妖の国 7
「手を出せ。」
「……?」
言われた通り、手を差し出す。
王は私の手を取った。
指先に、淡い光が灯る。
「これは……?」
「お前の名前を刻む。」
「名前を……?」
「ああ。」
淡い光が、私の手のひらを走る。
ゆっくりと線が重なり、文字を形作っていく。
やがて、光が消えた。
そこには――千夜。
私の名前が刻まれていた。
「……綺麗。」
私は手のひらを見つめ、刻まれた文字を指先でそっとなぞる。
「これなら……忘れませんね。」
「そうだな。」
「……ありがとうございます。」
自分でも驚くほど、素直な言葉が出てきた。
名前をもらうことが、こんなにも嬉しいものだとは思わなかった。
私は、しばらく自分の手を眺めていた。
そして、ふと気づく。
「……王。」
「なんだ?」
「王の名前は?」
王の動きが止まった。
「名前?」
「はい。」
私は首を傾げる。
「私には名前をくれたのに、私はまだ王の名前を知りません。」
王はしばらく黙っていた。
やがて、視線を逸らす。
「……朔。」
「朔……。」
その名前を、口の中で繰り返す。
「それが、王の名前なんですね。」
「ああ。」
「……綺麗な名前ですね。」
王ーー朔は、少しだけ眉を動かした。
「そうか?」
「はい。」
私は自分の手を見る。
そこには、私の名前が刻まれている。
「……朔。」
もう一度、その名前を呼ぶ。
なぜだか、その響きを忘れたくなかった。
私は自分の名前の文字を見つめながら、笑った。
朔は何も言わなかった。
ただ、私の手を握ったまま、しばらく離さなかった。
その手の温かさが、なぜだか心に残った。
――名前。
それは、ただ誰かを呼ぶためだけのものではないのかもしれない。
名前を呼ぶことで、その人の存在を覚えていられる。
そんな気がした。
私は、自分の手のひらに刻まれた文字を、もう一度見つめる。
――千夜。
私の名前。
そして、私に名前をくれた人。
――朔。
その名前を、私は忘れたくないと思った。
そのときだった。
遠くから、大きな音が響いた。
ドン、と地面が揺れる。
私は顔を上げた。
「……今の、何ですか?」
朔の表情が変わった。
先ほどまでの穏やかな顔ではない。
「……分からない。」
再び、遠くで音が響く。
今度は、妖たちのざわめきも聞こえてきた。
「朔……?」
思わず、その名前を呼ぶ。
朔は立ち上がった。
「ここにいろ。」
「どこへ行くんですか?」
「少し、見てくる。」
「私も――」
「千夜。」
名前を呼ばれ、私は口を閉じた。
朔は、まっすぐに私を見る。
「ここから動くな。」
「……はい。」
朔はそれだけ言うと、部屋を出ていった。
閉じた扉を見つめながら、私は自分の手を握った。
手のひらに刻まれた――「千夜」という文字を。




