妖精の国 4
「……どういうことですか?」
自分でも分かるほど、声が震えていた。
妖精王は、すぐには答えなかった。
その表情を見ているだけで、胸の奥がざわついていく。
聞きたい。
けれど――聞きたくない。
そんな矛盾した気持ちが、胸の中で入り混じっていた。
「……何か、あったのですか?」
もう一度尋ねる。
妖精王は、静かに息を吐いた。
「……妖の国は」
そこで一度、言葉を止める。
そして、ゆっくりと続けた。
「人間の襲撃によって、滅んだと聞いている」
言葉の意味が、すぐには理解できなかった。
妖の国が、滅んだ?
「……滅んだ……?」
ようやく声にした言葉は、自分でも驚くほど小さかった。
頭の中が真っ白になる。
あの国が。
私が初めて辿り着いた場所。
朔が王として守っていた国。
そこにいた妖たち。
みんなが――。
「……千夜?」
妖精王の声が聞こえる。
けれど、返事ができなかった。
胸の奥が、苦しい。
息を吸っているはずなのに、うまく呼吸ができない。
「……朔は?」
ようやく言葉が出てきた。
「朔は……どうなったのですか?」
妖精王は答えなかった。
その沈黙が、何よりも怖かった。
視界が滲む。
頬を何かが伝っていく。
私は、それが涙だと気づくまでに時間がかかった。
「……あ」
妖精王が驚いたように目を見開く。
「千夜……」
その声を聞いた瞬間、涙が次々と溢れてきた。
止めようとしても、止まらない。
「……あの時」
震える声で、言葉を絞り出す。
「私のせいで……朔は、怪我を負って……」
あの日の光景が蘇る。
私を庇うように立っていた朔。
苦しそうな声。
それでも、大丈夫だと言っていた。
「私のせいで……」
声が震える。
「私が……」
その先が、言葉にならなかった。
何を考えればいいのか分からない。
どうすればいいのかも分からない。
ただ、涙だけが溢れてくる。
「あんなに……大事にしていた国なのに……」
朔が守っていた国。
大切にしていた場所。
それが、もう存在しない。
「私が……壊してしまったのかもしれない……」
そう呟いた時だった。
妖精王が、私の前へ歩み寄った。
そして、何も言わずに私を抱きしめた。
その腕から伝わる温もりに安心し、私はその胸元に顔を埋めた。
涙が止まらない。
妖精王は、何も言わない。
ただ、私が泣き止むまで、静かに抱きしめてくれていた。
□□□
どれくらい時間が経ったのだろう。
やがて、涙が少しずつ収まっていく。
私は顔を上げた。
「……すみません」
「謝らなくていいよ」
妖精王は、優しく微笑んだ。
それから、考えるように目を伏せる。
「妖がもし、下界へ逃げることができていたとすれば――」
私は顔を上げた。
「彼は、どこかで生きているかもしれない」
「……!」
その言葉に、胸が動いた。
生きている。
その可能性がある。
もちろん、妖精王の言葉は何の確証もない。
ただの慰めなのかもしれない。
それでも。
「……生きている……」
私は、その言葉を小さく繰り返した。
もしかしたら。
朔は、まだどこかで生きているのかもしれない。
そう思うと、胸を締めつけていた苦しさが、ほんの少しだけ和らいだ。
そして気がつけば、私は妖精王に尋ねていた。
「妖精王様」
「なんだい?」
「下界へ行くには……どうすればいいのですか?」
妖精王は、驚いたように目を見開いた。
「下界へ?」
「はい」
私は頷いた。
「朔が生きているのなら……会いたいです」
妖精王は、しばらく私を見つめていた。
やがて、静かに答える。
「下界へ行くには、まず「法」の許可が必要だよ」
「「法」……」
「そう」
妖精王は頷いた。
「「法」様に会えれば、下界へ行くことができますか?」
「会えるとは思うけど、彼は厳格な性格だからね」
少し困ったように笑う。
「許可がもらえるかは保証できない。だけど、試す価値は十分にあると思うよ」
その言葉と共に向けられた表情は、優しかった。
「……ありがとうございます」
私は頭を下げる。
その時になって、ようやく気づいた。
私はまだ、妖精王の腕の中にいた。
「……!」
急に恥ずかしくなった。
慌てて離れようとすると、妖精王が小さく笑う。
「どうしたんだい?」
「い、いえ……その……」
顔が熱くなる。
そんな私を見て、妖精王はまた笑った。
私は恥ずかしさをごまかすように、勢いよく立ち上がった。
「……あの!」
「うん?」
「私、「法」の国へ行きます」
自分でも驚くほど、大きな声が出た。
妖精王は一瞬、目を丸くした。
けれど、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「そうか」
そして、妖精王は自分の指に嵌めていた指輪を外した。
「これをあげる」
「……?」
差し出された指輪を、私は受け取る。
「これは……?」
「君が下界へ来た時、私が君だと分かるようにね」
そう言って、妖精王は私の手を取った。
そして、その指輪を薬指へとそっと嵌める。
小さな指輪が、指の上で淡く輝いた。
「……綺麗」
私は指輪を見つめる。
「また、君に会いたい。千夜」
その言葉に、顔を上げる。
妖精王は、優しく微笑んでいた。
「今度は神としてではなく――」
一度、言葉を切る。
「ただの妖精として」
私は、何も言えなかった。
ただ、その言葉を胸の中で繰り返した。
妖精として。
もう一度、この人に会う。
それは約束のように思えた。
妖精王は、庭園の奥へと続く一本の道を指差した。
「その道を真っ直ぐ進み続けると、「法」の国へ行けるよ」
「分かりました」
私は頷いた。
そして、道の先へ視線を向ける。
ここまで来ることができたのは、妖精たちが優しく迎えてくれたからだ。
紅茶も。
金平糖も。
髪を弄られたことも。
全部、嬉しかった。
けれど――私は何も返せていない。
そう思うと、胸の奥が痛んだ。
「……私、何もお返しできませんでした」
思わず呟く。
すると妖精王は、静かに笑った。
「それなら、私に会いに来て」
「……え?」
「その時に、君が元気な姿を見せてくれれば、それで十分だよ」
私は、指輪をつけた手をそっと握った。
「……はい」
妖精王が、私の背中を軽く押す。
「気をつけて」
私は一度、妖精王の顔を見た。
そこには、穏やかな笑みが浮かんでいた。
私は小さく頭を下げる。
そして、道へ向かって歩き始めた。
一歩。
また一歩。
やがて、私は後ろを見た。
妖精の国は、まるで雲に隠れるように、少しずつその姿を消していった。
私は、最後までその場所を見つめていた。
そして、薬指に嵌められた指輪へ視線を落とす。
「……また、会えるでしょうか」
小さく呟く。
その答えを知る者は、今はいない。
私は再び前を向いた。
次に向かう「法」の国へと。




