第192話「父の居場所」
ハルシオンが日本へ向けて航行を開始してから、すでに数時間が経過していた。世界規模の能力異常が収束へ向かったことで、これまで各地から絶え間なく届いていた緊急通信は少しずつ減っていたが、能研の艦橋に漂う緊張はむしろ強くなっている。世界を覆っていた異常が収まったからこそ、その裏側に隠れていたものがはっきりと見えるようになったからだ。源基本体が示した「外部因子」は、能力因子そのものではない。古代の太陽フレアによって生じた能力因子の変質とも、十四年前に発生した現象そのものとも異なる。それでも十四年前の記録と外部因子には何らかの接点があり、さらに日本支部、ロスマン共和国、北極圏という三つの地域で同時に異常反応が検出されている。
タジは大型モニターへ三つの地点を表示し、それぞれの波形を比較していた。日本支部から検出された反応、ロスマン旧王宮でドルクが確認した反応、そして北極圏地下から発生している反応。それらは完全に同一ではない。しかし、能力因子とは明らかに異なる共通の特徴が存在していた。
「三つとも、通常の能力反応とは周波数が違う。だけど、微妙に同じ周期を持ってる」
「同じものなのか?」
ソウヤが尋ねると、タジは首を横に振った。
「同じものかどうかはまだ分からない。ただ、何らかのネットワークを形成している可能性はある。日本、ロスマン、北極圏……この三地点だけじゃなく、他にも反応してる場所がないか調べてる」
フランがモニターへ近づき、腕を組んだ。
「それなら、あの海底施設も確認した方がいいのではないか?」
「源基本体?」
「ああ。今回、私たちは源基本体を使って広域共鳴を収束させた。でも、その直後に外部因子が検出された。だったら、源基本体が何かを『見つけた』可能性がある」
惣一もその言葉に頷いた。以前に起きたことを思い返せば、確かに奇妙だった。世界規模の能力異常が収束した直後、これまで観測できなかった外部因子が一斉に認識された。まるで源基本体の再接続によって、世界そのものに隠されていた情報が可視化されたかのようだった。
「源基本体との接続は今も維持されているのか?」
「完全な接続ではないです。でも、細い管理経路は残ってる。だからこそ、さっきから世界各地の反応を拾えてるんだと思うのかと」
「なら、今のうちに確認しておきたいことがある」
惣一が言った。
「外部因子は、源基本体が認識する以前から存在していたのか。それとも、源基本体との接続によって新たに発生したものなのか」
「調べてみます。」
タジが解析を開始する。しかし、その答えが出るより先に、別の通信が艦橋へ割り込んだ。
『ハルシオン、こちらイーゼル』
戦艦イーゼルからの通信だった。
『日本支部方面に異常を確認。現在、施設周辺の監視を継続している』
「何か動きは?」
『今のところ目立った動きはない。ただし、地下から検出されている反応が少しずつ強くなっている』
千太が通信画面を見る。
「支部内部の人間とは連絡が取れてないのか?」
『現時点では不通。外部回線だけでなく、内部通信の一部も遮断されている可能性がある』
「…親父は?」
『柊聖舩支部長の所在も確認できていない』
千太の表情が僅かに変わる。
聖舩は能力者ではない。だが、並外れた身体能力を持ち、国連安全保障機構日本支部を率いる立場にある。能力者を危険視する者たちが存在する世界で、聖舩が能力者をどう扱うのかという問題は、千太が父と絶縁する決定的な理由になった。だからこそ千太にとって、今回の事件は単なる任務ではない。父が何を知っているのか、そしてなぜ日本支部の内部に外部因子が存在するのかを、自分自身の目で確かめる必要があった。
「急ごう」
千太が言う。
「俺は、親父に聞かなきゃいけないことがある」
ソウヤが何か言おうとしたが、結局口を閉じた。今の千太に必要なのは、誰かから慰められることではない。父親と向き合うための時間なのだと理解したからだった。
◇
国連安全保障機構日本支部。
東京湾を望む巨大な施設は、通常ならば多数の職員が行き交い、各国から送られてくる情報を処理するための通信設備が絶えず稼働している。しかし現在、その建物には異様な静けさが広がっていた。
非常灯だけが廊下を照らし、通常の照明はほとんど消えている。通信端末も大半が沈黙しており、警備システムの一部すら停止していた。
その最深部。
厳重な隔壁の前に、一人の男が立っていた。
柊聖舩。
国連安全保障機構日本支部の支部長であり、千太の父親である。
聖舩は手元の端末を確認した後、隔壁へ視線を向けた。彼の顔に焦りはない。むしろ長年積み重ねてきた経験から、今起きていることを冷静に分析しようとしているようだった。
「……十四年前と同じか」
誰もいない廊下で、聖舩は一人呟いた。
しかし、その直後に自分の言葉を否定するように首を振った。
「いや……同じではないか」
十四年前。
この施設にはまだ現在ほどの規模がなく、能力者に関する情報も国家間で厳しく管理されていた。その時代に発生した異常現象は、当時の関係者によって封じられた。そして、その事件に関する記録の一部は現在も国連安全保障機構の最深部に保管されている。
聖舩自身も、その全貌を知っているわけではない。
ただ一つだけ確かなことがある。
十四年前、現場から回収された「何か」が、現在もこの施設の中に存在している。
それが先ほど突然反応した。
「まさか、今になって動くとはな」
聖舩は隔壁の認証端末へ手を伸ばした。
その瞬間、背後から金属音が響いた。
聖舩が振り返る。
廊下の奥には、数人の警備員が立っていた。
「柊支部長、そこから離れてください」
「命令か?」
「はい」
警備員たちの声は妙に平坦だった。
聖舩は彼らを見つめる。
「お前たちは、何を守っている?」
「質問の意味が分かりません」
「なら聞き方を変える。あの中にあるものを知っているのか?」
警備員たちは答えない。
その沈黙だけで十分だった。
聖舩はゆっくりと拳を握る。
「……そういうことか」
警備員の一人が前へ出る。
「柊支部長、これ以上の行動は認められません」
「誰の命令だ?」
「回答できません」
「なら、自分の判断で動いているわけではなさそうだな」
男が一歩踏み込んだ瞬間、聖舩は身体を沈めた。
次の瞬間には、警備員の腕を掴み、勢いを利用して床へ叩きつけていた。能力は一切使っていない。ただ純粋な身体能力と長年の戦闘経験だけで相手を制圧する。別の警備員が銃を抜くより早く、その手首を蹴り上げ、武器を床へ落とす。
「私を止めたいのならば、もう少し腕を磨いてこい」
残った警備員たちが距離を取る。
聖舩は彼らを追わなかった。
今は戦うことよりも、隔壁の向こうにあるものを確認することが優先だった。
認証を完了すると、重い扉がゆっくりと開く。
その先に広がっていたのは、巨大な保管室だった。
中央には一つの透明ケースが置かれている。
その内部に、黒く変色した金属片が収められていた。
十四年前、回収されたもの。
能力反応なし。
未知の材質。
出所不明。
そして、長年一度も反応しなかったはずの金属片。
今は違う。
表面には無数の細い亀裂が走り、その奥から淡い光が脈動している。
聖舩はケースの前まで歩いた。
「……お前が、十四年前の事件の本体だったのか?」
当然、返事はない。
だが金属片の光が一瞬だけ強くなった。
聖舩は目を細める。
「違うな」
長い沈黙の後、聖舩は静かに続けた。
「お前は、あの時に来たものではない」
金属片の表面に、さらに一本の亀裂が走る。
「……あの時、何かを呼び込んだのか」
その言葉に反応するように、保管室の奥で警告音が鳴り始めた。
◇
ハルシオンでは、タジが解析結果を見て言葉を失っていた。
「名取さん……」
「どうした?」
「日本支部の反応、少し前より明らかに強くなってます」
「支部で何か起きた?」
「分かりません。でも、反応の中心が移動しています」
モニター上の赤い点が、建物内部から地下へ、そして再び上層部へと移動している。
「外部因子が動いてる?」
「それすら分からなくて。ただ……」
タジが別の画面を開く。
「十四年前の記録に残っていた異常波形を再構成してみたのですが」
そこには現在の外部因子と、十四年前のデータが重ねて表示されている。
「完全一致ではないですが。でも、共通する構造があります」
惣一が画面を見つめる。
「つまり、十四年前の現象に外部因子が関係していた可能性が高くなったと?」
「はい。でももっと気になることがあって」
タジが波形の一部分を拡大する。
「十四年前の記録には、もう一つの波形があるんです」
「もう一つ?」
「能力因子でもない、今回の外部因子とも一致しないものです」
艦橋の空気が再び重くなる。
「それは何なんだ?」
ソウヤが尋ねる。
「分からない。でも、十四年前の事件には少なくとも三種類の異なる反応が存在していたことになる」
惣一はゆっくりと目を閉じた。
古代太陽フレア。
十四年前の現象。
現在の広域共鳴。
そして外部因子。
これらを無理に一つの事件として扱うべきではない。しかし十四年前という一点に、現在へ繋がる何かが複数存在していた可能性が出てきた。
「千太」
惣一が振り返る。
「日本支部に着いたら、まず聖舩と話す」
「はい」
「その上で、十四年前の事件について知っていることを聞こう」
千太はしばらく黙っていた。
「……分かりました」
やがて、ハルシオンの前方に東京の街並みが見えてきた。
同時に、イーゼルから新たな通信が入る。
『ハルシオン、こちらイーゼル。日本支部周辺に異常を確認』
「何が起きた?」
『支部地下から強い反応が発生した。さらに東京湾の海底にも同じ反応が出ている』
「海底?」
『はい。しかも……』
通信が一瞬途切れる。
『反応地点が移動しています』
タジがすぐに地図を確認した。
「待て。地下施設から東京湾へ向かってる」
「何が?」
「分からない。でも、まるで海底にある何かへ向かっているみたいだ」
惣一は窓の外を見た。
東京湾。
その静かな海面の下で、何かが動いている。
日本支部にある十四年前の記録。
保管されていた黒い金属片。
そして東京湾の海底。
すべてが、まだ一本の線として繋がったわけではない。
しかし確実に近づいている。
「着陸準備」
惣一が告げた。
「ここから先は、実際に見て確かめる」
千太は黙って前方を見つめていた。
その視線の先にある日本支部には、自分が絶縁した父親がいる。
父が何を知っているのか。
なぜ能力者をあのように扱ってきたのか。
そして十四年前、何が起きていたのか。
これまで避け続けてきた問いが、今度は千太自身の前へ戻ってきた。
ハルシオンが東京湾上空へ入る。
その瞬間、艦内にある黒い球体が一度だけ強く明滅した。
タジが振り返る。
「……今、源基本体から信号が来た」
「何て?」
タジは表示された文字を読み上げた。
「外部因子じゃない」
そして、その次に表示された一文を見た瞬間、タジの表情が凍りついた。
「『旧管理者の記録――接続要求』」
惣一がモニターを見る。
誰も、それ以上の言葉を発しなかった。
十四年前に封じられた記録が、今になって再び動き始めた。
そしてその記録が向かおうとしている先は――東京湾の海底だった。
――第192話 完




