「時」の国 3
花神が咲けば、《現在》はそばにいた。
花神が散っても、《現在》はそばにいた。
それを、何度も繰り返した。
咲いている時間も。
散っていく時間も。
その後に訪れる静かな時間も。
二人は、共に過ごすようになった。
花神も、そんな《現在》を拒まなかった。
むしろ、それが当たり前になっていった。
ある日のことだった。
《現在》が花神のもとに訪れると、その足元に場違いなくらい深紅の花が一輪だけ咲いていた。
周囲には、いつもの花が咲いている。
その中で、その赤い花だけが妙に目立っていた。
「……なんだ、これ」
《現在》がしゃがみ込み、花を見つめる。
細い茎。
鮮やかな赤い花弁。
花神は、少し離れた場所からその花を見ていた。
「彼岸花」
「彼岸花?」
「うん」
花神は、それ以上何も言わなかった。
《現在》はもう一度、その花を見る。
なぜだか分からない。
ただ、その一輪が妙に気になった。
それからしばらくして。
《現在》は花について調べた。
花には、それぞれ意味があるらしい。
花言葉というものだ。
彼岸花にも、いくつかの意味があった。
その中に――
「……死への恐怖」
その言葉を見た瞬間、《現在》の手が止まった。
脳裏に、あの日の赤い花が浮かぶ。
一輪だけ咲いていた、彼岸花。
「……まさか」
けれど、それ以上は考えなかった。
ただの偶然かもしれない。
そう思うことにした。
それから、また時間は過ぎていった。
そして、花神が散る日が来た。
いつものことだった。
花神の身体から、花びらが落ちていく。
《現在》は、その姿を黙って見ていた。
何度も見てきた光景。
もう慣れているはずだった。
けれど、その日は違った。
花神の足元に、一輪の赤い花が咲いた。
――彼岸花。
《現在》は、息を止めた。
一輪。
それだけではない。
また一輪。
さらに一輪。
次々と赤い花が咲いていく。
気づけば、花神の周囲は彼岸花で埋め尽くされていた。
散っていく花。
その傍らで、咲き誇る赤い花。
《現在》は、その光景を見つめることしかできなかった。
そして、ようやく気づく。
あの日の一輪も。
今、目の前で咲いている花も。
偶然なんかではなかった。
「……怖いのか」
《現在》が、静かに尋ねる。
花神は答えなかった。
ただ、散っていく花を見つめている。
その表情には、いつもの笑顔はなかった。
《現在》は、初めて理解した。
花神は、死を恐れていた。
ずっと「大丈夫」と言いながら。
本当は、怖かったのだ。
それなのに、自分は何も知らなかった。
散っても、また咲く。
だから大丈夫なのだと思っていた。
けれど。
花神にとっては、それだけではなかった。
死ぬことが怖い。
それでも、また咲かなければならない。
また生きなければならない。
何度散っても。
何度終わっても。
終わることが許されない。
《現在》は、ようやくその苦しみに触れた気がした。
「……そういうことだったのか」
花神は何も答えない。
やがて、彼岸花と共に静かに散っていった。
《現在》は、その姿を見つめながら思った。
そばにいるだけでは、何も変えられない。
花神がどれだけ苦しんでいても、自分にはそれを止めることができない。
ただ、見ていることしかできない。
それが、ひどく苦しかった。
それでも、今は何もできない。
だから《現在》は、ただ花神のそばにいた。
何かを変えられるわけではない。
何かを救えるわけでもない。
ただ、一人にはしない。
それだけだった。
それから、二人は以前よりも近くなった。
花神は、少しずつ《現在》に話すようになった。
自分のこと。
花のこと。
何でもないこと。
くだらないこと。
そして時々、
「また散るのかな」
そんな言葉を、ぽつりと口にすることもあった。
そんなとき、《現在》は答えた。
「さあな」
分からないことを、分からないまま返す。
それでも、花神は少しだけ笑った。
「……そっか」
その笑顔を見ながら、《現在》は思っていた。
もし、いつか。
花神が「大丈夫」と言えなくなったとしても。
そのときは、自分がそばにいよう。
そんなことを、まだ言葉にはしなかった。




