第191話「封印されし異物」
世界規模の能力異常が発生してから、幾日かが過ぎていた。各地で暴走していた能力は大半が沈静化し、医療機関や各国の能力研究施設からも、異常出力を示していた能力者たちが徐々に通常の状態へ戻りつつあるという報告が届いていた。完全な収束ではないものの、少なくとも世界を覆っていた異常な共鳴現象は峠を越えたと言っていい。
だが、能研の誰もそれを「事件の終わり」とは考えていなかった。むしろ源基本体が示した「外部因子」という存在によって、これまで追い続けてきた能力の謎とは別の問題が浮上したからだ。
ハルシオンの艦橋では、田島達が世界各地から送られてくる観測データを整理していた。大型モニターには、現在も残存している異常反応が表示されている。その大半は時間の経過とともに減少していたが、いくつかの地点だけは妙に安定していた。能力者が存在する場所でもなければ、今回の広域共鳴が特に強かった場所でもない。それなのに源基本体は、それらをすべて「能力因子系統外」の反応として認識している。
「やっぱり変だな……」
タジがモニターを睨みながら呟いた。
「世界規模の能力異常はほぼ収束してる。それなのに、この反応だけは消えない。むしろ今まで見えなかったものが、こっちから観測できるようになった感じだ」
隣で解析結果を確認していた北条燕が眉を寄せる。
「つまり、世界規模の能力異常が外部因子を生み出したわけではないと?」
「そう。そこが一番重要なんだ。源基本体の反応を見る限り、外部因子は今回の異常より前から存在していた可能性が高い。今回の共鳴が収束したことで、逆にその存在が浮き上がったんだと思う」
「それなら、十四年前の現象との関係は?」
燕の質問に、タジは一度画面を切り替えた。そこには過去に記録された資料の一部と、現在確認されている外部因子の波形が並べられている。
「まだ一致してない。ただし、完全に無関係とも言い切れない。十四年前に記録された異常現象には、能力因子そのものとは違う反応が一部混ざっていた。それが今回検出された外部因子と似ているんだ」
タジの言葉を聞いていた惣一は、腕を組んだまま黙っていた。古代の太陽フレアによる能力因子への影響、十四年前に起きた異常現象、そして現在発生した世界規模の能力異常。これらは決して同一の出来事ではない。しかし、それぞれの時代に残された痕跡を辿っていけば、一本の線に繋がる可能性がある。問題は、その線の先に何があるのかだった。
「日本支部との通信は?」
惣一が尋ねる。
「まだ繋がらないです」
タジが答えた。
「国連安全保障機構の他支部とは正常に通信できている。でも日本支部だけ、外部との通信が完全に遮断されている。しかも最後に通信が切れた時刻が、源基本体の収束処理開始直後なんです」
その瞬間、艦橋の空気が重くなった。
日本支部には柊聖舩がいる。能力者ではないにもかかわらず、並外れた身体能力を持ち、現在は国連安全保障機構日本支部の支部長を務めている人物だ。そして何より、千太の父親でもある。千太は父が能力者を扱う姿勢に疑問を抱き、現在は絶縁状態にある。そんな場所で、能力とは異なる「外部因子」が検出され、しかも通信まで途絶している。
「……俺が行く」
千太が静かに言った。
艦橋にいた全員が彼を見る。
「日本支部に何があるのか確かめる。親父がどういう状況なのかも確認したい」
惣一は千太の表情を見つめた。そこにあるのは父親への心配だけではない。自分が距離を置いた場所へ、自分自身の意思で踏み込もうとしている覚悟だった。
「分かった。ただし、一人では行かせない」
「名取さん……」
「これは千太個人の問題ではない。源基本体が外部因子として認識した以上、能研全体に関わる」
イレイダが立ち上がる。
「なら私も行く」
「俺も行くよ」
ソウヤが続ける。
「世界規模の事件が終わったと思ったら、今度は日本支部で何か起きてるんだろ?さすがに放っておけない」
結衣も頷いた。
「怪我人がいる可能性もあるなら、回復役がいた方がいい」
さらにタジが通信機器を準備しながら告げる。
「俺はハルシオンから支援する。現地へ行くメンバーは必要最低限にしよう。今回は戦闘になるかどうかすら分からないから、むやみに人数を増やすのは危険だ」
フランも艦橋の奥から歩いてきた。彼が近づくにつれて、ハルシオン内部を走る光の一部が微かに明滅する。structūra imperiumによって艦と繋がっている彼にとって、この艦を離れることは決して軽い行動ではない。それでもフランは日本支部の座標を確認すると、静かに口を開いた。
「私も行く」
「フラン、大丈夫なのか?」
惣一が聞く。
「ハルシオンとのリンクは安定してる。今回の海底施設で源基本体と接続した影響も落ち着いてる。それに、外部因子が古代構造物に関係してるなら、私の能力で何か分かるかもしれない」
「分かった」
惣一は頷いた。
「では、千太、私、フラン、イレイダ、ソウヤ、結衣の六人で日本支部へ向かう」
その決定が下された直後、タジの端末が警告音を発した。
「……待ってくれ」
タジの顔から表情が消える。
「今、新しい反応が出た」
「どこだ?」
「日本支部じゃない」
モニターへ新しい座標が表示される。
「ロスマン共和国だ」
◇
同じ頃、ロスマン共和国ではドルク・B・ロスマンとカルラ・エルデリータ・マルティスティンが旧王宮の上層階へ向かっていた。
地下に存在する黒い石板との接続によって、ドルクは外部因子の存在を感知できるようになっていた。その反応は地下から始まり、徐々に地上へ向かって移動しているようにも見える。だが、通常の能力反応とは違うため、ドルク自身にも正確な位置を特定することはできなかった。
「この先です」
カルラが足を止めた。
二人の前には旧王宮の上層部へ続く大扉がある。かつて皇族の私的区域として使われていた場所であり、現在ではほとんど使用されていない。
「ここに何がある?」
「分かりません。ただ、反応はこの先からです」
ドルクは扉へ手を伸ばした。
「嫌な感じがするな」
「珍しく慎重ですね」
「私だって慎重になる時くらいある」
「能力を使う時も、その慎重さがあればいいのですが」
「今にそれを言うか?」
ドルクが扉を開ける。
その瞬間、廊下の照明が一斉に消えた。
暗闇の中で、二人の前方だけに淡い光が浮かび上がる。
カルラが剣を抜いた。
「ドルク様、下がってください」
「いや」
ドルクはDaemoniumを召喚することなく、その光を見つめた。
「これは攻撃ではない」
「では、何です?」
「……呼んでいる」
廊下の奥から、微かな金属音が響いた。
カラン、と何かが床へ落ちる音。
カルラが慎重に歩みを進める。
そこに落ちていたのは、古びた金属製の小さなプレートだった。
ドルクが拾い上げると、表面には見覚えのない文字が刻まれている。
「ロスマンの文字ではありませんね」
「古代文字でもない」
「では、何です?」
「分からない」
ドルクはプレートを裏返した。
そこには一つだけ、数字が刻まれていた。
「14」
カルラの表情が変わる。
「……十四年前?」
「偶然とは思えないな」
ドルクがそう呟いた瞬間、プレートの表面に黒い光が走った。
そして、二人の視界へ一瞬だけ映像が浮かぶ。
十四年前。
燃え上がる施設。
逃げ惑う人々。
能力者らしき人物。
そして、その奥で何かを運んでいる複数の人影。
映像はそこで途切れた。
「今のは……」
「記録だ」
ドルクがプレートを握り締める。
「誰かが十四年前の出来事を、この場所に残していた」
カルラが周囲を警戒する。
「つまり、ロスマン共和国にも十四年前の事件に関係するものが存在すると?」
「そういうことだろうな」
ドルクはプレートを見つめた。
「そして、こいつは能力ではない」
黒い光が再び明滅する。
「源基本体が言っていた外部因子と関係している可能性がある」
その瞬間、王宮の地下から強烈な振動が伝わってきた。
ドルクとカルラが同時に振り返る。
「……地下?」
「違う」
ドルクが目を細める。
「こっちへ来ている」
廊下の奥。
暗闇の中で、何かが動いた。
◇
日本へ向かう準備を進めていたハルシオンでも、同じ瞬間に異変が起きていた。
「タジ!」
ソウヤが叫ぶ。
「分かってる!」
タジは複数のモニターを操作しながら、必死にデータを追っていた。
「日本支部の反応が強くなってる。それと同時に、ロスマン側でも同じ波形が出た」
「二つが繋がってる?」
「可能性は高い。でも、まだ断定できない」
フランがモニターへ近づく。
「波形を見せろ」
タジが表示を切り替える。
フランは数秒間、黙って画面を見つめた。
「……これは」
「何か分かったのか?」
「ハルシオンの構造に似てる」
全員がフランを見る。
「正確にはハルシオンそのものではない。もっと古い。構造物としては似ているが、目的が違う」
「外部因子が古代構造物に関係してるのか?」
「分からない。でも、これまで見てきた古代施設と同じ系統の設計思想がある」
惣一がモニターを見る。
「つまり源基本体と無関係ではないと?」
「そう思う。ただし、能力因子そのものとは別物だ」
フランはそこで言葉を止めた。
「だからこそ、余計に嫌なんだ」
「何がだ?」
「源基本体が、こいつを『外部』として認識してる」
その意味を理解した瞬間、全員が黙った。
源基本体にとって能力因子は内部に存在するものだ。第一、第二、第三の継承系統も、その管理者も、その構造の中に組み込まれている。
その源基本体が、外部因子と明確に区別した。
つまりそれは、能力の歴史に存在する異物ではない。
能力の体系そのものから見て、外側にある何かだった。
「千太」
惣一が振り返る。
「日本支部で何を見ても、一人で判断するな。聖舩とのことも含めて、必ず私たちに共有してくれ」
千太は少しだけ沈黙した。
「はい」
そして窓の外へ視線を向ける。
「俺は、もう逃げるつもりはない」
ハルシオンがゆっくりと進路を日本へ向ける。
その直後、イーゼルから通信が入った。
『ハルシオンへ。こちらイーゼル。日本支部周辺の監視を開始する』
「了解」
タジが応答する。
『ただし、一つ気になることがある』
「何だ?」
『日本支部周辺だけじゃない。東京湾の地下からも、同じ反応が出ている』
惣一が眉をひそめた。
「東京湾?」
『正確な位置はまだ特定できていない。ただ、日本支部の地下施設と何らかの経路で繋がっている可能性があるかと』
フランが静かに呟いた。
「日本支部だけではないのか……」
「地下に何かがある」
惣一が答える。
「そして、それが十四年前の事件と繋がっている可能性がある」
ハルシオンの艦橋に、重い沈黙が落ちた。
だが、その沈黙を破ったのは、タジの端末から聞こえた小さな警告音だった。
「……まただ」
「今度はどこだ?」
タジが画面を見る。
「ロスマンでも日本でもない」
世界地図へ、三つ目の光点が浮かび上がる。
「北極圏だ」
誰も言葉を返せなかった。
世界規模の能力異常は終わった。
古代太陽フレアの影響も、十四年前の現象も、これまで別々の歴史として扱われてきた。
それなのに今、その三つとは別系統であるはずの「外部因子」が、世界各地で同時に反応を始めている。
そして源基本体は、それを敵とも味方とも定義していない。
ただ一つだけ明確に示していた。
――それは、能力の世界の外側から来たものだ。
ハルシオンは日本へ向けて航行を続ける。
その遥か北方では、誰にも知られていない氷の大地の地下で、十四年前から一度も動かなかった巨大な構造物が、静かに目を覚まし始めていた。
――第191話 完




