人形の国 5
「その手を、離してください」
「……嫌」
人形様は首を横に振った。
「お願いです」
「嫌よ」
「人形様……!」
私は、握られた手を引こうとする。
けれど、離してくれない。
小さな手なのに、驚くほど強い力だった。
「どうして分かってくれないの?」
人形様の声が震える。
「あなたがいなくなったら、私は消えてしまうの」
「だからって、私を閉じ込めるんですか?」
「私はあなたの人形ではありません!」
その言葉に、人形様の表情が固まった。
「あなたの好きな場所に置いておける人形じゃない」
「……分かってるわ」
「なら、どうして……」
「分かっているから、怖いのよ!」
声が部屋に響いた。
人形様の肩が震えている。
「あなたは、私が作った人形じゃない。だから、私が望んだって、あなたは私のそばにいてくれるとは限らない!」
「分かってるの」
人形様は俯いた。
「分かっているのに……怖いの」
私は、握られた手を見る。
指先が震えている。
さっきまで私を逃がさないように握っていた手が、今は縋るように私を求めていた。
「……人形様」
「なに?」
「あなたが人間を作らなくなったからといって」
私は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「あなたの存在に意味がなくなるわけではありません」
人形様が顔を上げる。
「……どういう意味?」
「あなたは、確かに人間を作るためだけに生まれたのかもしれません」
「でも、それだけがあなたの役目だとは、私は思いません」
「そんなこと……」
人形様は弱く笑った。
「私には、それしかなかったもの」
「なら」
私は、人形様の目を見る。
「別のことをすればいいんです」
「別の……こと?」
「はい」
私は、窓の外へ視線を向けた。
そこには、先ほど見た下界が広がっている。
人間たちが生きている。
笑う人。
泣く人。
誰かを愛する人。
誰かを憎む人。
生まれる人。
そして、死んでいく人。
「あなたは、人間を愛しているのでしょう?」
人形様は答えなかった。
けれど、その沈黙が答えだった。
「だったら……」
私は続ける。
「人間を作れなくなったのなら、その人間たちの生を見届ければいいんです」
「……生を?」
「はい」
私は、胸の奥に残る何かを探すように言葉を紡いだ。
「あなたが作った人間が、どんなふうに生きるのか」
「誰と出会って、何を選んで、何を失って……」
そこで、私は言葉を止めた。
朔のことが、頭をよぎった。
けれど。
その顔は、もう思い出せない。
「……どんな人生を歩むのか」
私は続けた。
「それを見届ける人になればいい」
人形様は、黙ったまま私を見つめていた。
「作ることだけが、神の役目じゃないと思います」
その言葉に、人形様の瞳が揺れた。
「……見届ける」
「はい」
「人間の生を?」
「はい」
「それに、何の意味があるの?」
「分かりません」
私は正直に答えた。
「でも……」
窓の外を見る。
「生きたことが、何も残らないなんて……寂しいと思います」
人形様は、考え込むように黙った。
やがて。
「……残す」
小さく呟いた。
「え?」
「人間の生を……残す」
人形様が窓の外を見る。
「私は、今まで人間を作ってきた」
「はい」
「でも、作った後のことは考えていなかった」
その声に、少しずつ変化が現れる。
「人間は生まれて、成長して、誰かと出会って……その先で何かを選ぶ」
「そして、その選択が次の誰かの人生を変える」
人形様は、自分の手を見つめた。
「なら……」
その指先から、淡い光が零れる。
「私は、その生を刻めばいい」
「刻む……?」
「ええ」
今度の人形様の視線は、私ではなく窓の向こうへ向けられていた。
「人間が生きた証を」
「その人が何を選んだのか」
光が、人形様の指先に集まっていく。
「誰と出会い、何を失い、何を願ったのか」
光が強くなる。
「その一つ一つを、繋いでいく」
私は、息を呑んだ。
さっきまで消えかけていた人形様の身体が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。
「人形様……」
「……分かったわ」
人形様が呟いた。
「私は、作ることしか知らなかった」
その表情から、先ほどまでの恐怖が薄れていく。
「だから、作れなくなったら終わりだと思っていた」
「でも……違ったのね」
人形様は私を見る。
今度の笑顔には、先ほどまでの必死さがなかった。
「作ったものが、その後どう生きるのか」
「……はい」
「それを見届けることも、きっと意味がある」
人形様は、自分の胸元に手を当てた。
「人間の生には、一人一人違う道がある」
「なら、その道を繋ぐものが必要よね?」
さらに、光は輝きを放った。
「生まれたことにも」
「出会ったことにも」
「選んだことにも」
一つ一つの言葉が、静かに部屋へ響く。
「きっと、意味がある」
その瞬間だった。
人形様の身体から、眩い光が溢れ出した。
私は思わず目を閉じる。
風もないのに、部屋の中を光が渦巻いていく。
やがて。
静寂が戻った。
ゆっくりと目を開ける。
そこにいたのは、先ほどまでの少女ではなかった。
大人になった姿。
どこか遠い場所まで見通しているような瞳をしている。
「……私」
人形様が、自分の手を見つめる。
「新しい役目を見つけたわ」
そう言って、人形様は窓の向こうに広がる世界を見た。
「人間の生を刻む」
その声は、もう震えていなかった。
「人間が歩む道を見届ける」
そしてーー。
「その人が生きた証を、決して無意味にはしない」
私は、その言葉を聞いていた。
人形様の身体から、先ほどまで感じていた消えてしまいそうな気配は、もうない。
代わりに。
何か、新しいものが生まれていた。
「……それが、あなたの新しい役目なんですね」
「そうみたい」
人形様は笑った。
「私は、もう人間を作るだけの神ではない」
その言葉とともに。
世界のどこかで、誰かが生まれた。
誰かが誰かと出会った。
誰かが何かを選んだ。
その一つ一つが、見えない糸となって繋がっていく。
人間の生。
その始まりから終わりまで。
無数の選択が重なり、一本の道を作っていく。
人形様は、その道を見つめていた。
「……「宿命」」
ぽつりと、その名を口にする。
「これが……私の新しい名」
その瞬間。
人形様の姿が、淡い光に包まれた。
私はただ、その光を見つめていた。
そして、ふと気づく。
さっきまで私を離さなかった手が。
もう、私を掴んではいなかった。
「千夜」
「はい」
「ありがとう」
人形様は、穏やかに笑った。
「あなたが教えてくれたのよ」
「……私が?」
「ええ」
「神は、作るためだけに存在するのではないってことを」
私は何も言えなかった。
ただ。
人形様――いや。
新たに「宿命」となった神を見つめていた。




