ち物じゃないわけだ」
「ええ。加えて、質屋での慌てた様子。それを考えると」
「妖怪を探す過程で偶然手に入れたのかもしれない、ってことね」
サナの推測に自分も頷いた。
問題は、彼がどこで懐刀を手に入れたかだ。それが分かれば、彼の足取りを追う手掛かりになる。もしかしたら、そこから妖怪の所在に繋がるかもしれない。
そして、今この場で、懐刀の情報を持っていそうなのは……。
「ゴンザ殿。何か心当たりはありませんか?」
「……」
振り向きながら問うと、ゴンザは往来の真ん中で足を止め、腕を組んで口を噤んだ。
現代で起きている事件の手掛かりを、百年前の人間が握っている――。これもまた、不思議な話である。
暫しの沈黙。往来を行く人の群れが、自分たちを避けて通り過ぎていく。
やがてゴンザは腕を解き、険しい表情を浮かべながら呟いた。
「ひとつだけ、思い当たることがある」




