「時」の国 1
「まさか、お前が法に触れるとはな」
「法」は、目の前に膝をつく男を見下ろしていた。
男の両手には鎖が繋がれている。
その表情には、悔しさと怒りが滲んでいた。
「神が他の神に干渉することが禁忌なのは、分かっているはずだ」
「法」の声は静かだった。
それでも、その言葉には逆らうことを許さない重みがある。
男は顔を上げた。
「……はっ。笑わせるぜ、お前の法は」
吐き捨てるように言いながら、「法」を睨みつける。
「お前が……お前さえいなければ……!」
その瞳には、隠しきれない怒りが宿っていた。
「何故、法を破った?」
「法」は問いかける。
「破ればどうなるか。それくらい、理解していたはずだ」
男はしばらく黙っていた。
やがて、拳を強く握りしめる。
「俺は……ただ!」
声は震えていた。
「あいつを……あいつを救いたいだけなんだ!」
「……あいつ?」
「法」は僅かに眉を寄せた。
そして、何かに気づいたように口を開く。
「……ああ。花神か」
その名前を聞いた瞬間、男の表情が苦しげに歪んだ。
「あいつは苦しんでるんだ!」
「だから、時を止めようとしたのか?」
「法」は呆れたように息を吐いた。
「阿呆か」
「……っ」
「花神が散ることは、それが彼女の運命だ。神であるお前が、それを知らないはずがないだろう」
男は何も言い返せなかった。
「それを変えることを、よく許されたものだな」
「法」は男を見下ろしたまま、静かに続けた。
「……「時」よ」
その呼びかけに、男は顔を伏せた。
「……未来は、全て定められたものです」
いつの間にか、そこには一人の女が立っていた。
男とは違い、落ち着いた表情をしている。
彼女——「時」の女神は、男を一瞥してから「法」へ視線を向けた。
「「法」よ。この子の処遇は、わたくしたちに任せていただけないかしら?」
「「時」が「時」を裁くだと?」
「ええ。わたくしたちの問題ですもの」
女は微笑んだ。
「もちろん、この子が犯した罪はなかったことにするつもりはありません。法を破った責任は、わたくしたちが取らせます」
「法」は、しばらく二人を見つめていた。
やがて、諦めたように息を吐く。
「……今回は、お前たちの働きに免じて、その申し出を認めよう」
そして、男へ視線を戻した。
「しかし、二度目はない」
男は黙ったまま俯いている。
「分かったか?」
女が男に代わって答えるように、静かに口を開いた。
「……ええ」
「ならば、連れていけ」
女は男へ近づき、その肩に手を添えた。
男は一度だけ「法」を振り返ったが、何も言わなかった。
二人の背中が遠ざかっていく。
「法」は、その姿をしばらく見つめていた。
やがて、二人の姿が見えなくなる。
その場には、静寂だけが残った。
□□□
歩き続けていると、目の前に大きな時計塔が現れた。
空へ伸びるようにそびえ立つ塔。
壁には、いくつもの時計が埋め込まれている。
針はそれぞれ違う時刻を指していた。
「……ここは」
私は時計塔を見上げた。
他に行けそうな場所はない。
塔の扉へ近づき、ゆっくりと押し開けた。
――ギィィ……。
重たい音が響く。
中へ入ると、目の前に階段があった。
けれど、その階段は上へではなく、地下へ向かって伸びている。
「……下?」
他に道はない。
私は仕方なく、階段を降り始めた。
一段。
また一段。
足音だけが、静かな塔の中に響いていく。
しばらく歩いても、終わりは見えなかった。
どこまでも続いている。
振り返れば、上へ続く階段は遠く霞んでいた。
「……長い……」
さらに降りる。
一体、どれほど歩いただろう。
時間の感覚さえ、少しずつ曖昧になっていく。
まだ少ししか進んでいないような気もする。
けれど、もう何時間も歩いているような気もした。
それでも、階段は終わらない。
このまま、どこまでも続くのではないか。
そう思い始めた頃だった。
ようやく、階段の先に床が見えた。
私はほっと息を吐き、最後の一段を降りる。
そこに広がっていたのは、薄暗い場所だった。
「……ここは……?」
辺りを見回す。
錆びついた鉄格子。
古びた石の壁。
いくつもの扉。
まるで――監獄のようだった。
その一番奥。
鉄格子の向こうに、一人の男がいる。
私は慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
けれど、鉄格子が邪魔をして中へ入ることはできない。
「大丈夫ですか!?」
もう一度、大きな声で呼びかける。
すると――男の身体が、ぴくりと動いた。
「……うるせえ」
「……え?」
思わず言葉を失った。
男はゆっくりと顔を上げる。
両手には、鎖が繋がれていた。
けれど、その目にはこちらを気遣う様子など一切ない。
むしろ、迷惑そうに私を見ていた。
心配して損をした気分になる。
しばらくして、男が口を開いた。
「お前……誰だ?」
「私は……」
名乗ろうとして、言葉が止まる。
私は「記憶」の使者。
けれど――今も、それを名乗っていいのだろうか。
「……?」
男は不思議そうに私を見ている。
私は答えを決められないまま、黙り込んだ。
すると男は、ふと視線を逸らした。
「お前が誰でも構わねえ」
「……え?」
「ただ……これを、あいつに渡して欲しい」
そう言って、男は繋がれた両手を動かした。
その手には、一輪の花が握られていた。
私は鉄格子越しに、その花を見つめる。
不思議な花だった。
枯れているようには見えない。
それなのに、どこか普通の花とは違う気がする。
男は不自由な手で、私に花を差し出した。
私は戸惑いながら、それを受け取る。
「……あいつ、とは誰ですか?」
男は少しだけ目を伏せた。
そして、静かに答える。
「花神だ」




