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神代観測録  作者: 音音
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花の国

あの国を離れてから、しばらく経った頃。

私は、《現在》様から託された一輪の花を手に、歩き続けていた。

やがて、目の前に広がったのは、一面の花だった。

赤、青、黄、白。

色とりどりの花が、国中に咲き誇っている。

「……ここが、花の国?」

私は、ゆっくりと辺りを見渡した。

風が吹くたびに花々が揺れる。

その光景を見ていると、まるで花たちが私を歓迎してくれているような気までしてきた。

けれど、私は立ち止まっているわけにはいかなかった。

《現在》様から託された、一輪の白薔薇。

それを花神へ届けるために、私は歩き始めた。

しばらく歩き続けると、花々に囲まれた場所に、一人の女性が座っていた。

彼女の瞳からは、涙がこぼれている。

「あなたが、花神ですか……?」

そう聞くと、彼女は顔を上げた。

流れる涙をそのままに、ゆっくりと私へ近づいてくる。

「貴方が、「記憶」が言ってた使者さんね?」

そう言った瞬間だった。

先ほどまで流れていた涙が、地面に咲き誇る花々に落ちて消える。

まるで、その涙で水やりをしている様に。

そして、彼女は私を見て、妖艶な笑顔を浮かべた。

その瞳に吸い込まれそうになる。

言葉を飲み込むようなその瞳を見ていると、自分がここへ何をしに来たのかさえ忘れてしまいそうだった。

「あっ……えっと、これを」

ふと我に返り、私は現在様から託された一輪の花を差し出した。

「白薔薇……?」

花神は、それを受け取る。

そして、しばらく黙り込んだ。

私たちは、一言も喋らなかった。

なんとなく、そうした方がいいとさえ感じた。

花神は白薔薇を見つめたまま、何かを思い出しているようだった。

やがて、静かに口を開く。

「何故、これを?」

「「時」の神――《現在》様から、花神様にと」

そう伝えると、花神は一瞬、嬉しそうな表情を浮かべた。

けれど、それはすぐに寂しそうなものへと変わっていく。

「……そう」

白薔薇を胸元へ寄せる。

「《現在》さんが……」

その声は、とても小さかった。

「《現在》様は、花神様を救おうとしていました」

私がそう伝えると、花神の瞳が僅かに揺れる。

「……知っているわ」

その表情は、何かを堪えているようにも見えた。

「《現在》様は、花神様のことを――」

そこまで言ったところで、花神が微笑む。

「……優しい人ね」

「え?」

「《現在》さんは、昔からそうだったわ」

花神は白薔薇へ視線を落とした。

「私が何を言っても、何度も手を伸ばしてくれた」

その声には、どこか懐かしさが滲んでいた。

「だから……」

花神は、白薔薇をそっと撫でる。

「もう、十分なの」

「……?」

その言葉の意味が分からず、私は花神を見つめる。

けれど、花神はそれ以上何も言わなかった。

ただ、白薔薇を大切そうに胸元へ抱いている。

「花神様は……嬉しくないんですか?」

思わず、そう尋ねていた。

花神は少しだけ目を丸くする。

「どうして?」

「……《現在》様が、花神様のために渡した花ですから」

「そうね」

花神は、白薔薇を見つめる。

「嬉しいわ」

その笑顔は、とても穏やかだった。

「だから、伝えてくれる?」

「何をですか?」

花神は少しだけ目を伏せる。

「彼に……《現在》さんに」

そして、白薔薇を胸元へ寄せた。

「ありがとう、と」

「はい」

私は頷いた。

けれど、花神はどこか遠くへ消えてしまいそうな雰囲気を纏っていた。

「……花神様?」

思わず、声をかける。

花神は私を見る。

その瞳には、先ほどまでとは違う静かな色が浮かんでいた。

「ねぇ」

「はい?」

「貴方は、花が好き?」

突然の問いに、私は少し戸惑った。

「……はい。綺麗だと思います」

「そう」

花神は周囲に咲く花々を見渡した。

「花って、不思議よね」

「……?」

「どれだけ綺麗に咲いていても、いつかは枯れてしまう」

花神は、一輪の花へ手を伸ばす。

その花に触れることなく、ただ眺めていた。

「それでも、また新しい花が咲く」

「……枯れるのは、寂しくないんですか?」

私がそう聞くと、花神は少しだけ黙った。

やがて、静かに笑う。

「ええ」

その声は、とても優しかった。

「だから私は、花が好きなの」

「……?」

「咲いている時間が、ずっと続くわけじゃないから」

花神は、もう一度花へ視線を向ける。

「限られた時間だからこそ、大切に思えるのかもしれないわね」

私は、その言葉を聞きながら花神を見つめていた。

何故だろう。

その言葉が、妙に胸に残った。

その時――国中に咲き誇っていた花々が、少しずつ色を変え始めた。

「……?」

赤い。

一輪。

また一輪。

やがて、視界に映る花々が次々と赤く染まっていく。

まるで、血で染められたような色。

「これは!?」

驚きながら、私は花神を見る。

花神は、その光景を静かに見つめていた。

「彼岸花よ」

そう言って、私を見る。

その顔は、穏やかだった。

「……綺麗ですね」

思わず、そう呟いた。

「そうね」

花神は微笑む。

けれど、その笑顔はどこか寂しかった。

「最後に貴方に会えて良かったわ」

「……最後?」

その言葉の意味を理解するより先に――

花神の身体が、花びらへと変わっていく。

「花神様……!」

伸ばした手は、届かなかった。

花神の身体は、一枚、また一枚と花びらになって散っていく。

「……ごめんなさい」

その声だけが聞こえた。

誰に向けた言葉なのか、私には分からなかった。

やがて、花神の姿が完全に消える。

咲き誇っていた花々も、次々と散っていった。

その光景を、私はただ見つめることしかできなかった。

そして――

足元までも、消えた。

「お、落ちる!」

身体が宙へ投げ出される。

花びらと共に、私は暗闇の中へ落ちていった。

どこまでも。

どこまでも。

その時、私はふと花神の姿を思い出した。

涙を流していた彼女。

《現在》様からの白薔薇を見つめていた彼女。

「もう、十分なの」と言った彼女。

そして――最後に見せた、あの寂しそうな笑顔。

何故、あんな顔をしていたのだろう。

何故、最後だと言ったのだろう。

考えても、答えは出なかった。

ただ、落ちていく。

落ちた先は、暗闇の中で生きた心地がしない。

ここが何処なのかは、分からない。

けれど、不思議と身体が強張る感覚。

足を踏み入れたら最後。

自分の意思だけで出ることはできない。

以前、「法」の神が言っていた。

「法」の神ですら恐れをなすほどの場所と。

私は、その場所にいる。

そう、ここは「死」の国。

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