15
「申し遅れた。某はキタガワ家家臣、名をゴンザと申す」
元の部屋に戻って開口一番、大男はそう名乗った。
三人で円になって畳に座っている。部屋の中央にあった布団は隅に寄せて畳まれていた。採光に障子窓が開け放たれているが、外はまだ薄暗く、部屋の内に僅かな明かりを落とすばかりだった。どちらかといえば、空気が入れ替わったことの方がありがたい。
薄暗いとはいえ、互いの表情を観察するのに障りはなかった。ゴンザと名乗った大男は、神妙な表情で言葉をつづける。
「昨日の醜態は、まこと、申し訳なかった。いつの間にか見知らぬ土地に出てしまい、某も混乱しておったのだ。改めて謝罪しよう」
ゴンザが額を畳につけるほど深く頭を下げる。
いったいなんと声を掛けたものかとサナに目配せするが、彼女も困ったように肩を竦めるばかりである。数拍置いて頭を上げたゴンザは、こちらの困惑気味な様子に首を傾げつつも、彼の認識している状況について語り始めた。
「知っての通り、我がキタガワ家とニシヤマ家とはナカハラの地を巡って古くから争う間柄。此度の合戦もそのためのものだ。我らと敵方の兵力は互角。しばらく戦況は一進一退を繰り返すばかりであった」
ゴンザは大きく息を吐き、両の指を組んで胸の前で強く握った。
「だが、ニシヤマ勢は、主力とは別に兵を伏せていたのだ。いや、卑怯とは言うまい。敵ながら天晴れな用兵だった。側面からの奇襲に我らは不意を衝かれ、大いに軍勢を乱されてしまった。某がしんがりを務めるも、殿を逃がすので精一杯。どうにか時間を稼ぎ、山中に逃げ込んだはいいものの、お味方と合流することも叶わず、何処に向かうとも知れず彷徨い歩くうちに……」
伏せがちだったゴンザの目が真っ直ぐに持ち上がる。意志の灯った黒い瞳が、自分とサナの顔を交互に見回した。
「この地に辿り着いたというわけだ」
「……あの、ゴンザ殿。今、ナカハラと言いましたか?」
「応。キタガワ領とニシヤマ領の境界で唯一の平地、すなわち、ナカハラこそが此度の合戦の主戦場だ。……うむ、そうだ、ここからではどちらの方向になるか? あまりのんびりしているわけにもいかん。急ぎ、戦場に戻らねば」
問われても、答えることはできない。なにせ、この宿場の名もナカハラなのだから。
偶然の一致、ではないだろう。しかし、ゴンザの語るナカハラと、このナカハラが同じものだとしたら、彼の話をどういう風に理解すべきなのか。ひとつの土地を巡って、侍の軍勢が争うだなんて、それではまるで……。
「キタガワとニシヤマ。名前の通り、ナカハラの北と西とに領地があった大名ね」
「ん、おお、如何にも。そこな娘、ナカハラへの道を知っておるのか?」
「娘じゃなくて、サナ」
サナが憮然とした表情で口を尖らせた。どうしてか機嫌が悪そうに見える。彼女は悪びれた様子もないゴンザから視線を外し、自分の方に顔を合わせた。
「確かに、そういう記録は残っている。調べたから間違いない。でもね、その二家がこの周辺にあったのは、幕府が起こる前の話なの」
「それは……、いや、まさか……」
「天下が治まった後、キタガワもニシヤマも遠くの領地に国替えになったわ。今、この辺り一帯を治めているのは、まったく別の領主。クロウさんもそれは知っているでしょう?」
「ええ、まぁ。では、その……、本当に?」
「なぁおい、幕府だの天下だの、お主らはいったい何の話をしているのだ?」
話から置き去りにされたゴンザが苛立ちの混じった声を上げた。こめかみを僅かにひくつかせている。思わず、彼の顔をまじまじと見つめてしまった。
信じられない。だが、サナは確信を持って語っている。
つまり、そう、彼女が言わんとしているのは……。
「百年」
「む?」
「戦国の時代は、百年も前に終わっているの。ゴンザさん、あなたは、百年以上も昔から時間を跳び越えて、この時代にやって来たのよ」
迷いなく、サナははっきりと言い切った。
彼女の言葉にゴンザが口をぽかんと開けて硬直する。
空気が重い。部屋の気温が下がった気がする。もちろん錯覚だ。しかし、その重たさに絡め捕られて、誰も彼もが言葉を紡げずにいた。
沈黙が一呼吸続いた後、ゴンザが開けっ放しの口の端を歪に持ち上げる。
「それは、ううむ、何かの冗談か? いいか、先も言ったように某は急いでいるのだ。悪いが、お主の戯言に付き合ってやる余裕はないぞ」
「……だよね。うん、その反応は想定の範囲内。なんだけど……、ああもう、なんて説明したものかな」
ゴンザは歪めた口元を震わせている。まるで取り合わない彼の様子に、眉を寄せたサナが言葉を探して天井を仰いだ。
「あの、私も半信半疑なのですが。つまりサナさんは、ゴンザ殿が神隠しにあった、と?」
「神隠し。そうか、クロウさん、いいね」
「え、なにがですか?」
「うんうん、時間跳躍とか言うより、よっぽどこの場に相応しいな」
時間跳躍。聞き慣れない言葉だ。ついさっきも『時間を跳び越える』と彼女は言っていたが、不思議な表現だと思う。
神隠しであれば、神様に隠されるのだから、本人にはどうしようもない。けれども、跳び越える、という言い方には、どうにも時間を越えようとする誰かの意志があるように感じられるのだ。
神様が存在することと、人間が時間を跳び越えること。どちらも絵空事としか思えないが、それでも真剣に可能性を検討しなくてはならないらしい。
まったくもって、退屈しないことである。
「待て、待て待て。神隠しだと? 何を馬鹿な。あの合戦から、百年も経っているなどと、そんなことがあるわけなかろう!」
「ゴンザ殿、気持ちはわかりますが、落ち着いてください」
「そうは言うがな、クロウ殿。あのような戯言を、素直に信じろと? お主もその娘も、そもそも何か勘違いしておるのではないか?」
ゴンザが指で額を押さえながら頭を振る。
サナが畳から立ち上がって、開け放たれた障子窓から外を指し示した。
「うーん、論より証拠……、になるのかなぁ。とりあえず、ちょっと外を見てみない?」
「外? 外を見て、何になるというのだ」
「いいから、ほら、こっち」
口からは不平を吐きながらも、ゴンザも立ち上がって窓に近寄る。特に意識せず、自分も同じように動いていた。
窓際に三人が並ぶ。背の高い順に、ゴンザ、自分、サナ。それぞれに頭一つ分ほどの差がある。二人の間に入ったのは、いざという時のためだ。どちらからとは言わないが、掴み合い(あるいは、もっと強硬な手段)になりそうであれば、自分が止めるしかない。
正直、杞憂であって欲しい。
「いや、やはり、某には見覚えがない。ここは、いったいどこの町なのだ?」
「ナカハラよ」
「……なんだと?」
「ここは、ナカハラの宿場。ゴンザさんの言うところの、キタガワとニシヤマが奪い合っていた土地に出来た町なの」
「ありえん……。ナカハラは古くからの戦場。戦のたびに荒らされる土地ゆえ、僅かな集落が点在するのみ。斯様に整った町を造ることなど、出来るはずが……」
縋るような視線で、ゴンザが自分を見下ろす。しかし、百年でどれだけ世の中が変わったのか、正確に説明する術を自分は持っていない。その必要を、今まで想像したこともなかった。言葉が見つからず、ただ頷きを返すことしかできない。
「宿場が出来たのは、もちろん、天下が治まってからだね」
サナが窓の外の遠くを指差す。
「けど、周りの山なんかは、百年前と同じ形なんじゃないかな」
「山、だと?」
彼女の指先を追って、ゴンザが視線を高くする。
障子窓は部屋の南面に設えられている。東の方の山の陰から、朝の太陽が僅かに顔を覗かせていた。白く煌めく陽光に照らされて、山の稜線が薄紫の空にくっきりと影を描いている。宿場の南方の山には峰が二つあって、まるでこぶが並んでいるようだった。
ゴンザが目を見開く。
「あれは、南の双子岳、か? まさか、いや、だが、見間違うはずが……。合戦の折り、某たちはあの峰を目印に行軍を……っ!」
ゴンザがはっと息を詰める。身体が小刻みに震えている。瞳の焦点が、遠くの峰を何度もなぞっていた。
しばらくしてから漸く視線を外した彼は、大きく息を吐き、問う。
「仮に。仮に、だぞ。某が神隠しに遭ったというのであれば、如何にして、戻ればいいのだ。……某の主家は! 殿は! 戦場は! 如何にして、時間を! 戻ればいいというのだ!」
「ゴンザ殿……。それは、私にも……」
困惑と、動揺と、理不尽に対する怒りと。様々な感情の籠った声だった。彼の瞳に昨日のような狂気は見えない。冷静に思考しているからこその慟哭だった。
問い詰められた自分は、妙に頭が冷めていた。当事者ではないからかもしれないし、あるいは、他人の動揺を目の前で見ているからかもしれない。
水が高きから低きに流れるが如く、時間を遡ることはできない。それは自明の理だ。覆すには、それこそ、流れを跳び越えて戻っていくしかないのではないか。
無意識に、サナの顔を見た。
「それは大丈夫」
「……なに?」
「戻れるよ。戻してあげられる。でも、今はまだ駄目なの」
彼女の口調はどこか素っ気なかった。彼女の目はゴンザを、もちろん自分のことも、見ていない。眉を傾けて遠くを見ている。桃色の唇に白い指が這う。
どこか不機嫌そうに溜め息を吐いて、彼女は囁いた。
「ゴンザさんが戻れるのは、あの子を、妖怪を捕まえてからになるわ」




