妖精の国 2
妖精たちに囲まれている妖精王を、私はじっと見つめていた。
これが、この国の王。
先ほどまで見ていた妖精たちとは、明らかに違う。
大きな身体に、大きな羽。
けれど、その表情はとても穏やかだった。
妖精王は、私の方へ視線を向ける。
「初めまして」
「……はい」
私は少し緊張しながら、頭を下げた。
「私は――」
「あなたのことなら、他の妖精たちから聞いていますよ」
そう言って、妖精王は微笑んだ。
「「記憶」の使者、なのだろう?」
「……はい」
私が頷くと、妖精王は小さく笑う。
「随分と珍しい客人が来たものだ」
そう言うと、妖精王は周囲にいる妖精たちへ目を向けた。
「ところで、少し君と話がしたい」
「え?」
「二人きりでね」
その言葉に、妖精たちがざわめいた。
「えー!」
「王様、ずるい!」
「私たちも一緒にいたい!」
「少しくらいならいいじゃん!」
そんな声が飛び交う。
すると妖精王は、困ったように笑った。
「そう言わずに。代わりに、私のお気に入りの場所で遊んでくるといい」
「お気に入りの場所?」
「どこどこ!」
「湖だよ」
その言葉を聞いた瞬間、妖精たちの目が輝いた。
「湖!?」
「行こう!」
「王様の湖だ!」
「見ていいの!?」
妖精王は頷く。
「今日は特別だ」
その一言で、妖精たちは一斉に湖の方へ飛んでいった。
「わーい!」
「待ってよ!」
「早く行こう!」
あっという間に、庭園は静かになった。
私はその光景を呆然と見送る。
「……行ってしまいましたね」
「いつもああなんですよ」
妖精王は笑った。
「元気がありすぎるくらいでね」
「……楽しそうでした」
「そうだね」
妖精王はそう答えると、庭園の奥にある椅子へ腰を下ろした。
そして、私にも座るよう促す。
「こちらへどうぞ」
「失礼します」
私は向かいの椅子へ座った。
先ほどまでとは違う。
妖精たちの声が聞こえないだけで、同じ場所なのに空気が静かに感じられる。
妖精王は、置かれていた紅茶を手に取った。
「……こんな時に、珍しい客が来てくれて嬉しいよ」
その言葉が気になった。
「……こんな時?」
思わず聞き返す。
しまった、と思った。
余計なことを聞いてしまったかもしれない。
「あ、いえ……」
誤魔化そうとすると、妖精王は笑った。
「構わないよ」
そして、紅茶を一口飲む。
「私たち妖精は、近々下界へ降りるんですよ」
「下界に……?」
「はい」
下界には、人間がいる。
先ほど妖精たち自身が、人間を嫌っていると言っていた。
だからこそ、疑問が浮かんだ。
「でも……妖精は、人間が嫌いなのではないのですか?」
妖精王は、わずかに目を細めた。
「ええ。嫌っている者も多いでしょうね」
「それなのに、どうして下界へ?」
「下界が、ここより危険なのは分かっています」
そう言いながら、妖精王は再び紅茶を口にする。
「しかし、下界にはここよりも住みやすい場所があると、他の妖精たちから聞いたんですよ」
「住みやすい場所……」
私は、その言葉を繰り返す。
「だから、私たちはそこへ移ろうと思っています」
思わず顔を上げた。
「……移る?」
「ええ」
妖精王は穏やかに頷いた。
「だったら……」
そこで、新たな疑問が浮かんだ。
「この国は、どうなるのですか?」
妖精王は黙った。
その沈黙が、妙に長く感じられる。
そして――
「神の座を降りるつもりです」
「……え?」
私は、思わず聞き返した。
「神の……座を?」
「そう」
あまりにも予想していなかった答えだった。
神の国。
神に認められた国。
神であることは、名誉なことだと思っていた。
少なくとも、私はそう考えていた。
それなのに。
この人は、自らその座を捨てようとしている。
「……どうしてですか?」
自分でも分かるほど、難しい顔をしていたのだろう。
妖精王は、そんな私を見て微笑んだ。
「神になるからといって、必ずしもそれが正解とは限らないのですよ」
「……正解では、ない?」
「ええ」
妖精王は、静かに答える。
「私たち種族を代表する王は、別に神になるために生まれた者ではないですから」
その言葉を聞いて、私は黙ってしまった。
「君の主君である「記憶」とは違ってね」
「記憶」様。
私は、以前のことを思い出す。
人形様が教えてくれた。
「記憶」様にとって、記憶することは存在そのものなのだと。
そして、人形様もまた。
人間を作ることが、自分の存在意義だった。
けれど、人間が自ら子を成せるようになったことで、その役割を失った。
その結果、消えかけていた。
けれど今は違う。
人間の生を見届ける存在として、新たに「宿命」となった。
私は、これまでのことを思い返す。
神にはそれぞれの役目があり、それぞれに存在する理由がある。
ならば――
「……妖精王様は?」
気がつけば、そんな言葉が口から出ていた。
「妖精王様は、どういう存在意義を持っているのですか?」
妖精王は目を見開いた。
けれど、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「それはね――」
静かな風が庭園を通り抜ける。
花々が揺れ、その音だけが聞こえた。
妖精王は、ゆっくりと口を開く。
「私自身は、妖精の王として彼らに安全な暮らしをさせるためですよ」
その言葉を聞いて、私は何も答えられなかった。
神なのに。
神であることが、当たり前ではない。
神である理由も。
神でなくなる理由も。
そのすべてが、神自身によって決められるものなのかもしれない。
私は静かに考えていた。
神とは、一体何なのだろう。
そして――ふと、別の存在のことが頭に浮かんだ。
妖の国で出会った、あの妖。
私に名前をくれた、あの王。
「……朔も」
小さく、その名前を口にする。
「朔……妖の王も、何か理由があって神になったのでしょうか」
妖精王は、静かに私を見つめていた。




