人形の国 2
「……そう、ですか」
私は紅茶の入ったカップを見つめた。
人形様。
人間を作る神。
その言葉が、なぜか胸に引っかかった。
「では……今も、人間を作っているのですか?」
「ううん」
人形様は首を横に振った。
「もう必要なくなったもの」
「必要……ない?」
「そう」
人形様は、膝の上に置いていた人形の髪を撫でる。
「人間は、もう十分に増えたでしょう?」
淡々とした言葉だった。
けれど、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に強い違和感が生まれた。
人間。
その言葉を聞くと、何かが疼く。
何かを思い出しそうになる。
燃える街。
逃げ惑う妖。
血。
そして――。
「……人間は」
気づけば、声が漏れていた。
「人間は……妖に、何かしたのですか?」
人形様の手が止まった。
「どうして、そう思うの?」
「……分かりません」
本当に分からなかった。
朔の顔も。
あの国で何が起きたのかも。
記憶は、私の中から少しずつ失われている。
それなのに。
人間という言葉を聞くと、胸の奥から怒りが込み上げてくる。
「ただ……」
私は、自分の胸元を押さえた。
「人間が、嫌いです」
人形様は何も言わなかった。
「どうして嫌いなのかも……分からないんです」
口にしてみても、答えは見つからない。
「でも、妖に酷いことをしたのだと……そう思います」
しばらくして、人形様は口を開いた。
「……そうね」
その声は、否定も肯定もなかった。
「人間は、妖を傷つけた」
私は顔を上げる。
「やっぱり……」
「でも」
人形様は、私の言葉を遮った。
「人間だけが悪いわけじゃないわ」
「……え?」
人形様は立ち上がると、部屋の奥にある大きな窓へ向かった。
「見てみる?」
「何を……?」
人形様が窓に手を触れる。
すると、ガラスの向こうに広がっていた景色がゆっくりと変わっていった。
森の中を歩く人間たち。
その先には、妖の姿がある。
私は息を呑んだ。
「これは……?」
「人間たちの住む場所。下界よ」
人形様は答えた。
「少し前の世界だけれどね」
映し出された景色の中で、人間たちは怯えていた。
妖を恐れている。
一方で、妖たちも人間を警戒していた。
やがて、一人の人間が妖に襲われる。
人間は逃げ、妖はその後を追った。
その光景だけを見れば、妖が人間を襲っているようにしか見えない。
けれど――。
「……どうして?」
私は呟いた。
「どうして、妖は人間を襲うのですか?」
「怖いからよ」
「怖い……?」
「妖にとって、人間もまた恐ろしい存在だったの」
映像が変わる。
今度は、人間が妖の住む森を焼いていた。
木々が燃え、妖たちが逃げていく。
その光景を見て、胸が痛んだ。
「……人間が、妖の住む場所を奪った」
「ええ」
人形様は問いかける。
「では、なぜ人間は森を焼いたのだと思う?」
答えられなかった。
映像が変わる。
森の外。
そこには、人間たちの小さな村があった。
作物は荒らされ、家は壊されている。
怯えた子どもたちが、大人の背中に隠れていた。
「妖に襲われた村よ」
人形様が言う。
「人間たちは、自分たちの家族を守るために、妖の住む森を焼いた」
私は何も言えなかった。
人間が妖を傷つけたこと。
それは事実だった。
けれどーー妖もまた、人間を傷つけていた。
どちらも、自分たちを守ろうとしていた。
自分たちの仲間を。
自分たちの家族を。
そして、自分たちの居場所を。
「……どちらが、悪いんですか?」
気づけば、そんな言葉が口からこぼれていた。
人形様は答えなかった。
ただ、私を見つめている。
「人間ですか?それとも、妖ですか?」
「どちらかだけが悪い、なんてことはないでしょう?」
人形様はそう言った。
私は、映し出された世界を見つめる。
燃える森。
逃げる妖。
怯える人間。
誰かが誰かを傷つける。
傷つけられた者が、今度は別の誰かを傷つける。
それが、何度も繰り返されていた。
胸の奥には、まだ怒りが残っている。
けれど、その感情だけでは、もう何も決められなかった。
「……私、何かを忘れている気がします」
「そのようね」
「とても大切なことを」
人形様は何も言わない。
私は映像から目を逸らさなかった。
「でも……」
胸の奥に残った感情を、ゆっくりと言葉にする。
「人間が憎いからって、人間だけを悪者にしてはいけないんですね」
人形様は、口元に微笑みを浮かべた。
「そういうことよ」
私は、もう一度下界を見た。
何が正しかったのか。
今の私には分からない。
ただ一つだけ分かったことがあった。
誰かが悪いから、誰かが傷ついた。
そんな単純な話ではなかったのだ。
それぞれに理由があって。
それぞれに守りたいものがあって。
その結果として、誰かが誰かを傷つけてしまった。
「……難しいですね」
ぽつりと呟く。
人形様は楽しそうに笑った。
「そうね」
その声だけが、妙に明るく響いた。




