第190話「深海への接続」
静穏海域へ到達した戦艦ハルシオンの艦橋から見える海は、巨大な鏡のように静まり返っていた。風は確かに吹いている。雲もゆっくりと流れている。それなのに海面だけは周囲の自然現象から切り離されたように揺れず、並走する戦艦イーゼルが生み出した波さえ数秒後には跡形もなく消えていく。以前にも目にした光景ではあるが、今回は海底に「源基本体」が存在する可能性まで判明しているため、そこにいる誰もが以前とは違う緊張を感じていた。
ハルシオン内部では、源基本体への接続に必要とされる条件の確認が続いていた。第一継承系統である名取惣一、第二継承系統であるフラガラッハ・F・ミストルティン――フラン、第三継承系統であるデウス。そして遠く離れたロスマン共和国では、ドルク・B・ロスマンが源基の「管理者候補」として認識されている。世界規模で進行する能力因子の広域共鳴を止めるためには、三系統と管理者の同意を揃えたうえで、静穏海域の海底に眠る源基本体へ接続しなければならない。
「理屈は分かりました。でも」
ソウヤが作戦室の大型モニターに映された海底地形を見ながら、露骨に嫌そうな顔をした。
「またあそこまで行くんですよね?」
「ああ」
惣一が淡々と答える。
「しかも今回は前より深く潜る可能性がある」
「聞かなきゃよかった」
「お前が聞いたんだろ」
「そうですけど!」
ソウヤが頭を抱える横で、タジは海底から届く観測値を解析していた。以前はノイズに埋もれていた反応が、三系統の集結とロスマン王宮地下での管理経路再接続以降、明らかに強くなっている。特に海底深部から一定周期で発生する信号は、ハルシオン内部の黒い球体と完全に同期していた。
「前回までとは違う。向こうから俺たちを探してるみたいな反応になってる」
「源基本体が?」
結衣が尋ねる。
「たぶん。ただ、自我があるのか、それとも単純なシステムなのかは分からない。前に海底で接触した存在も、俺たちの質問には答えてたけど、人間みたいな意思があるかまでは判断できなかった」
タジが解析画面を拡大すると、海底地形の一部に巨大な円形構造が表示された。以前の調査で確認された領域よりさらに深い場所であり、自然地形とは到底考えられないほど整った形をしている。
「これが源基?」
「まだ断定できない。でも黒い球体が示した座標と一致してる」
フランが画面を睨む。
「ハルシオンごと行ける深さではないな」
「行こうとするなよ」
ソウヤがすぐに止めた。
「いや、行けるかどうか考えただけだ」
「お前とハルシオンが一体化しかけた後にそれ言われると怖いんだよ!」
「もう制御できているさ」
「そういう問題じゃないんだよ!」
ベルトも通信越しにソウヤへ同意した。
『今回はソウヤさんに賛成です。艦長、絶対に艦ごと潜ろうとしないでください』
「お前まで?」
『艦長には前科があります』
「あれは事故だ」
そのやり取りに僅かな笑いが起こったが、惣一はすぐに海底地形へ視線を戻した。
「今回は少人数で行く」
「誰が?」
「私とデウスは必要だ。源基本体への接続に第一と第三が必要になる可能性が高い」
フランがすぐに口を挟む。
「第二も必要なんだろ。なら私も行く」
「ハルシオンから離れられるのか?」
「短時間なら問題はない。俺の心臓が艦内にある以上、距離には限界があるが、海底の座標は範囲内だ」
フランの身体と戦艦ハルシオンは能力によって深くリンクしている。彼の心臓そのものが艦内に存在している以上、完全に独立して行動することはできない。それでも今回の源基本体はハルシオンの直下に近い位置にあるため、第二継承系統として接触するだけなら可能だと本人は判断していた。
「俺も行く」
ソウヤが言った。
「さっきまで嫌がっていなかったか?」
惣一が尋ねる。
「嫌なのと行かないのは別。三人だけ行かせる方が嫌です」
イレイダも壁から身体を起こす。
「なら私も行く」
「お前は何かあった時の戦力だな」
「理由は何でもいい」
「海底で斬れる相手が出るとは限らないぞ」
「出たら斬る」
「やっぱり残ってもらった方がいい気がしてきた」
「おい」
そんな会話を聞きながら、結衣は少し考えた末に口を開いた。
「私も同行した方がいいと思う。能力異常が起きた時に、誰かが身体的なダメージを受ける可能性があるから」
惣一は僅かに考えた。結衣のHealer(回復)は、今回のように何が起きるか分からない状況では極めて重要になる。一方で、源基そのものが能力へ影響を与える場所へ回復能力者を連れていくことには危険もある。
「結衣自身の能力が暴走する可能性も有り得る」
「分かってます。でも、それは誰だって同じでしょ?」
「……そうだな」
最終的に、海底へ向かうのは惣一、フラン、デウス、ソウヤ、イレイダ、結衣の六人となった。タジはハルシオンに残り、海底探査機と通信設備を通して支援する。刹那と夢幻も艦内に残り、万が一ハルシオン側で異常が発生した場合に備えることになった。イーゼルは静穏海域外縁で警戒を継続し、二隻のどちらかに問題が発生した場合でも即座に支援へ動ける態勢を取る。
そしてもう一つ、絶対に欠かせない条件があった。
ロスマン共和国にいるドルクとの接続である。
◇
旧王宮地下では、ドルクが透明な容器の前に置かれた黒い石板を睨んでいた。
「それで、私は何をすればいい」
『今のところ、石板へ触れる必要がある可能性が高い』
通信端末から聞こえるのはタジの声だった。
「可能性?」
『こっちの黒い球体がそう示してる。悪いけど説明書が残ってるわけじゃないんだ』
「世界の命運を古代の謎装置に任せている状況、冷静に考えると相当ひどいな」
『それは俺も思う』
カルラはドルクの隣で黒い石板を観察していた。
「触れた場合、寿命への影響は?」
『分からない』
「では触れさせられません」
『即答!?』
「当然です」
ドルクが横から溜息を吐く。
「カルラ、これを使わないと世界中の能力異常を止められないかもしれないんだぞ」
「だからといって、あなたの命を無条件で差し出す理由にはなりません」
「私も死ぬつもりはない」
「あなたの場合、その言葉に信用がありません」
「酷くないか?」
「Daemoniumを強制解除した時に倒れた方が何を仰っているのですか」
「それを言われると弱いな……」
透明な容器の内部では、目覚め始めた管理個体が二人の会話を静かに聞いていた。先ほどより意識は明瞭になっているものの、まだ身体を起こすほどには回復していない。それでも言葉は徐々に聞き取りやすくなっていた。
「……管理経路では……寿命消費は不要」
ドルクとカルラが同時に振り返る。
「本当か?」
「……管理者経路……源基が接続を維持する。個体生命力を……代償としない」
ドルクは少し考えた。
「つまり普段の私の能力は、自分の寿命を燃料にして無理やり門を開いている。でもここからなら、源基側が門を維持するから寿命を使わなくていい?」
管理個体が頷く。
「……概ね……正しい」
「概ね、というのが嫌ですね」
カルラが即座に指摘した。
「お前は細かいな」
「命に関わる部分ですので」
「それはそうだ」
ドルクは黒い石板へ手を伸ばしかけたが、触れる直前で止めた。
「一つ聞く。私が管理者候補として接続した場合、世界中の能力者を勝手に原型へ戻すようなことは起きないな?」
「……起きない」
「私の意思とは関係なく何かが実行される可能性は?」
「……管理者、三系統、双方の合意が必要」
「なら少なくとも私一人では動かせない?」
「……その通り」
ドルクはようやく納得したように息を吐いた。
「ならいい」
「ドルク様」
「大丈夫だ。今度はちゃんと確認した」
「珍しいですね」
「お前は私を何だと思ってる?」
「長時間能力を使えば寿命が削られると知りながらDaemoniumを使う方です」
「具体的すぎる」
カルラの容赦ない返答に顔をしかめながら、ドルクは石板へ手を置いた。
直後、地下祭殿全体へ黒い光が走った。
しかし先ほどのような苦痛はない。diabolus Invocareを使用した時に感じる生命力が引き抜かれる感覚もなく、代わりに自分の意識が遥か遠くへ伸びていくような奇妙な感覚が生まれた。黒い炎のような光が石板から床へ流れ、祭壇を通り、透明な容器へ繋がっていく。
「……これは」
ドルクの視界に、自分がいる地下祭殿とはまったく異なる光景が重なった。
暗い海。
その底。
巨大な構造物。
そして海上に浮かぶ戦艦ハルシオン。
「見える」
『何が?』
タジの声が聞こえる。
「お前たちの海だ」
『こっちが?』
「ああ。直接見てるわけじではない。何と言えばいいものか……場所そのものを感じる」
管理個体が静かに告げる。
「……管理経路……確立」
同時にハルシオン側でも変化が起きた。
◇
古代構造物区画に置かれた黒い球体から、これまでとは比較にならないほど強い光が放たれた。
「来た!」
タジが表示を確認する。
「ロスマン側との接続成立!ドルクの能力波形も確認。でも反動値は上がってない!」
「本当に門なんだな」
ソウヤが驚いたように言う。
フランは黒い球体へ手を近づけ、その内部を流れる反応を感じ取った。
「ハルシオン側も変わった。艦の中に知らない経路が開いてる」
「危険か?」
惣一が尋ねる。
「今のところは違う。むしろ今まで閉じてた回路が繋がった感じだ」
デウスも表示を確認する。
「管理者経路が源基本体と接続したことで、第二継承系統に含まれる古代構造物も本来の機能へ近づいているのだろう」
「ハルシオン自体が古代システムの一部ってこと?」
ソウヤの問いにフランは顔をしかめる。
「その可能性は、どんどん高くなってるな」
タジが新しい表示を読む。
「海底への経路が出た」
大型モニターへ立体地図が表示される。ハルシオン直下から海底へ続く一本の経路が光で示され、その先には先ほど確認した巨大円形構造が存在していた。
「普通に潜ったら水圧が危険な深さだけど、途中から古代構造物の内部へ入れるみたいだ。探査艇で入口まで行って、そこから内部経路を進む」
「前回と同じようなものか」
惣一が確認する。
「似てる。でも今回は向こうが入口を開けてる」
「歓迎されてると思っていいのかな」
結衣が尋ねる。
「そうだといいけど」
タジは苦笑する。
「古代構造物に歓迎されるって状況自体、あんまり安心できない」
海底へ向かう六人は装備を整え、ハルシオンの探査艇へ乗り込んだ。フランは出発直前まで艦の状態を確認していたが、structūra imperiumに異常はなく、ハルシオンとのリンクも安定している。念のため、艦内に残るベルトへ異常があれば即座に引き返すよう連絡することだけは忘れなかった。
『艦長』
「何だ?」
『無茶しないでくださいね』
「分かってる」
『本当に?』
「なぜ疑う」
『今までの実績です』
「カルラと話が合いそうだな、お前は」
『誰です?』
「こっちの話さ」
フランが通信を切ると、ソウヤが笑っていた。
「何だ」
「いや、ちゃんと心配されてるんだなって」
「お前こそ、結衣に心配されているだろ」
「え?」
ソウヤが隣を見ると、結衣が微笑んでいた。
「もちろん心配してるよ」
「……じゃあ気をつけます」
「急に素直になるな」
イレイダが呆れたように言う。
「うるさい」
軽いやり取りを交わしながらも、探査艇がハルシオンを離れた瞬間には全員の表情が引き締まった。
艇は静穏海域へ潜航していく。
海面を越えた途端、外の光は急速に失われ、窓の向こうには深い青と黒だけが広がった。以前の潜航でも感じた独特の圧迫感が艇内を包み、さらに深度が増すにつれて自然光は完全に消える。それでも今回は進行方向に淡い光の帯が現れ、まるで道標のように海底へ続いていた。
「これ、前はなかったな」
ソウヤが窓の外を見る。
「あぁ、なかった」
惣一が答える。
「源基側から誘導されているのだろう」
「だったら途中で道消すなよ……」
「言うと本当に消えそうだからやめろ」
イレイダの指摘に、ソウヤは黙った。
やがて海底が見える。
そこには自然に形成されたとは思えない巨大な円環が存在していた。直径は数百メートルを超え、その表面にはハルシオン、名取家地下祭殿、ロスマン王宮地下で確認されたものと同系統の紋様が刻まれている。
「これが……」
結衣が窓越しに見つめる。
「源基本体?」
「入口だと思われる」
デウスが答える。
「本体はさらに内部だ」
探査艇が近づくと、円環の中央にあった岩盤が左右へ分かれ始めた。海底そのものが動いているような光景に、ソウヤが思わず身を乗り出す。
「でか……」
「ハルシオンでも入れそうだな」
フランが呟く。
「入れようとするなよ」
「入れないさ」
「今ちょっと考えただろ」
「少しな」
「やめろ!」
開かれた空間の奥には、人工的な通路が続いていた。探査艇が内部へ進むと背後の入口が閉じ、周囲の海水が急速に排出されていく。やがて艇の外は完全な空間となり、タジからも「外部気圧安定」の報告が入った。
『降りられる。ただし通信がどこまで続くか分からない。途切れた場合は無理に先へ行くな』
「了解」
ソウヤが答える。
『ソウヤ、お前に言ってるからな』
「なんで俺だけ?」
『一番行きそうだから』
「イレイダじゃなくて?」
「私も行くぞ」
『二人ともだ!』
探査艇の扉が開く。
六人は古代構造物の内部へ足を踏み入れた。
◇
内部は驚くほど静かだった。海底深くに存在する施設とは思えないほど空気は安定しており、床や壁には淡い光が流れている。材質は金属にも石にも見えるが、フランが触れても構造を完全には読み取れなかった。
「structūra imperiumでも駄目?」
結衣が尋ねる。
「一部は分かる。しかし全てではない。ハルシオンと似た部分もあるが、こちらの方が古い気がする」
「能力で年代が分かるのか?」
ソウヤが聞く。
「正確には無理だ。だが構造の重なり方が違う。ハルシオンは後から増築された部分が多い。こちらは最初から一つの目的で作られてる」
デウスが壁面へ触れる。
「源基を保護するための施設だろう」
「じゃあ源基って機械なの?」
「それはまだ分からない」
ソウヤが露骨に嫌そうな顔をする。
「また分からないか」
「分からないものを断言する方が危険だ」
「それはそうだけど」
通路を進むにつれて、惣一の神足通にも変化が現れた。能力が暴走しているわけではない。それでも、周囲の空間が自分の移動先として認識されていくような不思議な感覚がある。
「名取さん?」
ソウヤが気付く。
「問題ない。神足通がこの場所へ反応しているだけだ」
「第一だから?」
「恐らくな」
さらに数分進んだところで、フランも足を止めた。
「私も分かる」
「何が?」
「この先に何かある」
デウスも同じ方向を見る。
「私も感じる」
三系統が同じ場所を認識している。
そこから先は地図すら必要なかった。
通路そのものが三人を誘導するように順番に光り始めたからだ。
やがて巨大な扉へ辿り着く。
その中央には三つの窪みが存在した。
「分かりやすいな」
ソウヤが言う。
「三人で触れろってこと?」
「恐らく」
惣一、フラン、デウスがそれぞれの位置へ立つ。
「待って」
結衣が止めた。
「本当に大丈夫?」
惣一は一度だけ振り返った。
「保証はできない」
「そういう意味じゃなくて」
結衣は三人を見た。
「何か変だと思ったらすぐ離れて。能力者だからって、能力に従う必要はないんだから」
フランが少し笑う。
「ドルクにも聞かせてやりたいな、その言葉」
「何で?」
「たぶん気が合う」
三人は同時に窪みへ手を置いた。
低い振動が響き、巨大な扉がゆっくりと左右へ開いていく。
その向こうにあったのは、これまで見たどの古代施設とも異なる空間だった。
広大な円形の部屋。
その中央には巨大な柱のような構造物が立っている。
しかし柱ではない。
内部を流れている。
無数の光。
それぞれが異なる速度、異なる色調、異なる周期で脈動しながら、一本の巨大な流れを作っていた。
「これ……全部」
タジの通信がノイズ混じりに届く。
『反応……確認……能力因子……桁が違う……』
ソウヤが息を呑む。
「源基本体……?」
デウスが静かに頷く。
「ああ」
惣一も目を離さない。
「恐らく、これが能力因子原型の基準点だ」
フランは何も言わなかった。
彼の視界には、中央構造物から伸びる無数の接続経路が見えていた。それらは海底施設だけではなく、さらに遠く、世界中へ広がっているように感じられる。
「……世界中の能力者に繋がっている」
フランが呟く。
「分かるのか?」
ソウヤが尋ねる。
「何となくだがな。ハルシオンを通して構造を見る時に近い。しかし規模が違いすぎる」
その瞬間。
中央構造物の光が一斉に止まった。
「何だ?」
イレイダが身構える。
数秒の沈黙。
そして再び光が流れ始めた時、円形空間の中央へ一つの人影が形成された。
「人……?」
結衣が驚く。
実体ではない。
光によって作られた人型の像。
顔も性別も分からない。
それでも、以前海底で接触した存在と同じものだと惣一には分かった。
『第一継承系統』
声が空間全体へ響く。
『第二継承系統』
フランが僅かに眉を寄せる。
『第三継承系統』
デウスは無言で見つめ返す。
そして人影は、遠く離れた場所へ意識を向けるように顔を動かした。
『管理者候補――接続確認』
◇
ロスマン王宮地下。
同じ声が黒い石板から響いた。
ドルクは眉を寄せる。
「聞こえてるぞ」
『選択権限、暫定復旧』
「ちょっと待て。まだ何も選ばないぞ」
『確認』
「そこは聞き分けいいんだな」
カルラが小声で尋ねる。
「向こうと話せるのですか?」
「恐らくな」
ドルクは石板へ触れたまま目を閉じた。
「おい、太平洋組。聞こえるか?」
◇
「うわっ!?」
ソウヤが突然聞こえた女性の声に驚いた。
「誰!?」
『誰って何だ!ドルクだ!』
「ドルク!?」
『初対面で失礼だな、お前は!』
「声しか知らないし!」
イレイダが興味深そうに光の人影を見る。
「本当にロスマンまで繋がっているのか」
『そっちは誰だ?』
「イレイダ・レイス」
『ああ、お前が』
「知っているのか?」
『カルラと戦いたがってる女だろ』
「なんでそれが伝わっているんだ」
離れた場所でカルラの声まで聞こえる。
『事実です』
「お前がカルラか!?」
『初めまして』
「是非とも、今度手合わせをしよう」
『お断りします』
「即答か」
ソウヤが頭を抱える。
「世界規模の危機なのに何の会話してんだよ……」
張り詰めていた空気が一瞬だけ緩んだ。しかし光の人影が再び言葉を発したことで、全員の意識は中央へ戻る。
『広域共鳴率――六十三・八』
タジからも通信が入る。
『一致してる! 世界観測値とほぼ同じだ!』
『収束処理、実行可能』
惣一が一歩前へ出る。
「条件を確認したい」
『第一、第二、第三、管理者。四権限の同意を必要とする』
「管理者候補では?」
デウスが尋ねる。
『暫定権限を付与可能』
ドルクの声が聞こえる。
『勝手に付与するなよ』
『管理者候補による承認が必要』
『ならまだいい』
惣一は続ける。
「現在の能力因子構造を維持したまま、広域共鳴のみを停止できるのか」
『可能』
「能力を失う者は?」
『予測値――極低』
「ゼロではない?」
結衣が聞いた。
『現代能力因子は個体差が大きい。完全保証不能』
結衣の表情が曇る。
フランも腕を組んだ。
「なら原型へ戻す場合は?」
『個体変質率――高。能力構造再編成。反動構造変化。生命維持への影響予測不能』
「論外だな」
フランは即答した。
『同感だ』
ドルクも迷わない。
惣一はデウスを見る。
「お前は?」
「現代構造維持に同意する」
これで方針は揃った。
しかしソウヤは中央の光を見ながら、一つだけ引っ掛かっていた。
「ちょっと待って」
「どうした?」
「原型へ戻す選択肢って、何のためにあるんだ?」
デウスがソウヤを見る。
「私も同じ疑問を持った」
「だろ?そんな危険な選択肢をわざわざ残してるって変じゃない?」
光の人影は答えない。
ソウヤは続けた。
「昔の奴らは、なんで世界中の能力者を原型へ戻せるようにしたんだ?」
沈黙が続く。
「答えられないのか?」
『回答可能』
「だったら教えろ」
光の人影が僅かに揺らいだ。
『原型再接続は――緊急避難処理』
全員の表情が変わる。
「避難?」
『現代能力因子群が存続不能状態へ移行した場合、原型系列へ強制退避する』
タジの声が割り込む。
『待ってくれ。それって原型に戻す方が危険なのに、何から避難するんだ?』
しばらく返答がなかった。
そして。
『外部侵食』
惣一の目が鋭くなる。
「何だ、それは」
『能力因子系統外部より侵入する異質因子』
「今回の広域共鳴とは違うのか?」
『異なる』
フランが中央構造物を見る。
「今起きてるのは古代太陽フレア由来の刺激で能力因子が共鳴してる現象だったな」
『肯定』
「十四年前の現象とも違う?」
『肯定』
以前整理した通り、古代の太陽フレアは能力因子原型へ長期的な影響を残した過去の外的要因であり、十四年前の現象は現代における別の局地的異常として扱われている。現在発生している広域共鳴は、それらの歴史的要因と能力因子の蓄積が重なって表面化した現象だった。
だが今。
さらに別のものが提示された。
「外部侵食、過去に起きたのか?」
惣一が尋ねる。
『記録あり』
「いつだ」
『時系列情報――欠損』
「何が侵入した?」
『詳細情報――封鎖』
「封鎖?」
デウスが反応する。
「欠損ではなく、封鎖なのか」
『肯定』
その違いは大きかった。
失われたのではない。
誰かが意図的に見られないようにした。
ドルクの声も低くなる。
『誰が封鎖した』
『最終管理者』
ロスマン王宮地下で、ドルクが目を開く。
「私の前の管理者?」
『肯定』
カルラが横から尋ねる。
「解除は可能ですか?」
『正式管理者認証後、可能』
ドルクが嫌そうな顔をした。
「……嫌な流れになってきたな」
『ドルク様』
「分かっている。今すぐ解除するつもりはない」
ドルクは石板へ触れたまま、太平洋側へ声を送る。
『まずは広域共鳴を止める。それでいいな』
「ああ」
惣一が答えた。
「過去の秘密を調べるために、今苦しんでいる能力者を放置する理由はない」
フランも頷き、デウスも異論を示さなかった。
四者の意思が揃う。
光の人影が告げる。
『現代能力因子構造――維持を選択』
『広域共鳴――収束処理へ移行』
『四権限の承認を要求』
惣一が右手を中央構造物へ向ける。
「第一継承系統、名取惣一。承認する」
フランも続く。
「第二継承系統、フラガラッハ・F・ミストルティン。承認」
デウスが静かに告げる。
「第三継承系統。承認する」
最後。
ロスマン王宮地下で、ドルクはしばらく黒い石板を見つめていた。
管理者になるつもりなどなかった。
今でもない。
しかし、これは王位でも称号でもない。
目の前にあるのは、世界中で能力に苦しんでいる者たちを救うために必要な一つの判断だ。
「管理者候補、ドルク・B・ロスマン」
カルラが静かに彼女を見る。
「――承認する」
その瞬間。
静穏海域の海底で、源基本体が眩い光を放った。
無数の能力因子を示す光が一斉に中央へ集まり、そこから再び世界へ広がっていく。ハルシオンの黒い球体、名取家の地下祭殿、ロスマン王宮の黒い石板がほぼ同時に反応し、世界各地で暴走していた能力因子へ収束信号が伝播し始めた。
タジの声が通信から響く。
『広域共鳴率が下がってる! 六十三……五十八……五十二……!』
結衣が安堵しかける。
「止められるの……?」
『まだ分からない。でも確実に下がってる!』
四十七。
三十九。
三十二。
世界各地で、本人の意思とは無関係に発動していた能力が次々と沈静化していく。出力異常を起こしていた能力者の数も減り、一時的に能力を失っていた者の一部には反応が戻り始めた。
『二十一……十四……九……!』
ソウヤが拳を握る。
「いける!」
しかし、数値が五.二パーセントまで低下したところで変化が止まった。
『……止まった』
「何だ?」
惣一が中央を見る。
源基本体の光が不規則に揺れている。
『五.二から下がらない!』
「処理失敗?」
結衣の問いに、光の人影が答えた。
『収束処理――九十四・八パーセント完了』
「残りは?」
『現代能力因子群に属さない反応を検出』
デウスの表情が変わる。
「まさか」
『外部因子反応――検出』
円形空間の空気が一変した。
先ほど聞いたばかりの言葉。
外部侵食。
ただし、それが今回の広域共鳴そのものではないことは確認したばかりだ。
「待て」
惣一が問いかける。
「今検出した外部因子は、今回の広域共鳴を引き起こした原因なのか?」
『否定』
「なら、以前から存在していた?」
『肯定』
タジがすぐに解析を始める。
『どこにある!?』
源基本体から複数の光が伸びる。
一つではない。
世界各地。
それも能力異常が強く出ていた地域とは必ずしも一致していない。
『外部因子保有個体――複数確認』
ソウヤの表情から笑みが消えた。
「個体……?」
「人間の中にあるのか?」
イレイダが問いかける。
『一部肯定』
さらに表示が続く。
『一部――非生体』
「物にも?」
『肯定』
そして最後に、源基本体がこれまでとは異なる警告音を発した。
世界地図上にいくつもの点が浮かび上がる。
その中の一つを見た瞬間、惣一の目が止まった。
「……日本?」
タジも気付いた。
『日本国内に一つあります』
「場所は?」
『解析します』
座標が絞られていく。
東京。
さらに詳細な位置情報へ変わり、タジが言葉を失った。
「タジ?」
『……待ってくれ』
ソウヤが不安そうに通信を見る。
「どこなんだよ」
数秒後、タジが答えた。
『国連安全保障機構、日本支部』
惣一の表情が変わった。
「柊聖舩のいる場所か」
『はい』
しかも反応は建物全体からではない。
施設内部の特定区画。
源基本体はそこに存在する何かを、能力因子系統とは異なる「外部因子」として認識している。
イレイダが腕を組む。
「聖舩本人ではないのか?」
『分からない。位置だけじゃそこまで特定できない』
「奴は能力者ではない」
惣一が答える。
「だが外部因子が能力ではないなら、その事実だけでは除外できない」
海底へ来たことで、ようやく世界規模の能力異常を止めることができた。それ自体は大きな成果だった。少なくとも今この瞬間、世界中で能力の暴走に苦しんでいた者の大半が平常状態へ戻りつつある。
しかし最後に残った五.二パーセントは、今回の広域共鳴とは別の問題だった。それはもっと以前から世界の中に紛れ込んでいた。そして源基本体が完全に再接続されたことで、今まで見えなかったものが初めて可視化されたに過ぎない。
「まずは聖舩へ知らせる」
惣一が言った。
「それから、この反応が何なのか確認する」
『こちらから連絡します』
タジが国連日本支部への回線を開こうとする。
だが。
『……繋がらない』
「通信障害か?」
『いや、回線そのものが切断されてる』
タジの声に緊張が走る。
ハルシオン側の通信設備は正常。ロスマン王宮との回線も維持されている。それなのに、国連安全保障機構日本支部だけが応答しない。
「いつからだ?」
『……三分前』
それは。
源基本体が広域共鳴の収束処理を開始した時刻と、ほぼ一致していた。
惣一は中央に浮かぶ光の人影を見る。
「外部因子は、こちらが検出したことに気付くのか?」
少しの沈黙。
『可能性――あり』
「……最悪だな」
イレイダが呟く。
ソウヤも表情を引き締める。
「聖舩さんが危ないんじゃ?」
「まだ断定はできない」
惣一はそう答えたが、すぐに行動を決めた。
「海底調査はここで一度終了する。ハルシオンへ戻るぞ」
「日本へ?」
「ああ」
フランも頷く。
「ハルシオンを全速で向かわせる」
しかしロスマン王宮地下では、ドルクが別のことに気付いていた。
「……待て」
『どうした?』
ドルクは黒い石板に浮かぶ反応を見つめる。
「日本だけではない」
源基管理者候補となったことで、彼女にも外部因子の位置が断片的に見え始めていた。
「ロスマン共和国にもある」
カルラが表情を変える。
「どこです?」
ドルクは視線を動かす。
王都。
旧王宮。
そして。
「……この建物の中だ」
カルラは即座に剣へ手を掛けた。
「地下ですか?」
「違う」
ドルクが顔を上げる。
「上だ」
旧王宮の地上階。
政府関係者や警備兵たちが待機している区域。
その中に、源基本体が「能力因子系統外」と判断する何かが存在している。
「カルラ」
「はい」
「行くぞ」
「ご体調は?」
「今は問題ない。管理経路を使っている間、寿命は削られていない」
「無理はなさらないでください」
「お前がいるだろ」
「……はい」
ドルクは黒い石板から手を離した。
太平洋とロスマンを結んでいた接続は弱くなったものの、完全には消えない。源基が一度復旧したことで、管理経路そのものは維持されている。
世界規模の能力異常は、ほぼ収束した。
だが、それによって物語は終わらなかった。
むしろ、今まで能力異常という巨大なノイズに隠されていた別の存在が、初めて輪郭を現したのである。
太平洋では惣一たちがハルシオンへの帰還を急ぎ、ロスマン王宮ではドルクとカルラが地上へ向かう。そして日本では、国連安全保障機構日本支部との通信が途絶えたまま、一切の応答がない。
その日本支部の最深部。厳重な認証が必要な保管区画の中で、長年封印されていた一つのケースが静かに開いていた。
中に収められているのは武器でも能力研究資料でもない。
黒く変色した、小さな金属片。
十四年前、とある現場から回収され、能力反応を持たない「由来不明物」として保管され続けてきたものだった。
これまで何をしても反応しなかったその金属片の表面に、源基本体の復旧とほぼ同時刻、一筋の亀裂が生まれていた。そして亀裂の奥では、能力因子とは明らかに異なる微かな光が脈動している。
広域共鳴によって生まれたものではない。
古代太陽フレアが生み出したものでもない。
そして、十四年前の異常そのものでもない。
ただし――十四年前の現場に、それは確かに存在していた。
世界中の能力因子が静けさを取り戻していく中、これまで能力者たちの歴史の陰に隠れ続けていた別系統の異物が、初めてこちら側へ反応を返していた。
――第190話 完




