八百十五 志七郎、義理と人情を知り欲に呆れる事
「冗談も大概にしてくださいや鬼切童子殿、あっし等も暇じゃぁ無いんですぜ? 御父君の猪山守様に義理立てして此処まで来ましたが、こんな鶏ガラ見たいな子供が江戸最精鋭の火盗改を手球に取った山猫な訳が無いじゃぁ無いですか」
仙城殿を智香子姉上の離れへと案内し、自称山猫と顔を合わせるなり彼は大きく溜息を一つ吐くと、さも呆れたと言う風な素振りで肩を竦めると、先ずはそんな台詞を口にした。
「あ……あんたは……大吉屋に入った時に会った御侍……」
しかし山猫は仙城殿の顔を見ると、諦めと安堵が混ざった様な複雑な声色でそんな言葉を吐く。
「さて何の事やら? あっしがあの夜にやり合った山猫は身の丈六尺に届く大男で、片手で千両箱を三つ四つとお手玉の様に扱う怪力の持ち主で、こんな吹けば飛ぶ様な子供じゃぁ無かったのは間違いない事実ですわ」
やれやれとでも言いたげな素振りで顔を横に振る仙城殿だが、其の中で俺に向ける目に宿る眼光は極めて本気の物としか思えない鋭い物だった。
成程、そう言う事か……此の子が山猫本人なのは間違いない様だ。
其れが解った上で、仙城殿は惚ける振りをして此の子を見逃すのだと言ってるのだろう。
その内心がどうなのかは解らないが、俺が碇長官に通した筋目は通ったと思って良いらしい。
「あーしが山猫だ! あの夜お前の仲間に千両箱を投げつけたのは間違いなくあーしの仕業だ!」
幾ら多くの盗みを成功させ江戸中を騒がせた大盗賊とは言っても、此の子は未だ未だ子供……こう言う腹芸の類を読み解く能力は無い様だ。
「馬鹿言ってんじゃぁ無いよ。あっし等火盗改は火元国でも上から数えた方が早い様な最精鋭だけを集めた連中だぜ? 其れがこんな出汁も取れねぇ様な鶏ガラ小僧相手に手玉に取られたなんざぁ有る訳ゃ無ぇ、有っちゃぁいけねぇんだよ」
その台詞だけを聞けば子供に手玉に取られた事で火盗改の名が堕ちる……其れを避ける為の見栄や面子を気にした言葉に聞こえるが、この辺は恐らく態とだろう。
「ツー訳で、鬼切童子殿。此処にゃぁ山猫なんざぁ居なかった。居るのは自分を山猫だと思い込んでる可愛そうな子供が一人居るだけだ。此奴が本物の山猫を庇って嘘を吐いてるってぇなら拷問でも何でもするが、どうやらそうじゃぁ無いらしい……」
拷問と言う言葉を口にする瞬間だけ語気を強めた当たり、本当に仙城殿は此の子を守ろうとしているのがひしひしと感じられる。
……彼の心境は様々な家庭の事情から非行に走らざるを得なかった子供達と相対し、更生の為に苦心しながらも多くの場合報われる事無く、そうした非行少年達を補導では無く逮捕せざるを得なかった、そんな少年課の者達に近しい物が有るのでは無いだろうか?
火付盗賊改方は江戸の武士の中でも最精鋭が集まっているとは言っても、其れは決して脳筋武闘派の集団と言う訳では無い。
捜査能力だって前世の世界の警察の様な科学捜査技術こそ持たない物の、地道な聞き込みや次の事件の発生現場を推理して張り込むと言った、昭和の警察が行っていた物と遜色ない物が有るらしい。
その事を考えれば彼等が山猫本人の居場所や正体を掴んでいたかどうかは兎も角、その犯行動機や生い立ちなんかを捜査し、犯人像を推測すると言う事位は出来ていたのだろう。
「なぁ坊主、いや嬢ちゃんか? ……まぁどっちでも良いか。取り敢えずは養生して身体治して、其れからこの鬼切童子殿にきっちり恩返しをするんだぜ? 万が一悪事を働いてたとしても外道にさえ堕ちてなけりゃぁやり直しなんざぁ幾らでも出来るんだからな」
仙城殿はそうあの子を諭す様に語り掛けると、ザンバラ髪の頭を一撫でして智香子姉上の離れを出ていくのだった。
「アレで良かったんですか? いや、碇長官にはそうする様にお願いしに行ったのは俺なんで、此れを聞くのは筋違いだとは思うんですが……」
仙城殿の後に付いて離れを出た俺は、屋敷の門へと向かう道すがら彼にそんな事を問いかける。
「火盗改も鬼じゃぁ無い訳よ、いや長官は『鬼の権兵衛』なんて二つ名で呼ばれる事も有るが……アレで情に厚く情け深いお人な訳よ。銭周りには潔癖過ぎてあっし等の様な下っ端にはお溢れも来ないけどな」
先程までとは打って変わった戯ける様な口振りでそう答える仙城殿。
その言に依れば、火盗改の長官で有る碇様は盗みの三ヶ条……即ち『殺さず・犯さず・盗まれて難儀する者から盗まず』の三つを守る者には比較的寛容で、悪即斬と言う様な性質の人では無いと言う。
「特に今回の山猫はお孫様が暴れてくれたお陰で色々と掴めた話も有る訳よ……本当に胸糞悪く成る様な色々がサ……」
そんな言葉から始まった仙城殿の話では、山猫と呼ばれた盗賊はとある孤児院で養育されていた子供で間違いないと言う。
その孤児院はわ太郎達が居た場所同様に、管理する立場の者が不正な蓄財に手を染めて居り、一部の『売れそうな子供』だけに食事を与え、そうでは無い子供には死ぬか死なないかのギリギリの食事しか与えて居なかったらしい。
山猫と呼ばれた盗人はそうした『売れる子供』と目されていたらしく、十分な食事を与えられ養育されては居たが、飢えた状態で真っ当に育たず初陣を迎える年頃になって、そのまま帰って来ない子供を沢山見てきたと言う。
そして売れる子供の方も管理人の伝手が貧弱だった為に、吉原の遊郭なんて上等な場所では無く、場末の岡場所や地方の宿場に湯治場なんかへと決して高く無い銭で引き取られて行ったのだそうだ。
「野良の氣功使いってのは氣を制御出来ねぇ所為で、色んな所が歪に育つ物らしい。あの子も多分無意識に氣を頭に回してそうした汚ねぇ事情を理解しちまったんだろうな。いつの間にか孤児院から姿を消したんだそうだ」
勿論、管理人は子供が行方知れずになったと言う自身の不始末を、管轄の奉行所に届けたりはして居らず全て隠蔽しようとしてたらしい。
けれどもそうして隠蔽していた色々も大怪盗山猫の出現と、其れに触発された『暴れん坊お孫様』の活躍に依って明るみに出る事と相成った。
「あの子供は手前ぇの欲だけで盗みを働いて居た訳じゃぁ無い。盗む相手も悪党と言って間違いない様な下衆い商いしてた奴ばかり。奴さんの入った現場じゃぁ殺しや手篭め所か、傷ついた者一人無し……と」
職務で有る以上、上からの命令が有れば例え盗みの三ヶ条を守る義賊だとしても、追う義務が有る。
火盗改が山猫を追いかけたのも、武光に成敗されたとある幕臣からの要請での事だったが、その仕事振りから現場の者達の士気は低く、実際に現場で相対した仙城殿も、其の姿を見て子供の犯行だと理解し、本気で捕らえようとはして居なかったらしい。
「その上、悪徳商人の類が鳴りを潜めりゃ、手前ぇが餓えようとも盗みに手を染めて無かったなぁあの姿を見りゃ明々白々、後は鬼切童子殿が手綱を付けてくれるってぇなら、山猫対策に回してた手を他の悪党の捜査に回せるってなもんさね」
向こうの世界の様に時効を定める法律なんて物は無いが、各奉行所も火盗改も無限に捜査の手が有る訳では無く、どうしても捜査に優先順位を付けざるを得ない。
そうなるとどうしたって優先されるのは、盗みの三ヶ条を全て犯している様な凶悪な盗賊団で、山猫の様な盗んだ額面は多いが怪我人すら出していない様な者を相手に手を割き続ける訳には行かないのだ。
その上火盗改の管轄は飽く迄も江戸州内だけで、他所の土地に出ていったならば其れを追い続けるのは職務の範囲では無い。
「此れから先、山猫が江戸で盗みを働か無けりゃ、盗んだ銭を持ってどっか遠くに逃げちまったってな事で此の件は『はい終い』で良いじゃねぇの。あ、一応現場の面子に筋通して起きたいてぇなら、長官が返した重たい物一枚で良いからあっしに渡してくんね?」
情状酌量の余地の有る子供の、未来ある命を奪うのは忍びない……そう言う思いは間違いなく仙城殿の胸にも有るだろう。
けれども……そうした全てが彼が最後に吐いた賂を無心する言葉で、色々と台無しになったと思ったのは仕方が無い事なのでは無かろうか?
俺は溜息を一つ吐くと、重箱の中から一枚十両大判を取り出し掛けてから……
「このまま渡すと分けるのに両替の手間が掛かるでしょう? 何人居るんですか? 人数分の小判を渡すんで其れを皆に配って下さいな」
改めてそう言って、行き先を正門から俺の部屋の有る長屋へと変更するのだった。




