妖の国 3
「……もう少し、歩くか。」
王がそう言った。
「はい。」
私は頷き、再びその隣を歩き始めた。
祭りの明かりは、少しずつ遠ざかっている。
けれど、完全に消えたわけではない。
振り返れば、木々の向こうから淡い光が漏れていた。
風が吹くたびに、提灯が揺れる。
そのたびに、光がゆっくりと滲んで見えた。
「……綺麗ですね。」
思わず口にすると、王は少しだけこちらを見る。
「そうだな。」
「はい。」
王はそれ以上、何も言わなかった。
しばらく歩いていると、森の中に小さな坂が見えてきた。
王はそこを迷うことなく登っていく。
「どこへ行くんですか?」
「少し高いところだ。」
「何のために?」
「見れば分かる。」
そう言われ、私は黙って後をついていった。
坂を登りきったところで、王が足を止める。
「……わぁ。」
思わず声が漏れた。
そこからは、妖の国が一望できた。
森の向こうには、いくつもの家が並んでいる。
その先には、さっきまでいた祭りの明かり。
色とりどりの提灯が、夜の中に浮かんでいる。
その周囲を、小さな光がいくつも飛び交っていた。
遠くから、まだ笑い声が聞こえる。
太鼓の音も、笛の音も。
さっきまであれほど近くにあったものが、今では遠い景色の一部になっていた。
「……ここから見ると、違って見えますね。」
「そういうものか」
「はい。」
私は街を見つめた。
あそこには、たくさんの妖がいる。
笑っている妖。
誰かと話している妖。
家に帰っていく妖。
今日も、いつも通りの夜を過ごしている。
「本当にみんな、ここで暮らしているんですね。」
「ああ。」
王は短く答えた。
「毎日、ここで生きている。」
私はその言葉を聞いて、しばらく黙っていた。
「……あなたは。」
「なんだ?」
「この国が好きですか?」
王は答えなかった。
夜風が、二人の間を通り抜ける。
しばらくして、王は街へ視線を戻した。
「……嫌いなら、王なんてやっていない。」
「……そうですよね。」
それだけだった。
けれど、その声は少しだけ優しかった。
私は再び街を見る。
「記憶」の国とは、全然違う。
白くて、静かで、何もない場所。
それとは正反対だった。
ここには色がある。
音がある。
そして――誰かが生きている。
「記憶」の国では、生きていると感じなかった日々が、こんなにも違うものなのか。
「……ここは、忘れにくそうですね。」
ぽつりと呟いた。
「何?」
「いえ……」
私は自分の言葉を確かめるように、もう一度街を見る。
「こんなに色々なものがあるから。」
王は黙ったまま、私を見ていた。
やがて、その視線が私の手元へ落ちる。
「お前は。」
「はい?」
「忘れたくないものがあるのか?」
「記憶」様と同じ質問だった。
忘れたくないもの。
そう聞かれても、何も思い浮かばない。
けれど――
「……あります。」
あのとき、「記憶」様に言ったことと同じ。
その理由だけが、まだ見つからずにいる。
王は、それ以上何も言わなかった。
ただ、私の顔をじっと見つめている。
やがて、王は小さく息を吐いた。
「忘れられることは、悪いことじゃないがな。」
「なぜ、ですか?」
私の声は震えていた。
忘れていいことなんて何もない。
そう思っていた。
王はすぐには答えなかった。
ただ、遠くに浮かぶ祭りの明かりを見つめている。
「覚えていることが、必ずしもいいとこととは限らないのさ。」
その言葉の意味を、私は理解できなかった。
しかし、そのとき見た王の横顔だけは、
——————何故か、忘れられなかった。




