「死」の国 1
「……っ」
目を開けるとそこは、暗く静かな場所だった。
私はゆっくりと身体を起こす。
辺りを見渡してみても、何もない。
花もない。
建物もない。
誰の姿も見えない。
耳を澄ましてみても、何も聞こえなかった。
風の音すらしない。
「……ここが、「死」の国」
落ちる直前に、「法」から聞いた言葉を思い出す。
ーー自分の意思だけで出られると思わないほうがいい。
私は立ち上がり、出口を求め、歩き始めた。
どこへ向かえば正解なのかは分からない。
けれど、ここに立ち止まっていても何も始まらない。
早くここから出なければならない。
頭の奥から、そんな警告が聞こえてくるようだった。
ふと、前方に人影が見えた。
「……?」
私は足を止める。
そこにいたのは、一人の老人だった。
長い白髪と、深い皺の刻まれた顔。
杖をつきながら、静かにこちらを見ている。
見た目だけなら、どこにでもいる穏やかな老人に見えた。
けれど、ここは「死」の国であり、そんなことあるはずがない。
老人は私をじっと見つめる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……生きておるのか?」
その言葉に、私は少し戸惑った。
「……はい」
警戒を緩めずに答える。
老人は、それ以上何も言わなかった。
ただ、私を見つめている。
まるで、私の姿そのものを確かめるように。
やがて――
「……妙だな」
小さく呟いた。
「……妙?」
思わず聞き返す。
けれど、老人は答えない。
そのまま私へ近づいてくる。
「……何が、妙なんですか?」
私が尋ねると、老人は立ち止まった。
そして、私の身体をじっと見つめる。
「お主……」
老人の手が、ゆっくりと私へ伸びてくる。
「……混ざっておる」
「……え?」
「法」の神にも言われた言葉。
私は反射的に一歩後ろへ下がる。
「……何をするんですか?」
老人は伸ばした手を止めた。
そして、穏やかな声で言う。
「怖がることはない」
私は老人を睨みつけた。
「ただ、お前の中に何があるのか見たいだけだ」
その声には、敵意がなかった。
それでも、私は警戒を解けない。
老人はそんな私を見て、ほんの少しだけ目を細めた。
「……そうか」
そして、もう一度手を伸ばす。
今度は拒むこともできず、私はその場に立っていた。
老人の手が、私の頭に触れる。
その瞬間、老人の表情が変わった。
「……なるほど」
それだけだった。
何が分かったのか。
何を見たのか。
私には何も分からない。
「……何が、分かったんですか?」
尋ねても、老人はすぐには答えなかった。
ただ、私の瞳を見つめている。
その瞳は、まるで私のことをずっと昔から知っているかのようだった。
「……あなたは、私のことを知っているんですか?」
そう聞くと、老人は少しだけ笑った。
「いや」
「……え?」
「お主自身のことは、知らないさ」
意外な答えだった。
けれど、その言葉とは裏腹に――老人には、何もかも見透かされているような気がした。
「ただ……」
老人は静かに続ける。
「お主の中にあるものは、少しばかり妙だ」
「……私の中にあるもの?」
私は自分の胸元へ手を当てる。
何があるというのだろう。
「記憶」や、これまで出会った神々。
そして、自分でもまだ知らない何か。
老人はしばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「お主は、自分が何者なのか……」
その声は、不思議なほど落ち着いていた。
「……まだ知らないのだな」
老人はどこか寂しそうに私を見つめる。
私は何も答えられなかった。
ただ、その言葉だけが暗い国の中に残った。




