八百十七 志七郎、部下の事は丸投げし他所の家庭事情の闇を知る事
元怪盗山猫こと史麻の件は一段落付き、取り敢えず暫くの間は伏虎義兄上に預けて、氣の正しい扱い方と彼に合う武芸を探して貰う事にした。
智香子姉上も桂太郎を弟子兼丁稚として受け入れた際には、同じ様にして先ずは彼に最低限度自衛出来る程度の武芸を仕込んで貰ったと言う話だし、取り敢えず間違った選択では無い筈だ。
なんせ『武勇に優れし猪山の』と謳われる我が藩だ、生半可な腕前じゃぁ家人の枠すら務まらない。
只でさえ御祖父様と上様がツーカーの仲な関係で他藩から様々な嫉妬や羨望を受けている上に、義二郎兄上が未だ我が家に居た頃には何か有れば直ぐに『果し合い』だの『決闘』だのとやらかした所為で恨みだって色々と買って居るのだ。
しかも此処最近は我が家預かりの武光があっちこっちで『悪党成敗!』とやってるお陰で、逆恨みからか猪山藩の藩士が闇討ち紛いの攻撃を受ける事すら有ると言う……まぁ誰一人として怪我すらする事無く返り討ちにしてるらしいが。
と言う訳で俺に……と言うか家に仕える者と成る以上は最低でも、並の侍ならば返り討ちに出来るだけの技量が無けりゃ、一人で外出させる訳にも行かないと言う訳である。
ちなみに初陣から然程も経たない内に俺は一人で外出許可が出て居たが、小鬼とは言え『大鬼』を一対一で倒せる時点で、小普請組の子弟が十二人で来ても大丈夫……と判断された結果だとは後から聞いた話だ。
と言う訳で、史麻の方はある程度基礎が固まるまでは、屋敷の敷地から一人では出さず伏虎義兄上が面倒を見てくれる事になっている。
で、今日の俺はと言えば……
「踏み込みが甘い! 自分の間合いをきっちり把握しろ! 剣は切っ先三寸に最も力が乗るんだ! 遠すぎりゃ当たらん、近すぎりゃ威力を殺される、一撃の威力を高めるよりも間合いの把握が最優先だ! よし、次! 来い!」
志学館で算盤と書道の授業を終えて、錬武館で同期生達に稽古を付けてやると言う感じだ。
「はい! 行きます!」
うん……前世から弛まず続けて来た稽古の結果も有って、俺の剣腕は生徒側じゃぁ無く指導者側として『教える事で自分に足りない部分を自覚する』のが、今の俺に必要な修行だと小山内館長に言われたからである。
此処での稽古は各人流派も違えば得物も違う、しかも錬武館で使われてるのは竹刀では無く、木刀やら木斧やらの『木で出来た武器』が基本で防具の類も無しだ。
真剣じゃぁ無いとは言え、木の武器だって当たり所が悪けりゃ命を落とす事は有る。
実際、鬼切り奉行所の桂様の所の子供達は、未だ氣にも目覚めて居ない頃に木刀での修行中に当たり所が悪くて亡くなって居るのだ。
竹刀も町人相手に武芸を教えている市井の道場では使われているのだが、『武に拠って立つ者』で有る武士は稽古一つでも命を賭けた緊張感が必要だと言う事で、木の得物を使う事が伝統となっているらしい。
まぁ……氣の扱いに長けた者ならば、氣を武器に無理やり押し込んで威力を上げる『斬鉄』の籠もった一撃でも無けりゃ、当たる瞬間に其の場所へと氣を集中する事で防具の上から竹刀で殴った程度の痛みにしか成ら無いんだけどな。
とは言え……其処までの精密な氣の運用が出来る者は二、三年上の者達は兎も角、俺と同期だと未だまだ少数派なので、元立ち側の俺の方が気を使ってやらねば成らず、其れこそが俺に必要な稽古なのだろう。
「次は僕が挑戦させて貰うよ。いざ尋常に勝負!」
ちなみに錬武館入門当初に口にした『誰の挑戦も受ける』と言う発言は未だ撤回しておらず、こうして同期生達に稽古を付けてる時にも、時折こうして先輩が勝負を挑んで来る事も有る。
相手は火盗改の碇長官の所の嫡男で名は確か碇 真之助、手にした得物が木刀では無く鞘に納まった真剣にしか見えない物なのは、彼が居合使いだと言う事の証左だろう。
居合使いに関しては例外的に刃引きの刀を稽古に使用する事が許されているが、其の分稽古の相手はどうしても限られて来る。
下手な者が相手にすれば、其れこそ木刀での打ち合い以上に命の危険を伴うのだ。
其れでも引けないのが『武勇に優れし猪山の』男で有る!
「確か……四期上の碇先輩でしたね。得物は……木製では無いと言う事は居合使いですか、相手に不足なし……此方も手加減はしませんよ!」
そう言うと、俺は木刀に込める氣を同級生相手の時よりも二段階上へと引き上げるのだった。
流石は腕っこきが集まる火盗改長官の息子、下手をすると女の子と見紛う程の美貌を持つ優男にも関わらず、太刀筋は見事の一言に尽きた。
氣に依る意識加速と動体視力の強化が無ければ、抜き手を見る事も出来ずに貰っていただろう横薙ぎの斬撃の後、鍔鳴りの音も鮮やかに刀は鞘の中へと戻り、今度は下から上へと跳ね上がる様な居合の一太刀。
一振り一振り毎に一々刀を鞘に戻すのは、隙が出来る様にも思えるが、刀身の長さを正確に把握させないと言う意味では十分な効果が有る。
一対一での闘いと言うのは、余程彼我の技量差が無い限り、間合いと拍子の奪い合いだ。
その間合いを隠す事が出来ると言うのは、それだけで大きな有利を得ていると言える。
しかし彼に取って残念ながら、俺には前世で積み重ねた三十年の稽古と、今生で積み重ねた実戦経験と日々の稽古の結果、身に付けた技量の差は其の程度の有利で覆す事が出来る物では無かった。
都合、六合撃のやり取りを交わした後、俺は彼が刀を鞘に納めた瞬間を狙って柄頭を蹴り足で抑え、其処を足場に飛び上がると逆足の膝で顎を捕らえ……る直前で寸止めして着地する。
前世に見た覚えの有る職業摔角の技に近い感じになったが、此の手の剣での勝負の中で蹴りを極め技として使うと言う手法は、猪牙の従伯父上を見習った物だ。
「……流石は二つ名を持って呼ばれるだけは有るね。うん、僕の負けだ参りました」
あのまま撃ち抜けば確実に意識を刈り取っていただろう一撃だと、しっかり認め爽やかに笑う真之助殿。
「よし! 元立ちの者は交代せよ、暑さは弱まって居るが水分と塩分の補給を忘れるなよ」
丁度其処で、訓練教官から元立ちに立って居る者に対して休憩の許可が出た。
壁に取り付けられた手拭い掛けから自分の手拭いを取り汗を拭う。
「この間は美味しいお菓子をどうも有難う。君が父上に持たせてくれたんだってね。母上と妹達が喜んでたよ」
すると、同じ様に汗を拭いながら真之助殿がそんな言葉を投げかけてきた。
彼の父上……つまり碇長官に持たせた菓子と言うのは多分、史麻の事を話に行った時に手土産として持っていった『虎縞焼き』の事だろう。
「父上は普段御土産なんて買ってくる様な事は無いからね。そもそも家は母上が財布を握ってるし昼飯も弁当を毎日作ってるから、父上はお菓子なんか買ってくる様な銭は普段から持って無いからね」
……碇長官、小遣い制所か必要経費の申告制なのか。
しかもそんな生活だってのに、賂の類には一切手を付けないとか……マジで金銭面に潔癖過ぎるだろ。
「部下達も居る立場なのに可哀想だとは思うけど……父上お酒呑むと人が変わるからなぁ……」
呟く様なぼやきの言葉から察するに碇長官は酒乱の気でも有るのだろうか?
もしかしたら酒精依存症の様な感じで、呑める酒が有るとついつい飲んでしまって仕事も手につかない様に成る性質とか?
いやでも其れなら逆に賂の類はガンガン受け取って酒を呑んじまうんじゃないか?
俺が持参した百両と言う銭をそのまま受け取れば、自分の酒代は勿論、火盗改の部下達に大盤振る舞いをする事だって出来ただろう。
けれども其れをしなかったって事は、碇長官の自制心は酒の欲には負けていないと言う事だ。
そんな内心に抱いた疑問と、其の答えを知りたいと言う好奇心から俺は思わず真之助殿に続きを促す視線を向けてしまった。
「絡み酒の泣き上戸、しかも無駄に気が大きくなって見世に居る全員の呑み代を持つとかそんな御大尽を何度もやらかしてね……そのツケを払う為に妹達の結納資金として貯蓄してた銭を取り崩す羽目になったんだ」
俺の視線を受け溜息を一つ吐いてから真之助殿が改めて口を開く。
「今は火盗の河東さんに頼んで父上が行きそうな呑み屋にツケ払いに応じない様に話を通して貰ったから、手持ちの銭無しで呑みには行けないんだけど、其れは其れで家で呑んで僕等に絡むから迷惑っちゃぁ迷惑なんだけどね……」
其の台詞は『鬼の権兵衛』と呼ばれる火盗改の長で尊敬する父に対する言葉ではなく、家で管を巻く丸で駄目な親父に苦労する息子の心の叫びとでも言うべき物なのだった。




