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「おや、お出掛けですか。……その、そちらの方も?」
支度を整えて部屋を出た自分たち三人は、旅籠の玄関で番頭に呼び止められた。探るような口調の番頭は、連れ立って歩くゴンザに訝し気な視線を送っている。当然と言えば当然だろう。
ゴンザは鳶色の浴衣はそのままに、鞘に収まった長巻を左手に携えている。具足を身につけるのは悪目立ちが過ぎると説得したのだが、刀を置いていくことだけは彼も頑として認めなかったのだ。昨日の狂乱のこともあってか、番頭に己の得物をじろじろと見つめられたゴンザはばつの悪そうな表情を浮かべている。
「彼の身柄は私が預かります。詮索は無用。どうぞ、お気になさらず」
「はぁ……、左様でございますか」
意識してばっさりと言い切る。詳しい事情を話すのは憚られた。ゴンザ(とサナ)の話は荒唐無稽と取られても致し方ないものだ。誰彼構わず吹聴すれば、あっという間に狂人扱いである。
幸いと言っていいものか、身綺麗になったゴンザにはもののふの風格がある。昨日の騒動はどこぞの武家の関係者が錯乱したのだ、とでも深読みしてくれればしめたものだった。武士に関わる厄介事の気配を感じ取れば、大抵の者はそうそう深入りしてこないだろう。
「昨日は迷惑を掛けた。部屋に具足を置いてある。暫し、預かってもらいたい」
「……ええ、はい、それはもう」
ゴンザが殊勝に頭を下げると、番頭は引き攣ったような曖昧な笑みで頷いた。相変わらずちらちらと長巻に視線が飛んでいるが、ひとまずは納得した様子。こほん、とひとつ小さく咳払いをすると、番頭の顔にはもう常と同じ愛想の良い笑顔が浮かんでいた。実に切り替えが早い。
「では、お部屋の荷物は後程預からせていただきます。皆様、朝餉は如何致しましょうか?」
「朝餉か。うむ、そういえば昨日の朝から何も……」
その言葉の途中で、ぐう、とゴンザの腹が音を鳴らした。
僅かな沈黙。
ゴンザが気まずそうな鼻を膨らませる。思わず、サナと顔を見合わせた。
「すぐに準備いたしましょう。どうぞ、そちらの囲炉裏でお待ちください」
番頭の丁寧な声が玄関に柔らかく響く。三和土を上がって少し奥まったところにある床の間を示して、彼は静々と台所に引っ込んでいった。
出立の出鼻を挫かれた気もするが、腹が寂しかったのも事実。それはきっとサナとて同じだろう。
口元を緩めながら掌でお腹を押さえる仕草をした彼女に苦笑しつつ、いの一番で座り込んだゴンザに続いて、彼女と共に床の間に腰を下ろした。
●
朝餉には白飯と味噌汁、沢庵に小鉢の煮豆が膳に並べられていた。
よほど腹が減っていたのか、ゴンザは夢中になって椀の飯を掻きこんでいる。「平時から白米とは」という呟きが微かに聞こえた。なるほど、百年前とは食事の事情も違うらしい。
炊き立ての御飯は椀の中で白い湯気を上げている。硬めに炊かれた白米を噛みしめると、ほのかな甘みが舌の上に広がった。
やはり、飯は硬めに炊いた方が美味いと思う。
「ご領主が派遣されたお侍様ですか? ええ、確かに、この旅籠の部屋を貸しておりましたよ」
食事ついでに行方不明となった武士について番頭に尋ねてみると、彼はほんの少しだけ眉を傾けて頷いた。
「彼の行方について、何か知っていることはありませんか?」
「そう言われましても……、あの方が宿場にいらっしゃったのは、ほんの十日ほどのことでして。熱心に妖怪について調べていらっしゃいましたが、如何せん、雲を掴むような話。思うように成果を得られていない様子でした」
番頭は顎に手を当てて首を傾げる。その目の前に、さっと差し出されるゴンザの茶碗。流れるように茶碗を受け取った番頭が、お櫃からお代わりをよそってゴンザに返した。口元を緩めた大男が、「かたじけない」と小さく頭を下げる。
いったい、何杯目だ。
「……では、最後に彼を見たのはいつになるでしょう?」
「行方知らずになる当日の、宿を出立した時が最後ですね。結局、その日以降お帰りになられることはありませんでした」
「その時に、何か変わったことは?」
「さて、特に変わった様子は……。ああ、そうそう」
番頭が指をぴんと立てる。
「出かけ際に、質屋に寄ったようでしたよ」
「質屋?」
「ほら、ちょうど旅籠の向かいの店です。あの日、玄関からちらりと見えまして」
そう言って、彼は玄関から真っ直ぐに外を指差した。ここからでは見えないが、指の先に質屋があるらしい。通りの様子を思い浮かべようとしたが、看板までは思い出せなかった。
しかし、質屋か。何の用があったのだろう。質流れの品でも見に行ったのか。
それともまさか、調査のための路銀が底を尽いたとでも?
「質屋に寄る用事について、心当たりは」
「さぁ、流石にそこまでは。詳しいことは、質屋の主人に直接聞いた方がよろしいかと」
やんわりとした口調で話しを切って、番頭は床の間から立ち上がった。
持ち上げたお櫃の中身は、綺麗に空っぽになっていた。
……自分とサナは一杯しか食べていないので、念のために。
●
出立に際して、番頭にはいくらかの金子を渡しておいた。朝餉の礼と、ゴンザの浴衣の代金である。番頭は受け取った銭の枚数を確認することもなく、柔らかい笑みを浮かべて丁寧に一礼した。
三和土に降りて旅籠を出ると、往来はからっとした暖かさが降り注いでいた。空を見れば雲一つ見当たらない。絶好の秋晴れである。
「うーん、ちょっと質素な感じだったね」
「何を言うか、随分と豪勢な朝餉だったろうに」
「ゴンザさんは何杯もお代わりしたからでしょ?」
サナがくすくすと笑い、ゴンザがしかめっ面を作った。
ゴンザは髪を後ろで軽く結わえている。こざっぱりとした鳶色の浴衣と合わせて、とりあえず落ち武者と思われることはないだろう。
そのまま通りを横断して、旅籠の正面の店を訪う。玄関の横には将棋の駒に似た『七』の看板が掛けられていた。
暖簾をくぐると、小太りの男が算盤を弾いていた。店はそれほど広くない。あるいは、所狭しと並べられた質草の山がそう感じさせるのかもしれない。
「おや、お侍さんとは珍しい。いらっしゃい。何かご入用で?」
「少し尋ねたいことがあるのですが。ひと月ほど前、この店に藩の武士が来ませんでしたか?」
「ああ、ひょっとして、あの方のご同輩で?」
算盤から目を上げて男がそう言った。都合がいいので黙って頷いておく。
「彼はこの店で何を?」
「そりゃあ、もちろん、質を入れて金を借りに来たのですよ。預かったのは……、ええと、どこに置いたかな」
男は算盤を仕舞い、帳面を捲りながら質草を検めだした。目当ての物がすぐには見つからなかったのか、丸い背中が店内をごそごそと動き回る。
手持ち無沙汰に連れの二人を振り返ると、サナとゴンザは興味津々といった様子であれこれと質草を眺めていた。今は煙草盆に備えられた煙管を手に取って、細やかな装飾を矯めつ眇めつしている。二人の反応を見るに、美しさよりも珍しさが琴線に触れているらしい。大きく開いた瞳をぱちくりと瞬かせている。
「と、ありましたありました。お預かりした質草はこちらになります、へい」
「……懐刀、ですか」
店の奥まった棚から男が持ってきたのは、刃渡り五寸ほどの壮麗な短刀だった。漆塗りの鞘に象嵌の細工が施されている。一目見て、値打物とわかった。
本差ではないとはいえ、侍が刀を質に出したのか。その事実に驚く。
「不躾ながら、如何ほど用立てたのですか?」
「まぁ、見ての通りの逸品ですから。そりゃもう勉強させていただきましたとも」
男が算盤を弾く。示されたのは、懐刀に相応しい(と思われる)大金だった。
「彼は……、その、それほど金に困っていた様子で?」
「ああ、いや、それなんですが……」
眉を顰めた男が首を傾げる。
「羽振りが悪い、って感じじゃなかったですよ。この短刀とは別に大小を二本差ししていましたし。念のため、出所も聞いたのですが、どうにも要領を得ない感じでしたね」
「まさか、盗品だとでも」
「流石にそれは否定していましたが、とにかく金に換えてくれの一点張りで。ま、うちも商売ですから。品に見合う値段で見積もらせていただいたつもりですよ」
へっへ、と男は揉み手をしながら口元を歪めた。
勘定台に置かれた懐刀の鞘は、暖簾の合間から差した陽光を反射して黒く輝いている。施された装飾が複雑に光を散らしていた。
その光を遮って、節くれだった指が鞘をむんずと掴む。振り返ると、神妙な表情を浮かべたゴンザがすぐ後ろに立っていた。
「ゴンザ殿?」
「まさか、いや、だが、某が見間違うはずが……」
掴んだ懐刀を何度も観察して、ゴンザははっと息を止める。
「……おい、銘を確かめさせてもらうぞ」
「へ? そりゃ、構いませんが……」
威圧感の籠ったゴンザの声を受けて、店の男が呆けたように整備道具を彼に手渡す。半ば奪い取るように道具を手にしたゴンザは、目貫を抜いて柄を途中まで引き抜いた。
茎に刻まれた銘が姿を現す。目を皿のようにしてじっとそれを見つめたゴンザは、やがて絞り出すように呟いた。
「やはり、これは、キタガワ家の守り刀ではないか……」
呆然としながら、彼は店内の人間を順繰りに見回していく。
「なぜ、これがここに?」
答えられる者は、誰もいなかった。




