妖の国 4
王の横顔を見つめたまま、私は黙っていた。
「覚えていることが、必ずしもいいこととは限らないのさ。」
その言葉が、頭から離れない。
「……王。」
「なんだ?」
「あなたには……忘れたいことがあるんですか?」
王は答えなかった。
しばらくして、静かに口を開く。
「昔の話だ。」
「昔……?」
「ああ。」
王は街へ視線を向けた。
遠くでは、まだ祭りが続いている。
笑い声も聞こえる。
けれど、王の声だけは、その喧騒から切り離されたように静かだった。
「俺には、両親がいた。」
その言葉に、私は王を見る。
「二人とも妖だった。」
「……はい。」
「昔、この国には今よりも多くの妖がいた。」
王はゆっくりと話し始めた。
「俺は両親と、ここで暮らしていた。」
少しだけ、王の口元が緩む。
「母はよく祭りが好きだった。父は、人付き合いが苦手なくせに、祭りの日だけは誰よりも遅くまで残っていた。」
私は黙って聞いていた。
「今と同じように、妖たちが笑っていて、騒いでいて……俺も、それが当たり前だと思っていた。」
王は、遠くに浮かぶ提灯を見る。
「朝になれば起きて、母と食事をして、父の帰りを待つ。夜になれば、三人で眠る。」
「……ずっと、そうしていたんですか?」
「ああ。」
短い返事だった。
「何も特別じゃなかった。」
そこで、王の声が止まった。
「……ある日までは。」
夜風が吹く。
提灯の明かりが、遠くで揺れた。
「人間が、この国へ来た。」
「人間……。」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。
「最初は、ただの旅人だと思っていた。」
王の視線が、遠くの街へ向けられる。
「けれど、人間たちは妖を見るなり、怯え始めた。」
「……怯えた?」
「ああ。」
王の声が、少しずつ低くなる。
「俺たちが何をしたわけでもない。ただ、人間と違う見た目だから。妖だからというだけでな。」
その言葉と同時に、夜風が吹いた。
提灯の明かりが、遠くで揺れる。
「化け物だと呼ばれた。」
「……。」
「母は何も言わなかった。父も、俺を後ろに隠して、何もするなと言った。」
王は一度、目を閉じた。
「けれど、人間たちは帰らなかった。」
「……なぜ、ですか?」
「妖を殺すためだ。」
短い言葉だった。
けれど、その声には明確な怒りがあった。
「あいつらは、俺たち妖が人間と違うという理由だけで、一匹ずつ捕まえて殺した。」
その声は、震えていた。
長い間、胸の奥に押し込めていた怒りが、堰を切るように溢れ始めていた。
「その時、父は俺を逃がそうとした。」
王の手が、ゆっくりと握られる。
「母も俺の前に立った。」
握られた手に、さらに力が込められていく。
「やめてください、と母は言った。」
王は、息を整えるように一度言葉を止めた。
「俺たちは何もしていない。ここで暮らしているだけだ、と。」
少しの間、沈黙が続いた。
王は、必死に怒りを抑えているようだった。
それでも、口から出る言葉には、隠しきれない憎しみがあった。
「でも、人間たちは聞かなかった。
あいつらにとって、妖の言葉なんて意味をなさない。」
王自身、苦しいはずなのに、言葉を止めようとはしなかった。
「やがて、あいつらは父を殴った。」
王は、私を見つめながら続ける。
「父は、それでも俺の前から退かなかった。母も、俺を抱きしめていた。」
王の声が、震える。
「俺は怖かった。」
———やめて。
「何もできなかった。」
——————もう、やめて。
「その時の俺には、二人にしがみつくことしかできなかった。」
私は、王の言葉を聞きながら、涙を流していた。
「父は、俺に言った」
「逃げろ、と。」
その表情には、深い後悔が刻まていた。
「母も俺の手を離して、……お願いだから、生きて、と。」
胸の奥が締め付けられる。
どうして、こんなにも苦しいのだろう。
「俺は……逃げた。」
王は俯いた。
「後ろから、父や母の叫び声が聞こえていた。」
私は黙って、その言葉を聞いていた。
「それでも、振り返れば逃げられないと思った。」
王は、ほんの少しだけ笑った。
けれど、その笑みはあまりにも寂しかった。
「その時の俺は……逃げることしかできなかったんだ。」
「そして、戻ったときには……もう二人ともいなかった。」
私は何も言えなかった。
かける言葉も、何を言えばいいのかも分からない。
「人間は、妖だから俺の両親を殺した。」
王は、唇を噛み締める。
「それだけだったんだ。」
「俺たちが何をしたかなんて、関係なかった。」
王の声が、静かに落ちる。
「ただ、妖だったから。」
「だから、殺された。」
私は、言葉を失った。




