妖の国 2
男に手を引かれながら、私は祭りの喧騒から少しずつ離れていった。
さっきまで聞こえていた太鼓や笛の音も、今では遠くに聞こえる。
それでも、夜空にはまだ色とりどりの提灯が浮かんでいた。
「……あの」
「なんだ?」
「ここは……どこなんですか?」
男は歩みを止めなかった。
しばらく黙ったあと、前を向いたまま答える。
「“妖”の国だ。」
「妖……?」
聞き慣れない言葉だった。
「あなたたちは……妖というものなんですか?」
「そうだ。人間とは違うものだ。」
「人間……」
その言葉にも、どこか引っかかるものがあった。
「さっきも、他の妖が言っていました。」
「何を?」
「人間のお客さんが来るって。」
男の足が、一瞬だけ止まった。
けれど、すぐにまた歩き始める。
「……そうか。」
「人間って、何なんですか?」
男はすぐには答えなかった。
「お前は、本当に何も知らないんだな。」
「……はい。」
自分でも、それは分かっていた。
「記憶」の国を出てから、私は何も知らない場所を歩き続けている。
神の国も。
妖も。
人間も。
そしてーー私自身が何者なのかさえ、分からない。
やがて男は足を止めた。
「迷い子。お前はどこから来たんだ?」
「「記憶」の国です。」
男はしばらく黙り込んだ。
「なら、お前は使者だろう?」
「はい、一応。」
「なぜ、覚えていない?」
「…え?」
「確か、「記憶」の国は、あの女の一部で作られていると聞いたが。」
「…それは。」
私は答えられず、黙り込んだ。
自分自身も、なぜ他の使者たちと違うのか分からない。
男は少しだけ私を見つめると、やがて肩をすくめた。
「まぁいい。一人くらい、他とは違う奴がいてもおかしくない。」
そう言って、「見てみろ。」と言わんばかりに、男は周囲に指を指す。
「…ここには、いろんな姿の妖がいるんですね。」
「妖には決まった姿がない。」
男はそう言った。
「生まれつきの姿の者もいれば、長い年月の中で姿を変える者もいる。」
そして、男は私を見つめる。
「……だから、お前もさっきのことは気にするな。」
「……え?」
「あの女が使者を作るのには、必ず意味がある。」
男は空を見上げる。
「どうせ今も、俺たちの会話はあいつに筒抜けだろうがな。」
「そう…なんでしょうか…」
私は思わず周囲を見渡した。
けれど、何かが見えるわけでもない。
男はそんな私を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
やがて、祭りの明かりが少しずつ遠くなっていく。
代わりに、木々の間からいくつもの建物が見えてきた。
小さな家。
大きな屋敷。
その間を縫うように細い道が続いている。
「ここにも、家があるんですね。」
「ああ。」
「妖は……ここで暮らしているんですか?」
「そうだ。」
男は淡々と答える。
「生まれて、育って、誰かと出会い、家族を作る。そして、いつか死ぬ。」
私はその言葉を聞いて、少しだけ目を伏せた。
当たり前のことなのかもしれない。
けれど、私には少し不思議だった。
「……じゃあ、ここが妖たちの故郷なんですね。」
「ああ。」
今度の返事は、迷いがなかった。
男は足を止め、遠くに広がる町を眺める。
「ここは、妖たちが帰ってくる場所だ。」
その横顔を見ていると、さっきまで祭りから逃げるように歩いていた男とは、少し違って見えた。
「あなたは……」
私は男を見る。
「本当に、この国の王様なんですか?」
男は私を見て、少しだけ笑った。
「そう呼ばれているだけだ。」
「でも、みんなあなたを探していました。」
「……仕事があるからな。」
「仕事?」
王は黙った。
その沈黙が、妙に気になった。
「もしかして……」
「なんだ?」
「仕事から逃げていたんですか?」
王の足が止まった。
しばらく、沈黙が続く。
「……祭りの日くらい、好きにさせろ。」
「……」
思わず、私は目を瞬いた。
王というものは、もっと厳格な存在だと思っていた。
けれど、この人は少し違うらしい。
「ふふ……」
気づけば、小さく笑っていた。
王は少し驚いたように私を見る。
「何がおかしい?」
「……いえ。」
どうして笑ったのか、自分でもよく分からなかった。
ただーーここに来てから初めて、少しだけ安心した気がした。




