第194話「深海遺構―繋がる二つの記録―」
東京湾へ向かう一行を乗せたハルシオンと、その周囲を警戒するイーゼルは、夜の海を静かに進んでいた。海面だけを見れば、そこに異常が起きているとは思えないほど穏やかだった。しかし艦内のモニターには、海底深部から断続的に発生する未知の反応が表示されている。
世界規模の能力異常が九四・八パーセントまで封じ込められたことで、それまで隠れていた五・二パーセントの異常が明確になった。そして、その五・二パーセントが能力因子とは異なる「外部因子」であることも、すでに確認されている。タジは送られてくるデータを何度も解析し直しながら、「やっぱり、この反応は東京湾の海底にある何かと繋がってる。しかも、単純に電波やエネルギーを送ってるわけじゃない」と説明した。
モニター上では、日本支部の深部アーカイブと東京湾海底の反応点が一本の経路で結ばれ、その途中にいくつもの未知の中継点が存在している。まるで巨大なシステムの一部だけが、長い沈黙を終えて再び動き始めたかのようだった。
「じゃあ、あの金属片が鍵なのか?」
千太の問いに、タジはすぐには答えなかった。十四年前に日本支部が回収した黒ずんだ金属片が、現在の外部因子に反応していることは確認できている。しかし、それが外部因子そのものではないことも分かっていた。十四年前の現象と現在の世界規模の能力異常は同じ出来事ではない。古代から存在する能力因子の歴史とも、今回の外部因子そのものとも、単純に一つへまとめることはできない。
「鍵というより……接続点に近いと思う。十四年前にあの金属片が何だったのかはまだ分からない。でも、今の反応を見る限り、あれを経由して海底にある何かが応答している可能性は高い」。
その説明を聞いた千太は、しばらく黙ったまま海面を見つめた。父である聖舩が十四年前のことを知っている。それだけでも十分に重い事実だったが、今になってその過去が東京湾の海底へ繋がっているとなれば、父が何を知り、何を隠してきたのかを直接確かめる必要がある。
一方、日本支部では柊聖舩が深部アーカイブから移動し、黒い金属片から伸びた光の線を追っていた。線は施設の地下構造を示すように床面を走り、やがて通常の施設図には存在しない区画の位置で止まった。聖舩はその場所を見つめ、僅かに目を細める。日本支部の施設は長年にわたって増改築を繰り返しているが、この区画だけは現在の設計図に記載されていない。それどころか、過去の記録を遡っても正式な施設として登録された形跡がなかった。
「……やはり残っていたか」
聖舩が呟いた言葉には、初めて明確な動揺が混じっていた。彼は壁面へ手を当て、内部構造を確かめる。すると壁の奥から微かな振動が返ってくる。その振動は先ほどまでの金属片と同じ周期を持っていた。聖舩はすぐに理解した。金属片が反応したから地下に何かが生まれたのではない。元からそこに存在していたものが、十四年ぶりにこちらへ反応を返しているのだ。
同じ頃、ロスマン共和国の旧王宮では、ドルク・B・ロスマンとカルラ・エルデリータ・マルティスティンが古い記録を調べていた。そこでも十四年前の出来事に関係すると考えられる記録が見つかっていたが、二人が確認した情報は日本支部のものとは完全には一致していない。
古い記録の一部には「14」という数字が残され、その周囲には意味を判別できない記号が刻まれていた。ドルクは記録を眺めながら、「日本にも同じ時期に反応したものがあるのなら、十四年前の出来事は一つの場所だけで起きたものではなかったのかもしれない」と呟く。カルラは黙って剣を携えたまま記録を確認し、「しかし、これだけでは現在の外部因子との関係までは分かりません」と返した。ドルクもそれを否定しなかった。彼女たちが見つけたのはあくまで過去の痕跡であり、現在起きている現象そのものではない。それでも、ロスマンと日本という遠く離れた場所に同じ時期の記録が残されていることは、今回の調査にとって無視できない事実だった。
やがてハルシオンが東京湾上へ到達すると、フランはすぐに艦体の構造情報を確認した。彼の能力であるstructūra imperium(構造物制御)を通じて艦体から海底へ向けて情報を読み取ると、これまでより明確な反応が返ってくる。「下にある」。フランの言葉にベルトが海底データを表示させると、海底地形の一部に不自然な空間が浮かび上がった。それは自然に形成された海底洞窟ではない。一定の間隔で配置された複数の構造体が巨大な空間を形成しており、その中心には反応を検知できない領域が存在している。タジがデータを照合すると、「中心部分だけ、こっちのセンサーを拒絶してる」と説明した。つまりそこには何もないのではなく、外部から認識できないように何らかの遮断が施されている可能性がある。フランはさらに解析を進め、海底構造体が現在も完全に停止しているわけではないことを確認した。微弱ながら内部構造が変化している。その動きは機械的な稼働というより、長期間停止していた巨大な構造が再び機能を取り戻しているようだった。
そのとき、ソウヤの胸の奥でレイの気配が再び揺れた。ほんの僅かな反応だったが、今回は前よりも明確だった。ソウヤは足を止め、自分の内側へ意識を向ける。しかし、レイから言葉が返ってくるわけではない。レイ自身が何かを思い出したのか、それとも海底の反応そのものに反応したのかも分からない。ただ、ソウヤには一つだけ奇妙な感覚があった。自分の中にいるレイが、海底にある何かを「知っている」のではなく、そこから送られてくる反応を「認識している」ような感覚だった。
「……レイ?」
ソウヤが小さく呼び掛けても、返事はない。結衣が心配そうに見つめる中、ソウヤは首を横に振った。
「大丈夫。ただ……あそこにあるものが、俺たちの知ってる能力とは別の何かだってことだけは、分かる気がする」
その言葉にタジは振り返ったが、ソウヤ自身にもそれ以上の説明はできなかった。
そして、ハルシオンのセンサーが海底構造体の中心部分から新たな反応を検知した。これまで存在していた反応とは違い、その信号には一定の規則性があった。タジが解析すると、信号の周期が日本支部で検出された金属片の反応周期と一致していることが判明する。
「日本支部側と海底側が、同じ信号を出してる……」
タジがそう呟いた瞬間、二つの地点のデータがモニター上で一本の線として繋がった。その線は東京湾の海底から日本支部へ向かうだけではなかった。さらにその先、地図上では存在しない領域へ伸びていた。フランが画面を見つめながら、「これは……東京湾が終点ではない」と言う。タジも同じことに気付いていた。東京湾にある構造体は目的地ではなく、より大きなシステムの中継地点に過ぎない。
その直後、日本支部の地下で聖舩が立っていた壁面の一部が静かに開いた。扉の向こうに広がっていたのは、現在の日本支部の施設とは明らかに異なる構造だった。長い年月を経たような古い壁面には、能力因子に関する記録とも、国連安全保障機構の紋章とも違う未知の刻印が残されている。聖舩はその入口を見つめながら、十四年前に自分たちが回収したものが何だったのかを改めて考えていた。あの時、彼らは「現象の後に残った物質」を回収したと思っていた。しかし本当は、あの金属片が残された時点ですでに、この地下構造と東京湾の海底は繋がっていたのかもしれない。
やがてハルシオンのモニターに、新たな文字列が表示された。これまでの《旧管理者の記録――接続要求》でも、《接続先――応答》でもない。今までとは異なる信号が、海底からこちらへ向けて送られている。
タジはその文字列を解析しながら、言葉を失った。
そこに表示されたのは、たった一つの数字だった。
「14」
千太が画面を見つめる。ソウヤも、フランも、結衣も、その数字から目を離せない。十四年前を示す数字なのか、それとも別の意味を持つのかはまだ分からない。しかし、ロスマンの旧王宮にも、日本支部にも、そして今、東京湾の海底にも同じ「14」が現れた。
そして海底深部では、その数字が表示された直後、中心部に存在していた遮断領域が初めてわずかに開いた。
その奥に何があるのか――まだ、誰にも見えていなかった。
――194話 完




