11
陽が傾く。影が濃くなる。
宿場は夕焼けに濡れていた。誰そ彼時である。群衆の表情に翳りが差して、消える。まるでのっぺらぼうの群れだ。
人垣を掻き分けて街道の中央に進み出た。目に入ったのは赤く照らされた地面。その先に、落ち武者が立っていた。
筋骨隆々とした偉丈夫だ。周囲の群衆と比べて頭一つ高い。こちらに背を向けて、己を取り囲む人混みに何かを吠えている。
装いは漆塗りの鎧姿。しかし、万全ではない。具足のあちこちに傷が刻まれ、かなりの小札が脱落している。兜は被らず、つるりとした月代の頭頂が露になっていた。髷はほつれ、無残に散らばっている。
右手には身の丈を越す長巻。刀身三尺、柄が四尺。
落ち武者は、既に抜刀している。認識した瞬間、精神が臨戦に切り替わる。
「もし! 如何された!」
落ち武者の背に向けて声を張る。人垣との距離が近すぎる。このまま長巻が振るわれれば、町人が巻き込まれかねない。彼我の距離はおおよそ十歩。ひとまず注意を惹かねば。
男が振り返る。血走った目がこちらを捉えた。長巻を片手で軽々と握っている。猛者の気配。小さく息を呑む。こちらの佩いた刀に気付き、男が叫ぶ。
「もののふか! 貴様、ニシヤマの家中の者かっ!?」
「……ニシヤマ? いえ、知らぬ家名です」
「知らぬ、だと! 合戦の場で、なにをとぼけたことを!」
合戦。時代錯誤だ。そもそも落ち武者というものが時勢に合っていない。だが、この男を言い表すのにこれほど相応しい言葉はないだろう。
蛮声。紅潮した顔面。気色ばんで据わった目。錯乱しているのか。
「刀を収めてください。合戦など、起こっていません」
「なにを馬鹿な!」
吐き捨て、男が周囲を睨めつける。人垣が一歩退く。
その中に、見知った姿。今朝方の見回り衆だ。やや前のめりの姿勢。男を取り押さえるつもりか。無謀だ。体躯にも力量にも差がありすぎる。
「戦は、起こっておる! よもや貴様ら、あやかしの類か! 某を謀ろうとて、そうはいかんぞ!」
「刀を、収めてください」
両手を広げ、ゆっくり、言葉を区切って、落ち武者に言い聞かせる。沈みかけの夕陽は己の背後。男からは逆光。そうか、自分ものっぺらぼうか。
こちらからは武者の顔がはっきりと見える。目玉がぎょろりと動いた。視線が人垣の一角で僅かに止まる。拙い。見回り衆に気付いている。
一歩踏み出す。
男の視線が正面に戻る。
側面から見回り衆が飛び掛かった。
丸太のように太い腕が、そちらも見ずに振り払われる。
瞬間、地を蹴って駆け出した。
見回り衆が落ち武者に殴り飛ばされる。拳は顔面を捉えていた。群衆の空気が変わる。悲鳴。蜘蛛の子を散らすように人垣が崩れる。
周囲の動揺に武者の目が泳いだ。逃さず、間合いを詰める。
男の迷いは一瞬。殺気立った視線がこちらに定まる。
長巻が動く。両手持ち。腕が引かれ、切っ先を幹のような身体の陰に隠す。
横薙ぎの構え。剣筋が読めない。
構わず、懐に飛び込む。
「うおおぉ!」
武者の咆哮。二の腕が膨れ、霞む。
速い。中段。胴を断つ軌道。
だが、初動はこちらが勝る。
深く踏み込み、膝の発条に乗せ、掌底。男の前腕を跳ねる。
「ぐぉっ!」
重い手応え。膂力は相手が上。しかし、剣筋が逸れた。
頭上を長巻が掠める。
男の顔を見た。大きく目を開いている。
勢いを殺さず、肩からぶつかっていく。
跳ね上げた腕を掴み、大内に脚を掛け、突進の勢いで押し倒す。
男の足が滑り、浮く。仰向けに、背から地面に落ちた。
「がっ」
どう、と舞う砂煙。
背中を痛打した男が肺から空気を吐き出した。
そのまま地面に押さえつけ、取った腕を極める。
男の掌から長巻が落ち、乾いた音を鳴らして地面に転がった。
「落ち着いてください。暴れるなら、折ります」
「……っ、殺せ!」
「大丈夫です。命まで取るつもりは」
「おのれ、辱めるか!」
「いえ、そうではなくて……」
男が野太い声で吠える。困った。どうにも噛み合わない。
至近距離で改めて男を観察する。彫りの深い顔。顎にはまばらな黒髭。見た感じは三十の半ばといったところだろうか。大声のたびに口角に泡が浮かんでいる。ひどい凶相だ。完全に我を失っている。
どうにか立ち上がろうと男が藻掻く。かなりの怪力。捕らえた腕を外すつもりはない、が、いつまでもこのままというわけにもいかない。
折ろうと思えば折れる。しかし、果たしてそれで男がおとなしくなるかどうか。
「クロウさん! そのまま!」
「……サナさん?」
膠着した場にサナが駆け寄ってくる。なにをするつもりか。
仰向けの巨躯をひらりと飛び越えた彼女が、男の頭の横にしゃがみ込む。白い掌が男の首筋に当てられる。掌中に何か持っているようだが、手の甲に遮られて覗くことが出来ない。
「触るな、娘! 貴様、なにを――」
「ごめんね。しばらく眠ってちょうだい」
男の怒声を遮って、ぷしゅり、と空気の潰れる奇妙な音がした。
落ち武者の赤ら顔が痛みに歪む。次の瞬間、掴んでいた腕から力が抜けた。男の瞳が焦点を失う。その上に、力なく垂れ下がった瞼が覆いかぶさった。
あっという間のことだった。男はもはや全身を弛緩させて意識を失っている。呼吸が聞こえるから、生きてはいるらしい。
「今、何を……?」
「気持ちが落ち着く、おまじない、かな」
額に浮いた汗を拭いながら、サナがほっと息を吐く。
おまじない。そんな生易しいものではないだろう。彼女の掌がさりげなく胸元を通る。手中の何かを懐に戻した。短筒の他にも隠し玉があるのか。
警戒が必要だ。しかし、彼女のおかげでこの場が収まりそうなのも確か。男の腕を離して、大きく息を吐きだす。弛緩した男の腕は、どさりと地面に落ちた。
「ともあれ、助かりました。ありがとうございます」
「うーん、余計なお世話だったり、しない?」
「いえ、私だけではもっと手荒なことになっていました」
向き直って一礼すると、彼女は横を向いて頬を掻いた。本当に照れているなら、可愛いものだ。
街道に寝転んだ男を改めて見下ろす。実のところ、落ち武者というものを実際に見たことはなかった。知っているのは、伝聞と想像の姿だけである。
だから、この男を正確に言い表すのなら、落ち武者らしき男ということになるのだろう。なにしろ、太平の世である。合戦がないのだから、落ち武者が現れるはずもないのだ。
奇妙で不可思議。無意識のうちに、隣のサナに問うていた。
「これ、妖怪騒ぎに関係があると思います?」
「……もしかしたら、だけど」
サナも難しい顔をしている。しかし、心当たりがまったくないわけでもないらしい。唇に指を当てて、何か考え込んでいる。
「クロウ殿」
背後からくぐもった声に呼び掛けられた。振り向くと、見回り衆の男が手拭いで鼻を押さえながら立っていた。手拭いは赤く滲んでいる。落ち武者に殴られて、鼻血が出たらしい。それだけで済んだのなら、むしろ幸運だろう。
「さすがはイスルギ流。助かった。礼を言う」
「お気になさらず。ですが、あまり無茶はしない方が……」
「うん。しかし、これが仕事だからな」
見回り衆が鼻を押さえながら相好を崩す。釣られて、口の端を持ち上げた。
太陽はいつの間にか山の陰に隠れていた。紫色の闇が宿場を覆いつつある。逃げ去った町人たちは戻らず、残った町人たちも三々五々に家路に着いていった。
先刻までのざわめきが嘘のよう。ただ、道の真ん中にごろりと転がった大男の姿だけが、先ほどの一件を現実だと主張していた。
「……とりあえず、こいつを運ぼう。手を貸してくれ」
「わかりました。反対の腕をお願いします」
落ち武者の脇に腕を入れて、見回り衆と二人掛かりで抱え起こす。男が目を覚ます気配はない。弛緩した全身に具足の重量が加わり、とんでもなく重い。横を見れば見回り衆もげんなりとした顔になっていた。
その様子をサナがふわふわとした表情で眺めている。手伝うつもりはないらしい。もちろん、見回り衆と代わってもらっても困るのだが、つい恨めしい視線を送ってしまう。
彼女はぷっくりと頬を膨らませて、それからはっとした様子で、地面に転がった長巻を拾い上げようとした。
「って、重っ! こんなの振り回してたの? ちょっと信じられないなぁ」
「サナさん、気を付けてくださいね」
落ち武者の身体から長巻の鞘を剥ぎ取り、彼女に投げて渡す。漆塗りの鞘を受け取った彼女は、にっこりと笑って刃を鞘に納めた。




