「記憶」の国 4
忘れることは、私にとって息をするのと同じくらい当たり前だった。
だから、どう言葉にすれば伝わるのか分からない。
しばらく黙っていると、声は急かすことなく静かに待っていた。
やがて私は、小さく口を開く。
「……気づいたら、なくなっています。」
「なくなる…?」
「はい。」
どう説明すればいいのか分からず、私は視線を落とした。
「見たものも、聞いたことも……その全ての記憶が。」
「最初は覚えています。でも、少し経つと……霧がかかったみたいに、ぼやけて。」
言葉を探しながら、一つひとつ確かめるように紡ぐ。
「手を伸ばしても届かなくて、掴もうとした頃には、もう何もない。」
「……最初から、なかったみたいに。」
静寂が落ちる。
その沈黙に耐えられず、私は思わず顔を上げた。
……言いすぎただろうか。
忘れるという感覚を、うまく伝えられなかった気がした。
「記憶」様は、しばらく何も言わなかった。
「……不思議ね。」
その一言だけだった。
責める声ではもなく、呆れた声でもない。
本当に、知らないものに触れたような響きだった。
「私は“忘却”を知らない。」
その言葉を確かめるように、「記憶」様は続けた。
「この国に生まれた者もまた、“忘却”を知らないわ。」
「だから、貴方だけが違う。」
私は小さく息を呑んだ。
その言葉には、「欠陥」という響きはなかった。
ただ、事実を述べているだけ。
「海の前で、何を見たの?」
不意の問いに、私は目を瞬かせる。
「……分かりません。」
「何かを見たんでしょう?」
「見た……気がします。でも、思い出せないんです。」
悔しさが胸の奥に滲む。
あと少しで思い出せそうなのに。
その”あと少し”が、どうしても届かない。
「そう。」
「記憶」様は、それ以上何も言わなかった。




