「法」の国 2
私は、しばらく俯いたまま立っていた。
「お前は、自分自身を知るために旅をしているはずだ」
先ほどの言葉が、頭の中から離れない。
そうだった。
私は、自分が何者なのかを知るために旅を始めた。
記憶の国を出たのも。
妖の国で過ごしたことも。
人形の国で知ったことも。
そして、妖精の国で聞いたことも。
全部、私の旅の途中で起きた出来事だった。
朔を探すことは、その途中で生まれた願い。
「……出会いがあれば、別れもある」
自分に言い聞かせるように、呟いた。
朔との別れは辛い。
もう一度会いたい。
けれど、そのために旅の目的を見失ってはいけない。
まずは、自分自身を知る。
それが終わったら――
「……その時は、「記憶」の国へ戻ろう」
そして、「記憶」様に聞いてみよう。
朔のことを。
妖の国の、その後を。
今は、それでいい。
私は顔を上げた。
「法」の神は、少し離れた場所からこちらを見ている。
「……何か聞きたいことがあるのか?」
「はい」
頷く。
「教えてください」
もう迷いはなかった。
「私自身のことを。それから……下界のことや、神々のことも」
「ふむ」
「法」の神は顎に手を当てる。
「随分と多いな」
「……すみません」
「謝る必要はない。分からないことを知ろうとするのは悪いことではない」
そう言って、「法」の神は私を見る。
「まず、お前自身についてだな」
「はい」
「何が知りたい?」
私は今一番知りたいことを尋ねた。
「……どうして、私は「記憶」の使者なのに、忘却するんですか?」
ずっと気になっていた。
私は「記憶」の使者。
なのに、私は忘れる。
自分のことも。
神々のことも。
大切な出来事さえも。
「法」の神は、しばらく黙って私を見つめていた。
やがて、静かに口を開く。
「それは、お前が「記憶」だけではないからだ」
「……え?」
「お前の中には、「記憶」以外のものが混ざっている」
「他の神の……ものってことですか?」
「ああ」
私は自分の身体を見つめる。
私の中に、「記憶」以外の何かがある。
そんなことを考えたこともなかった。
「だから、「記憶」が完全なものじゃない」
「それで……忘却するんですか?」
「あくまで我の推測ではな」
「推測……ですか?」
「ああ。お前のような存在を、我も見たことがない」
その答えに、私は驚いた。
「「法」の神でも、分からないんですか?」
「我も世界のすべてを知っているわけではない」
少し呆れたような口調だった。
「我が司るのは、あくまで「法」だ。お前の存在そのものを生み出したわけではないからな」
「……そうですか」
まだ分からない。
けれど、今までとは違う答えを得られた気がした。
「では……私は、何なんですか?」
「それは、お前自身が探すことだ」
答えは、もらえなかった。
けれど、ひとつだけ分かったことがある。
私は、「記憶」だけではない。
だからこそ、忘却があるのかもしれない。
「……分かりました」
私は頷き、次の質問をする。
「……下界について聞いてもいいですか?」
「構わない」
「そもそも、どうして下界があるんですか?」
これは純粋な疑問だった。
何故、神が存在するのに、下界が存在するのだろう。
神だけでは、ダメなのだろうか。
「神々は世界を司るために存在する」
「はい」
「そして下界は、神々が司るものを実際に生み出す場所だ」
私は首を傾げた。
「実際に……生み出す?」
「そうだ」
「では、どうして人間や妖、妖精みたいに、いろんな種族がいるんですか?」
「それは世界が生み出したものだからだ」
「……世界?」
「ああ」
その言葉に、私は考え込む。
「では……どうして、世界はそんなにたくさんの種族を生み出したんですか?」
「知らない」
「……え?」
あまりにも迷いのない答えだった。
「そこまでは我の知るところではない」
「でも、「法」の神なら……」
「何でも知っていると思うな」
そう言って、「法」の神は小さく息を吐いた。
「我は世界が生み出したものを、無秩序にならないようにする。世界の法則を維持する。それこそが我の役目だ」
「……なるほど」
「何故そうしたのかまでは世界自身しか知らない」
私は、少しだけ残念に思った。
「……世界に聞けば、分かるんでしょうか?」
何気なく尋ねる。
「そうだな」
「法」の神は答えた。
「世界なら、お前のことを知っているのかもしれない」
「……世界」
その言葉を、口の中で繰り返す。
「その方は、神なのですか?」
「ああ。一応な」
「一応……?」
「あまり神という括りにこだわる方ではない」
「法」の神はそう言って、私を見る。
「神々の国を旅するのであれば、いずれ会うことになるだろう」
「……分かりました」
また一つ、知らない存在の名前を知った。
“世界”
それが何なのか、私にはまだ分からない。
けれど、いつか会えるのなら――その時に聞いてみたい。
私が何者なのかを。
「……ところで」
「法」の神が突然口を開いた。
「お前、自分の忘却が最近薄れていることに気づいているか?」
「……え?」
私は目を瞬いた。
忘却が――薄れている?
「どういうことですか?」
「「記憶」の国にいた頃と比べてみろ」
そう言われて、私はこれまでの旅を思い返した。
白い塔。
記憶の海。
妖の国。
朔。
人形の国。
新たな神「宿命」。
そして、妖精の国。
以前なら、思い出そうとしても輪郭がぼやけていた。
何かを思い出しかけても、すぐに消えてしまう。
けれど――
「……確かに」
私は小さく呟いた。
「前よりも……はっきり思い出せます」
朔の声も。
燃えていく妖の国の光景も。
人形様の寂しげな顔も。
妖精の国で聞いた言葉も。
以前より、ずっと鮮明だった。
「どうして……?」
私は自分の手を見つめる。
分からない。
けれど確かに、私の中で何かが変わり始めていた。




