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漆喰の塗られた土倉の入り口は、申し訳程度に筵で塞がれていた。すぐ横の土壁には斜めに両断された木戸が立てかけられている。あれが獣が斬ったという扉か。入り口を覆う筵の目隠しは、代わりの木戸が届くまでの応急処置なのだろう。
「御免ください。どなたかいませんか?」
倉の外から声を掛ける。勝手に筵を持ち上げてしまうのは流石に憚られた。
応えはすぐにあった。筵の端を持ち上げて、ほっかむりの女が顔を見せる。年のころは四十ほどだろうか。こちらの姿を見て不審そうに眉を顰めている。
「どちら様だい? なにか御用で?」
「荒らされた倉を調べるよう宿場から依頼された者です。少し中を検めさせてもらっても?」
「……ああ、そういやぁそんなのが来るって話だったね」
女はこちらの腰のものに視線を落として頷き、次いで、隣に立つサナを見て再び眉を顰めた。
不躾な視線を物ともせずにサナが楚々と一礼する。それで納得したのかしないのか、倉の女は微妙な表情でひらひらと顔の横で手を振った。
「あたしはこれから畑に出なきゃいけないんだ。調べたきゃ好きに調べていきな」
「いいのですか、その、見ていなくても?」
「はっ! どうせ盗まれるようなものはなんにもないからね」
何がおかしいのか、女はけらけらと笑いながら背負子を担いで倉から出てきた。日の光に目を細めた女は、サナの足元から頭のてっぺんまでをじろりと見回して、ひとつ溜め息をついてから畑に向って歩き去っていった。すれ違いざまに意味ありげな目配せを置いていったが……、いったい何を想像したのやら。
「ひょっとして、逢引って思われちゃったりして」
「……そうでないことを願いましょう」
くすくすと笑みを零すサナと共に倉に入る。
この倉が荒らされたのは二、三日前のことだという。屋内は思ったよりも綺麗に整理されていた。剥き出しの地面に足跡のようなものは見当たらず、一見して獣が暴れたような形跡はない。ただ、茣蓙の上に置かれた作物は明らかに量が少なく、倉のあちこちに空白が目立っていた。
おそらく、倉の持ち主が既にしっかりと掃除をしたのだろう。食い荒らされた食料をそのまま放置しては、他の作物に腐敗が移りかねないからだ。しかし、仕方がないとはいえ、これでは有力な手掛かりは得られないかもしれない。
「ん……、でも、ちょっとだけなら毛とかが残ってそうかな」
サナはそう言って倉の隅っこで地面に目を凝らしている。自分もひと通り倉の中を検めてみたが、どうにも目ぼしいものが見当たらなかったので、ひとまず表に出ることにした。
気になったのは、入り口の横にあった壊れた木戸だ。筵を持ち上げ、白い漆喰に立てかけられた木戸の傍で膝を折る。
斜めの切り口は、袈裟懸けよりもやや水平に寄っていた。切断面は上から下に向けて歪んでいる。断たれた木目がひっくり返って、びっしりとささくれ立っていた。
重い刃で、力任せに叩き切った痕だ。木戸は一振りで両断されている。戸の大きさを見るに、使われたのは大太刀の類か。
「……これは、鎌では無理だな」
「あれ、どうかしたの?」
筵を捲ってサナがひょっこりと顔を出す。指先には摘まんだ動物の毛。視線で問うと、彼女は大きく頷いた。
「うん、見つけたのはあの子の毛。やっぱり、町の近くに塒があるのは間違いないと思う。……それで、クロウさんの方は?」
「えっと、かまいたちというのは、前脚が鎌なのですか?」
「……んん? 何の話?」
聞き方が悪かったかもしれない。しかし、他の聞き方は咄嗟には思いつかなかった。
サナはあからさまに首を捻っている。どう補足したものかとこちらが言葉を探しているうちに、彼女はぽんと手を打った。
「ああ、この辺りの伝承だとそういう姿なのね。ううん、違う違う。だってほら、腕が鎌になっちゃったら歩くのが大変でしょ?」
「それは……、ごもっとも」
「あの子の武器は尻尾。尻尾が刀になってるの」
あっけらかんと言われて、しばらく理解が追いつかなかった。
尻尾が、刀。
思わずサナの顔を覗き込む。微笑んでいるが、ふざけてはいない。
ぐるぐると言葉が捏ね回されて、頭の中に想像上の獣を創る。
鼬の顔、熊の体躯、四足で歩き、尻尾は刀……。
意外なほどしっくりくる姿だった。少なくとも腕が鎌の怪物より違和感がない。
「刀の長さは?」
「長さ? えっと……、そう、クロウさんの刀の倍くらい、かな」
僅かに言葉に詰まってから、サナはこちらの腰のものを指差した。その言葉が確かなら、やはり大太刀ほどの長さになる。
脳裏に映る異形の獣が尻尾の刃を振り回して木戸を破る。その光景を幻視した。
そうか、これがかまいたちか。
「クロウさん?」
「……もうすぐ日が落ちます。ひとまず町に戻りましょう」
遠くを見れば、山際の空が橙に染まりつつあった。太陽が山に隠れつつある。田んぼの稲がおじぎの影法師を作っていた。
サナを促して踵を返す。帰り道は川沿いに戻らず、畑を突っ切ってそのまま宿場に戻ることを選んだ。畑と畑の間の畦道をサナの歩幅に合わせてゆったりと進む。
どこからか蝉の声が聞こえてくる。盛夏の頃ほどけたたましくはない。名は知らないが、どこか寂しい鳴き方だった。
頭の中で、自分はかまいたちと相対していた。明確な姿を得た妖怪が、長大な尻尾の刃で斬りつけてくる。
それは昨晩の遭遇の焼き直しだ。あのとき辛うじて弾いた一撃を、幾度となく繰り返す。自分はどこに刀を置くのか。受けるのか、捌くのか、躱すのか。凌いだ後は、斬るのか、突くのか。隙はあるのか、どこを狙うのか。
「どうして、尻尾なのでしょうか」
目まぐるしく流れていく思考の中で、ふと口から出たのがその疑問だった。
何故、自分はかまいたちの姿に違和感を持っていないのだろうか。それはきっと、自分が尻尾の本来の意味を知らないからだ。
たとえば、犬や猫であれば尻尾で感情を表す。振ってみたり、ぴんと立ててみたり。そこから読み取れることはたくさんある。けれども、それが生きるために必要なものかと問われれば、どうにも首を傾げてしまう。
表情であったり、全身の仕草であったり、あるいは鳴き声であったり。尻尾がなくても、感情は表現できる。かといって尻尾が他の仕事をこなしているというのは、見たことがない。
つまり、なくてもよさそうだから、置き換えても違和感がない。思い至って、眉を斜めにする。我ながらなんとも勝手な考え方があったものである。
「……たぶん、四肢と比べて運動にそこまで影響がなくて、なおかつ自由に動かせるから。そう考えたんだと思う」
「考えた? 誰がですか?」
「あの子たちの、生みの親」
生みの親。まさか言葉通りの意味ではあるまい。親が何を考えようと、産まれる子供の姿かたちが変化するということはないだろう。
であれば、妖怪を作り出した何者かがいるということか。しかし、どうやって。
サナの横顔を盗み見る。口を噤んで遠くを見ている。これ以上聞くな、と言われている気がした。
彼女に聞こえぬよう、小さく溜め息。話題を変えよう。
「サナさんはもう宿を取ってあるんですか?」
「それが、まだなのよね。うーん、クロウさんと同じとこにしようかな」
「結構いい値段の店だと思いますよ」
「平気平気。これでも懐はあったかいんだから」
彼女が自信ありげに胸元を叩く。懐には短筒も入っている。それを知っていたので、少しどきりとした。あまり乱暴に扱わない方がいいと思うのだが。
畦道を経て、宿場に至る。建ち並ぶ家の裏手から路地を抜け、目抜きの通りへ。
宿場を貫く街道に出ると、思いがけず人垣に出くわした。びっしりと並んだ人の群れに、思わず足が止まる。
ざわつきが街道に満ちていた。いったい何事か。街道の中央になにかあるようだが、人垣に阻まれて見通すことが出来ない。
だが、どうにも嫌な雰囲気だ。不安と困惑の表情が群衆に貼り付いている。異様な気配を感じ取ったのか、サナも眉を顰めている。
「クロウ殿! ちょうど良いところに!」
「……番頭さん?」
慌てた様子で声を掛けてきたのは、依頼人の旅籠の番頭だった。息を切らして、きょろきょろと落ち着かない視線を巡らせている。着物の裾が乱れるのにも構わず走り寄ってきた彼は、喘ぐように息を吐きながら人垣の向こう側を指差した。
「あの、その、とにかく大変なんです! どうかご助力を!」
「落ち着いてください。いったい何があったんですか?」
「それが、ああ、なんと言えばいいのか……っ」
そう呻いて番頭が頭を抱え込む。助け舟を出そうにも、状況がまったくわからない。
しばし煩悶した番頭だったが、やがてはっと顔を持ち上げた。
「……落ち武者。そう、落ち武者が出たのです!」
思いもよらない言葉だった。
切羽詰まった彼の声に、思わずサナと顔を見合わせてしまった。




