妖の国 1
「記憶」の国を出てから、どれくらい歩いただろう。
白い景色はいつの間にか消えていた。
振り返っても、もうあの白い塔は見えない。
そこで改めて実感した。
私は、本当に「記憶」の国から出たのだ。
どこに行くかも分からないまま、ひたすら歩く。
すると、目の前に深い森が広がっていた。
その木々の隙間からは、淡い光が漏れている。
「……あれは?」
気になって、光の方へ近づいてみる。
森を抜けた先にあったのは、大きな門だった。
古びた門には見たことのない紋様が刻まれている。
その向こうから、賑やかな音が聞こえてきた。
太鼓。
笛。
誰かの笑い声。
私は少しだけ首を傾げた。
「……お祭り?」
「記憶」の国にいたときにも、似たような行事があった。
けれど、それが何のための行事だったのかは、今も分からない。
ただーーこんな風に賑やかだったことだけは覚えている。
忘れる私が、過去の行事を覚えている。
そのことに、ほんの少しだけ違和感を覚えながら、私は恐る恐る門をくぐった。
その瞬間、目の前に広がった光景に、思わず足が止まる。
色とりどりの提灯が、夜空を埋め尽くしていた。
道の両脇には屋台が並び、その間を大勢の影が行き交っている。
しかし、よく見ると、私たち使者とは明らかに違う姿をしていた。
頭に角を生やした者。
獣の耳を持つ者。
長い尾を揺らす者。
顔を面で隠した者。
どれも、見たこともない姿をしている
「……生き物?」
思わず呟いた。
すると、隣を通り過ぎた小さな影が振り返った。
「旅の人?」
「え?」
「珍しいね。今日は人間のお客さんも来るんだ」
そう言って、その生き物は何事もなかったように走り去っていった。
私はその背中を見送る。
“人間”
その言葉が、頭の中に引っかかった。
ーー“人間”って、なんのことだろう。
私が知らないだけなのだろうか。
それとも、忘れているのだろうか。
考えているうちに、周囲へ視線を戻す。
彼らは笑っていた。
歌っている。
食べて、飲んで、踊っている。
「……ここは、どこなんだろう。」
私は小さく呟いた。
そのときだった。
「初めて見る顔だな、人間か?」
背後から声がした。
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
角が生えていて、顔の半分をお面で隠してる。
けれど、周囲にいる生き物たちとはどこか違う。
姿だけではない。
言葉にするのは難しい。
ただ、その男からは「記憶」様に似たような雰囲気を感じる。
祭りの喧騒の中にいるはずなのに、その男の周りだけ妙に空気が落ち着いていた。
「あなたは……?」
男は答えなかった。
ただ、私の顔をじっと見つめる。
そして、ほんの少しだけ目を細めた。
「……迷い子か」
「…どういう意味ですか?」
聞き返す。
けれど、男は答えなかった。
その時、背後から声が飛んでくる。
「王! こんなところにいらしたんですか!」
「王さま、探したんだよ!」
私は思わず男を見る。
「王様?」
この男が?
男は、少しだけ笑った。
「そう呼ばれている。」
その言葉を聞いた瞬間、なぜか胸の奥がざわついた。
私はこの人を知らない。
会ったこともない。
それなのに。
どうして、この人を知っているような気がするんだろう。
そんな疑問を抱えたまま、王と呼ばれたその男は、私の手を取った。
「少し付き合え。」
「どこへ…?」
答えを聞く前に、男は歩き出した。
「王さま!」
背後から声が飛んでくる。
けれど男は振り返らない。
生き物の間をすり抜け、屋台の陰を抜け、提灯の明かりの中へと紛れていく。
私の手を引いたまま、まるで最初からそこにいなかったかのように。
気づけば、先ほどまで聞こえていた声は、すっかり遠くなっていた。
私は何が起きたのか分からないまま、男に手を引かれて歩いていった。




