第193話「深海に眠る接続点」
世界規模の能力異常が九四・八パーセントまで封じ込められたことで、世界各地を覆っていた異常な能力共鳴は、少なくとも表面上は沈静化へ向かっていた。けれども、それによってすべてが終わったわけではない。むしろ、異常の中心が失われたことで、それまで能力因子の巨大な共鳴の陰に隠れていた別の反応が鮮明になったのだ。残された五・二パーセントは、能力因子の暴走や残滓ではない。源基本体自身がそれを「外部因子」として認識している以上、それは能力因子とは別系統に存在する何かだった。ハルシオン艦内の大型モニターには、現在も三つの地点から検出される微弱な反応が表示されている。日本、ロスマン共和国、そして北極圏。その三地点に共通しているのは、反応が単純に増幅しているのではなく、どこか別の場所へ向けて一定の信号を送り続けていることだった。
「やっぱり、おかしい……」。
タジは複数の波形を重ね合わせながら、画面の一部を拡大した。「能力異常のときは、世界中の能力因子が互いに共鳴していた。でも今出ているこの波形は違う。何かが別の何かを探しているみたいなんだ」。その言葉を聞いたソウヤは、先ほど源基本体から届いた《旧管理者の記録――接続要求》という信号を思い出していた。「接続」という言葉が偶然でないのなら、東京湾の海底に現れた反応もまた、単独で発生した現象ではない可能性がある。十四年前の出来事と現在の世界規模の能力異常は同一のものではない。それでも、その二つを知る者たちが今回の反応に気付いている以上、過去と現在を繋ぐ何らかの接点が存在していることだけは否定できなかった。
東京湾へ向かう準備を進める中、千太は一人だけ黙ってモニターを見つめていた。今回の目的地には、彼自身にとって無視できない人物がいる。国連安全保障機構日本支部の支部長であり、千太の父親でもある柊聖舩だ。かつて千太は、能力者に対する父の姿勢に疑問を抱き、その考えを受け入れられなくなったことで父との関係を断っている。それ以来、二人が直接向き合うことはほとんどなかった。しかし、十四年前に回収された黒ずんだ金属片を聖舩が保管していたこと、そして現在、その金属片が外部因子の反応に呼応していることを考えれば、今回だけは避けて通ることができない。
結衣がそんな千太の様子を見て「千太くん……無理してない?」と声を掛けると、千太はしばらく黙ったあと、ゆっくりと首を横に振った。「無理してるかどうかなんて、今は関係ない。親父が何を知ってるのか、それを確かめる必要がある。十四年前のことも、あの金属片のことも……全部な」。その言葉を聞いたソウヤは、何も言わずに千太の横顔を見つめていた。自分の中にも、過去から続く謎がある。
「レイ」という存在。そして、デウスが知っているという事実。四百年前から続く歴史の中で、自分たちが知らない何かが現在へ繋がっているのだとすれば、今回の出来事もまた、その一端に過ぎないのかもしれない。ソウヤは胸の奥にあるレイの気配を感じながら、東京湾の方向へ視線を向けた。
その頃、ハルシオンではフランが艦体内部の構造情報を確認していた。彼の能力――**structūra imperium(構造物制御)**によって把握できるのは、単なる船体の損傷や機械系統だけではない。構造そのものに生じる変化や、外部から伝わる異常な振動さえも、彼にとっては一種の情報として捉えることができる。フランが東京湾周辺のデータを確認すると、海底から伝わってくる反応がハルシオンの艦体へ微かに干渉していることが判明した。
「これは能力因子の反応ではない」。
フランはそう断言し、さらに解析を続ける。
「能力異常が収まってから、むしろこちらの反応が明確になってる。何かが動いてるというより……構造そのものが、別の場所にある何かと繋がろうとしているように見える」。
艦橋にいたベルトもその報告を受け、すぐにイーゼルへ確認を取った。やがて返ってきたのは、イーゼルでも同様の海底反応を検知しているという報告だった。二隻の能力戦艦が東京湾周辺を異なる方向から監視することで、海底に存在する反応の位置が徐々に絞り込まれていく。ヴァブたちも周辺データを確認しながら解析を進め、やがてハルシオンとイーゼルの双方に共通する一点が浮かび上がった。それは、国連安全保障機構日本支部の地下深部から伸びる反応と、東京湾の海底から発生している反応が、まるで一本の線で結ばれているような位置関係だった。
「日本支部と東京湾……二つが別々に反応してるんじゃない」
タジが表示されたデータを見ながら呟くと、ソウヤたちの表情も変わった。
「だったら、どういうことだ?」
イレイダが尋ねる。
タジはすぐには答えず、複数のデータを照合しながら慎重に言葉を選んだ。
「まだ断定はできない。でも、地下から海底へ向かって何かが存在している可能性がある。少なくとも、現在の地上施設だけでは説明できない反応だ」。
その言葉にソウヤは画面を見つめた。もし日本支部の地下にある記録と東京湾の海底が繋がっているのなら、十四年前に回収された金属片も、今回の外部因子の反応も、同じ場所を経由している可能性がある。しかし、だからといって十四年前の現象と現在の世界規模の能力異常が同じ出来事だったということにはならない。むしろ、それぞれが別の出来事として存在しながら、同じ「何か」に触れていたと考えた方が自然だった。
同じ頃、国連安全保障機構日本支部の深部アーカイブでは、柊聖舩が十四年前に回収された黒ずんだ金属片と向き合っていた。通常ならば何の反応も示さないはずの金属片は、現在になって微かな振動を繰り返している。その反応は能力因子が発するものとは明らかに異なっており、聖舩自身もそれを理解していた。彼は金属片を見つめながら、十四年前の出来事を思い返していた。あの時に起きた現象と、今世界中で発生した能力異常は同じではない。十四年前には、能力因子そのものとは別の何かが関係していた。そして当時、彼らが回収したものが「原因」だったのか、それとも「何かを呼び込んだ結果」だったのか、その答えは未だに出ていなかった。
「……あの時、我々は何かを回収したと思っていた。だが、本当にそうだったのか」。
聖舩がそう呟いた瞬間、金属片の表面に微かな光が走った。十四年前の記録には存在しなかった反応だった。聖舩は一歩だけ距離を取りながら、その変化を冷静に見つめる。やがて金属片の表面には細い線がいくつも浮かび、それらが複雑に繋がり始めた。その形は文字とも紋章とも判別できない。しかし、聖舩には一つだけ理解できたことがあった。これは十四年前の現象を再現しているのではない。何かが、今になって別の場所へ向けて応答しているのだ。
その直後、東京湾の海底を監視していたハルシオンとイーゼルのセンサーが同時に反応した。海底深部から検出されていた微弱な信号が、一瞬だけ大きく跳ね上がったのである。フランはすぐに艦体へ伝わる振動を確認し、ベルトもイーゼル側のデータを照合した。二隻が捉えた波形は完全に一致していた。「海底で何かが起きている」。タジがそう告げると、モニター上に東京湾の海底地形が表示される。そこには複数の反応点が存在していた。それらは不規則に散らばっているように見えたが、解析を進めるにつれて、一定の構造を形成していることが分かってきた。反応点同士を線で結ぶと、それは巨大な空間を囲うような配置になっている。しかも、その中心には反応がほとんど存在しない領域があった。「中心だけ反応がない……?」と結衣が疑問を口にすると、タジは首を横に振った。「違う。反応がないんじゃない。外から検知できないようになってるんだ」。その瞬間、モニターの表示が一度だけ乱れた。次の瞬間、海底の中心部分から新たな波形が立ち上がる。ハルシオンの艦内に警告が響き渡り、イーゼルからも同時に緊急通信が入った。海底に存在する何かが、外部から侵入されたのではなく、内部からゆっくりと展開を始めたのだ。
そして日本支部でも、ほぼ同時刻に異変が起きた。黒ずんだ金属片の光が強くなり、床面へ細い光の線が伸びていく。その線は無作為に広がったのではなく、一定の方向へ向かっていた。聖舩がその先を目で追うと、線は深部アーカイブの床を越え、地下構造のさらに下へ向かうように伸びている。聖舩はそこで初めて、自分たちが保管していた記録そのものが、単なる過去の資料ではなかった可能性に気付いた。十四年前に回収された金属片は、何かを封じるためのものでも、能力因子を記録するためのものでもなかったのかもしれない。あれは、どこかに存在するものへ向けて送られた「接点」だった。そして今、その接点に対して何かが応答を返している。
タジが解析を続ける中、モニターに新しい情報が浮かび上がった。それまで表示されていた外部因子の波形とは異なる、未知の信号だった。「……待て」。タジは画面を凝視しながら、慎重にデータを確認する。「これは、源基本体からじゃない」。ソウヤたちが画面へ視線を集中させると、そこには短い文字列が表示されていた。先ほどの《旧管理者の記録――接続要求》に対して、まるで返答するかのように新しい信号が発生している。
《接続先――応答》
その文字を見た瞬間、ソウヤの胸の奥でレイの気配がわずかに揺らいだ。ほんの一瞬だったが、確かに何かを感じ取ったような反応だった。ソウヤは無意識に胸元へ手を当てる。しかし、レイから明確な言葉が返ってくることはない。デウスが知るレイの過去も、四百年前から続いている謎も、まだ繋がってはいない。それでも、今回の反応が能力因子とは別の領域から発生していることだけは、次第に明らかになっていた。
東京湾の海底では、巨大な空間の内部で何かがゆっくりと起動していた。海面から確認できる変化はほとんどない。それでも深海のさらに下では、長い間沈黙していた構造が少しずつその形を変え、中央に存在する一点へ向けて複数の経路が開いていく。その反応は日本支部の金属片へ伝わり、さらにその先へ向かって伸びていた。ハルシオンとイーゼルが捉えたデータには、これまで存在しなかった新たな経路が浮かび上がっている。タジはそれを見ながら、まだ誰にも答えられない問いを抱えていた。いったい、この構造は何なのか。そして、誰が何のために残したものなのか。少なくとも今分かっているのは、それが現在の能力因子の体系には属していないということだけだった。
ソウヤたちは東京湾へ向かう。
千太は父・柊聖舩と向き合うために、フランたちは海底で発生した異常の正体を確認するために、そしてソウヤは、自分自身の中に眠るレイの過去と、今回の出来事がどこかで繋がっているのかを確かめるために。それぞれが異なる理由を抱えながら同じ場所へ向かう中、東京湾の深海では、外部因子によってではなく、まるで「応答」を待ち続けていたかのような構造体が、静かにその姿を現し始めていた。
そして、まだ誰も知らない場所で、十四年前には起こらなかった新たな接続が、今まさに始まろうとしていた。
――第193話 完




