千二百七十 才能を鑑み風呂事情を考える事
それから三回、手合わせを繰り返した結果、純粋に前衛としての能力では既にお連は俺を越えているだろう事が実感出来た。
いや本気で殺す前提ならば氣は攻撃力を高める事だけに使い、斬撃そのものの精度は鍛錬に鍛錬を重ねて身に着けた『雲耀の太刀』……と言うには未だまだ物足り無い挙動だが、お連相手ならば十分な鋭さを持った一撃で叩き斬る事は十分可能ではある。
ただそこまでの一手を繰り出せば、ソレは稽古の範疇を超えると判断したのでやらなかっただけで、俺が彼女に絶対勝てないという訳では無い。
もっと言ってしまえば単純に才能と適性の差で、前衛として斬った張ったをするのは俺よりもお連の方が適しているという……男としては一寸認めたく無い事ではあるが、事実は事実として認めざるを得ない事があるだけだ。
……前世に三十年以上の積み重ねが有った上でこの結果なのは正直な話、少々情けないと感じる部分が無くも無いが、単純な腕力だけならば同じ年頃だった義二郎兄上よりもお連の方が上らしいので、コレに関しては彼女が天才だと割り切るしか無い。
個人的に言えば『天才』というのは『努力を苦痛と思わず邁進していける性質』の事を指すのだと思いたいが、実際問題として体質やら性質やらその他特性やらの関係で、一の努力で十の結果を生む者は存在し得るのだ。
解り易いのが身長や体重に筋肉量と言った体格の問題で、ある程度は努力で補う事も出来るだろうが、骨格の成長なんかはどうしても遺伝的要因に左右されてしまう。
俺が向こうの世界で修練していた剣道は柔道なんかの様に体重別の階級制はなかったが、ソレは体格が良い者が必ずしも有利とは言い難い取り決めで試合が行われて居たからだと思われる。
背が高く腕が長い者は間合いが広く有利に立ち回り易い様に思えるが、素早い小兵が翻弄して一本取る……なんて事は決して珍しい話では無い。
この辺は打突部位に剣が当たれば基本的に致命傷と言う武器を使う武道特有の感覚なのかもしれない……と一瞬思ったが、無手での立ち会いで組打ちと言う諸に体重差が勝ち負けに出る相撲も階級制度の無い競技だった事を思い出す。
日本の武道・武術では『柔よく剛を制す』と言うのが極意を示す言葉としてよく用いられるが、あの言葉には対となる『剛よく柔を断つ』と言う言葉が有り、必ずしも柔の方が強いと言う訳では無い。
事実として階級制度が無く常に無差別級の闘いを強いられる相撲では、体重を増やす事も立派な稽古の内と考えられて居る為に、小柄な体格で勝ち星を取りに行く『小兵』は少数派だった。
俺は相撲は余り詳しい方では無いがソレでも『小兵』で強い力士は珍しく、だからこそ前世の世界でも今生の世界でも、そうした者は判官贔屓の好きな日本人の気質的に人気が出やすいのだろう。
なおコレは余談ではあるが後からノートPCに入っている百科事典の情報を調べた所、小兵と呼ばれる者で横綱になった者は何人か居るのだが、最も体重が軽かった者でも二十七貫半と一般人から見ればやはり巨漢の部類だったりした。
まぁ力士の平均体重は四十四貫前後らしいので、ソレから見れば確かに小柄とは言える様だ。
兎にも角にも多くの格闘技で体重別の階級制度が用いられている事からも解る通り、体格の差は本人の努力では埋める事が極めて難しい絶対的な才能の一つ……と多くの者が考えて居るのは事実なのだと思う。
無論、先程挙げた小兵の例の様に、弛まぬ修練に依って武技を磨き階級差を乗り越えて勝利を掴む……なんて事も決して夢物語の中だけの話では無いとは思いたい。
少なくとも俺は自分より体格の大きな『素人』が相手ならば、例え向こうが得物を持っていて此方が無手だったとしても、相手に怪我をさせる事無く取り押さえる自信はある。
何処で聞いた物だったかは覚えていないが武術と言う物は古来、体格が大きく腕力の強い者の暴力に対して、小柄で力の弱い者が対抗する為に編み出された技法だったと言う。
そういう意味で言うならば階級制を用いず無差別級一本で勝負させる相撲は、ある意味では武の原点に近い所にあるのかもしれない……体格の大きい者が圧倒的に有利だと言う事まで含めて。
体格と言う点で言えば未だ幼いお連は、息子さんが元気になった事で成長期を迎え、急速に身体が大きくなり始めている俺よりも明確に小さいし、義二郎兄上の様に全身筋肉の塊と言う訳でも無い。
触って確かめた事までは無いので断言は出来ないが、少なくとも襦袢の上からでも解る程にムキムキの筋肉が全身を覆っていると言う事は無く、年相応の少女らしい柔らかさを残した肢体をして居る様に思う。
にも関わらず技術を介在する事無く純粋な腕力勝負としてやった腕相撲では、堪える事すら出来ずに瞬殺されたんだよなぁ。
あの細っこい腕でなんであんなに力があるんだか?
まぁ彼女の新しい得物として作った鉞は俺だと持ち上げるのが精一杯で、自在に振り回すなんて事は不可能だと断言出来る程に糞重いので今更と言えば今更ではあるが……。
「お前様、良い感じに汗かきましたね! それじゃぁ連は一寸井戸でさっぱりしてきます!」
稽古の結果に少々思う所が有った俺とは違い、お連は此方が本気に成ったならば勝てない事は重々承知と言う感じで、本当に良い汗をかいたと言う笑顔でそんな言葉を投げかける。
いや解っては居るんだ俺とお連の違いは……。
要するに俺が器用貧乏では無く『起用万能』とでも言う様な、ネット小説や電子遊戯で言う所の所謂『勇者』とでも言うべき戦闘様式の持ち主だと思って間違いない。
対してお連は一応精霊魔法を齧っては居るが、ソレを戦闘中に器用に扱う事は出来無いし、魔法や氣の素となる魂力は相応に有れど、魔法として出力する為に必要な『魔力』は人並みより大分小さいので補助すら氣に比べると誤差程度の効果しか無いのである。
其の為、彼女をネット小説や電子遊戯に当てはめるならば純前衛の戦士で盾役兼火力と言う感じなるだろう。
万能型はどんな状況にも単独で対応出来る代わりに、専門家の得意分野では絶対に敵わないと言うのは何も電子遊戯に限った話出は無い。
……と、幼い少女をあしらう事が出来なかったと言う事実に対する自己弁護をしつつ、お連が口にした言葉についても考える。
早朝稽古でも使われている道場に面した中庭には、稽古でかいた汗を流したり水分補給をしたりする為の井戸があり、いつでも自由に使う事出来るのだ。
前世の世界とは違って一寸湯沸かし器でお湯を沸かして淋浴を浴びるなんて事は出来ないので、基本的に稽古後には井戸の水を頭から被って汗を流す事になる。
その際の格好は野郎ならば褌一丁やソレすら外して全裸でも全く構わないが、女性陣はそういう訳にも行かない。
コレが江戸市中に住む者では無く江戸州内でも農村部だったりすると、風呂に入れるのは極々一部の富裕層だけで、身を清めようと思えば水を浸した手拭いで身体を拭くだけだったり、川なんかで沐浴をするのが精一杯……なんて事に成ってくる。
そう言う環境だと助平な野郎は当然の様に覗くし、女性も裸を見られる事に恥じらいが無い訳では無いが、慣れてしまって抵抗感が薄れて行く物だと言う。
城に温泉が有って領民ならば順番を守れば無料で入浴する事が許されている猪山藩でも、夏場なんかは割り当ての日でなければ湖で水浴びをするのは割と普通の事で、信三郎兄上も釣りにかこつけて覗き見を楽しんだ……なんて話を聞いた事が有る。
江戸でも銭湯へ頻繁に通う事の出来ない様な生活の苦しい家庭の女性だと、長屋の土間で盥に水を張って水浴びをしたりする事も有るらしいが、安普請な長屋だと部屋の壁に節目が有ったり、障子に穴が空いても直す事が出来ず除き放題……なんて事も有るそうだ。
……そもそもとして江戸の銭湯は全ての見世が男湯と女湯に別れている訳では無く、入り込み湯と呼ばれる混浴の銭湯は決して珍しい物では無い。
江戸と言う都市は地元で田畑を継げず一旗上げようと出て来た者や、出稼ぎの男性が圧倒的に多く、女性は武家の奥方や姫以外だと偶々江戸で生まれた娘か、吉原を含めた遊郭に売られて来た者くらいしか居ないと言う感じで割合としては男四対女一位だそうだ。
と成ると銭湯も来るかどうかも解らない女性の為に女湯に空間と湯を沸かす燃料費を確保するのも難しく、幕府が何度禁止令を出しても入り込み湯が無くならない……と言う状態なのである。
ソレでも富裕層が比較的多い江戸城近辺の銭湯なんかはしっかりと男女別に成っており、それ相応の家格を有した商家の娘さんなんかはそっちに行く事が多いという訳だ。
相応の大店なら自宅に内風呂を持って居ても可怪しくは無いだろうって?
残念ながら此の江戸で内風呂を持っているのは、市中と郊外を隔てる地域に居並ぶ大名屋敷位な物で、江戸城内に住む幕臣の屋敷にも内風呂を持つ事は許されて居ない。
何せ建物の大半が木と紙で出来ている此の火元国では、火事に備えて煮炊きの火にすら使用の制限が有る位なのだ。
等と江戸の風呂事情に着いての蘊蓄を考えているのには当然ながら理由が有る。
鎧を脱いだお連が俺の後ろで水浴びをして居る訳だが、ソコは武家の娘と言う事で全裸に成っている訳では無い。
けれども然程厚手とは言い難い襦袢一枚で水浴びをして居る姿なんぞ拝もう物ならば、元気が余っている息子さんが暴れさせろと喧しい状態になるのは目に見えているのだ。
……ちなみに前世の俺は全裸よりもある程度衣類を身に着けている状態の所謂『着エロ』が好みであり『濡れ透け』は特に大好物だった。
前世の俺に児童性愛の気は無いと断言出来るが、今生の俺にとっては同年代と言って間違いない程度の年の差しか無い少女のそんな姿を見て興奮しない方が不健全である。
だからと言って煩悩に支配された性欲猿になるには、俺の倫理観は向こうの価値観に染まり過ぎて居るのだろう。
「色即是空、空即是色……煩悩退散」
誰に聞かせるでも無く此方の世界には無い仏教の概念を口にする事で、一瞬脳裏を過った振り向きたく成った欲望を抑え込むのだった。




