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Psycer Brain ─ 神に抗え。その力で運命を変えろ─  作者: n217 (嘯江 新)


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189/193

第189話「管理個体の目覚め」

 ロスマン旧王宮の地下最深部。巨大な扉の向こうには、ドルクが幼い頃に一度だけ目にした光景が、記憶の中とほとんど変わらない姿で残されていた。


 広大な石造りの空間。その中央には、ハルシオン内部で発見された古代構造物と同じ紋様が刻まれた黒い石板が立ち、そのさらに奥には透明な容器が設置されている。容器の内部には人間らしき存在が横たわっており、長い年月を経ても肉体が朽ちた様子はない。ただ一つ、ドルクの記憶と明確に違うのは、その人物の閉じられていたはずの瞼が、今まさにゆっくりと開こうとしていることだった。


「……おい」

 ドルクは思わず足を止めた。


 隣に立つカルラも剣の柄へ手を添えたまま、容器から目を離さない。

「聞いていた話では、覚醒までまだ六十八時間ほど残っているはずですが」

「私に言うな。私も今そう思っていたところだ」

 案内役の老人は二人の少し後ろで立ち止まり、明らかに動揺した様子で透明な容器を見つめている。

「こんなことは……今まで一度もありませんでした。心拍が確認されたことさえ今回が初めてです。それが、これほど早く覚醒するなど……」

「覚醒までの時間を計算したのは、ここの設備じゃない。太平洋にある古代構造物だ。向こうの予測と、ここの実際の状態に差があっても不思議ではない」

 ドルクはそう言いながらも、胸の奥に生じた不安を隠せなかった。


 管理個体。

 源基。

 三つの古代継承系統。

 世界中で起きている能力因子の広域共鳴。


 今まで別々に聞いていた言葉が、この部屋へ入ったことで急速に一つへ集まり始めている。そして何より不可解なのは、第一でも第二でも第三でもないはずの自分が、この場所へ近づいたことで石板が反応したという事実だった。


「ドルク様」

 カルラの声で意識を戻す。

「どうした」

「また顔色が悪くなっています」

「さっきの反動が残っているだけだ」

「本当にそれだけですか?」


 ドルクは返事をしようとして、言葉を止めた。


 違う。

 身体の疲労とは別に、能力の奥がざわついている。


 diabolus Invocare(悪魔召喚)。


 ほんの数時間前、自分の意思に反してDaemoniumが現界したばかりだ。強制的に解除してからは沈黙していたはずなのに、この地下へ入って以降、再び能力の存在感が強くなっている。

「……カルラ。少し離れていろ」

「嫌です」

「即答するな」

「理由を聞いてから考えます」

「考える気ないだろ、お前」

「はい」

 いつも通りの返事に、ドルクは僅かに眉を寄せた。それでも今はその頑固さがありがたくもある。

「能力が反応している。まだ発動はしていないが、ここへ入ってから明らかに強くなった」

 カルラの表情が変わる。

「Daemoniumが再び?」

「可能性はある」

「なら、なおさら離れません」

「私の能力が勝手に出たら、お前でも危険だぞ」

「先ほど一度経験しています」

「経験したから安全になるわけじゃない」

「ドルク様も同じです」

「私は能力者だからな」

「だからこそです。今ここで最も無防備なのは、あなたでしょう」


 ドルクは反論しようとしたが、結局何も言えなかった。

 世界規模の能力異常が起きている今、非能力者であるカルラは共鳴の直接的な影響を受けない。皮肉にも、この地下で最も安定しているのは彼女なのかもしれない。


「……好きにしろ」

「最初からそのつもりです」

「本当に腹が立つな」

「恐縮です」

 そんな二人の会話をよそに、透明な容器の内部では変化が続いていた。


 人影の瞼が完全に開く。

 しかし起き上がることはない。

 目だけが、ゆっくりと動いた。

 最初に天井。

 次に黒い石板。

 そして最後に、ドルク。

 視線が止まる。


「……私を見てるな」

「そのようですね」

 老人が緊張した声で答える。

「ドルク様。これ以上近づかれない方が――」

「ここまで来て遠くから眺めて帰るわけにもいかないであろう」

「ですが」

「私は子供の頃に一度ここへ来ている。その時も、何かに『戻った』と言われた。今考えれば、あれもこの場所からの反応だった可能性がある」

「その話は初めて伺います」

「私も今まで忘れてた」

「重要なことを忘れないでください」

「子供の頃の話だぞ」

 ドルクはカルラへ軽く言い返しながらも、慎重に一歩を進めた。

 容器までまだ十数メートルある。

 ところが、その一歩に反応するように黒い石板が淡く光った。

 老人が息を呑む。

「また……」

 壁面に刻まれた古い紋様へも光が広がり、それまで暗かった地下祭殿の全体像が少しずつ浮かび上がる。名取家の地下祭殿とは構造こそ異なるものの、石柱の配置や中央祭壇の形にはどこか共通性があった。

 そして黒い石板の表面に、文字が現れた。

「読めますか?」

 カルラが尋ねる。

「……いや」

 ドルクは目を細める。

「意味は分からない」

「名取惣一やフランのようには?」

「ああ」

 第一継承系統である惣一は名取家の地下祭殿の文字を理解し、第二継承系統であるフランはハルシオンの古代構造物を理解した。もしドルクが同じ種類の継承者なら、ここに現れた文字を理解できてもおかしくない。

 しかし、何も分からない。

「なら私は第四ではない、ということか」

「第四が存在するとも限りません」

「分かっている。例えだ」

 その時、透明な容器の内部で人影の指が動いた。

 僅かな動き。

 それだけだった。

 だが、それに合わせるように地下全体が低く振動した。

 ドルクが即座に身構える。

「カルラ」

「はい」

「何があっても、容器そのものは斬るなよ」

「承知しています」

「返事早いな」

「ドルク様が『斬るな』と明確に仰るのは珍しいので」

「お前、普段私を何だと思ってるんだ」

 しかしカルラは答えず、透明な容器だけを見つめていた。

 人影の唇が、僅かに動く。

 容器越しであるにもかかわらず、声が聞こえた。

「……ロゼリア」

 ドルクの身体が固まった。

「今……」

 カルラも表情を変える。


 聞き間違いではない。


 「ドルク・バルティスティン・ロゼリア」

 彼女の本名。


 それを、長い眠りについていたはずの存在が知っている。

「お前、私を知っているのか」

 返事はない。

 人影の目が再び閉じかける。

「待て」

 ドルクが一歩近づいた。

「私を知っているなら答えろ。お前は何者だ」

 その問いに応える代わりに、黒い石板の紋様が一斉に強く発光した。

 同時にドルクの身体の奥で、何かが弾ける。

「――っ!」

「ドルク様!」

 カルラが支える。

 黒い粒子がドルクの周囲に浮かび上がった。

「まずい……!」

 本人は能力を発動していない。

 それでも粒子は増え続け、足元に黒い炎が生まれ始める。

「Daemoniumが来ます!」

「分かっている!」

 ドルクは即座に能力を抑えようとした。

「出てくるな。今は呼んでいない!」

 しかし今回は、先ほどの森林とは何かが違った。

 黒い粒子は悪魔の姿を形成しない。

 代わりに石板へ向かって流れていく。

「……何だ?」

 ドルクの能力そのものが、黒い石板へ吸い寄せられている。

 闇。

 炎。

 そしてDaemoniumへ繋がる召喚反応。

 それらが一本の流れとなり、古代構造物へ取り込まれていく。

「能力を止めてください!」

「やっている!でもこいつが勝手に……!」

 ドルクが歯を食いしばる。


 ここで能力を強引に切断すれば、再び寿命を大きく失うかもしれない。しかし放置すれば、何をされるか分からない。

 カルラが石板との間へ入りかけた。


「待て!」

「ですが!」

「斬るなと言っただろ!」

「斬りません。遮ります」

「能力の流れを身体で遮る気か!?」

「可能かどうかは試してみないと分かりません」

「それは絶対に試すな!」

 ドルクはカルラの腕を掴んだ。

「これは私の能力だ。お前まで巻き込むな」

「なら止めてください」

「簡単に言うな!」

「いつもドルク様が私に言っていることです」

「今それ返してくるのか……!」

 言い争っている間にも、石板への流入は続いていた。

 だが、ドルクはそこで一つの異変に気付く。

「待て……」

「どうされました?」

「寿命が削られてない」

 カルラが目を見開く。

「分かるのですか?」

「感覚でな。Daemoniumを召喚している時とは違う。能力は動いているのに、反動がない」


 それはドルクにとって初めての経験だった。

 diabolus Invocareを発動すれば、必ず寿命を支払う。それは能力そのものに組み込まれた絶対的な代償であり、これまで例外は一度もなかった。


 しかし今は違う。

 能力反応は明らかに発生している。

 それなのに、寿命が失われる感覚がない。


「……どういうことだ」

 黒い石板に新しい光が走る。

 今度は文字ではなかった。

 図。

 一人の人間。

 その周囲に描かれた複数の輪。

 さらに、その外側に異形の影が描かれている。

「Daemonium……?」

 カルラが呟く。

 輪郭は完全には同じではない。

 しかしドルクには分かった。

 自分が召喚している悪魔の化身と、明らかに似ている。

「まさか」

 ドルクが石板を見る。

「Daemoniumは、私の能力がゼロから作っている存在じゃないのか?」

 透明な容器の中で、管理個体と思われる人物の目が再び開いた。

「……門」

 今度ははっきりと聞こえた。

「門?」

 ドルクが聞き返す。

「……召喚……ではない」

 声は弱い。

 長い年月、言葉を使っていなかった者が無理に発声しているような途切れ方だった。

「では何だ」

「接続……」

 ドルクの表情が変わる。

「私の能力は、何かと繋がっている?」

 相手は僅かに頷いたように見えた。

 カルラも理解する。

「diabolus Invocareは、悪魔を生み出すのではなく、別の場所に存在するDaemoniumへ接続している……?」

「だとしたら、寿命は召喚の代償じゃない」

 ドルクは自分の胸へ手を当てた。

「接続を維持するために、私の生命力を使っている?」

 透明な容器の人物が、ゆっくり唇を動かす。

「……不完全な……接続」

 その言葉が地下祭殿へ響いた。

 ドルクは返す言葉を失った。

 自分の能力について、今まで当然だと思っていた仕組みが根本から違っている可能性が出てきたからだ。


 Daemoniumを召喚する。

 寿命を代償にする。

 それが自分の能力。

 そう思っていた。


 しかし実際には、現代の能力因子が不完全な形で何かへの接続を成立させ、その不足分を寿命で補っているのだとしたら。

「広域共鳴で、接続の仕方が変わった……?」

 だから本人が呼んでいないDaemoniumが勝手に現れた。

 だから今、石板を経由した能力発動では反動が発生しない。

 ドルクはようやく、自分に起きた異常の一端を理解し始めた。

     ◇

 その頃、静穏海域に到達した戦艦ハルシオンでも、ほぼ同時に新しい変化が起きていた。

 最深部の黒い球体がこれまで以上に強く発光し、惣一、フラン、デウスの三人が呼び出される。ソウヤたちも同行し、タジはその場で解析を続けていた。


「ロスマン方面の源基関連反応、急上昇!」

 タジが画面を確認する。

「ドルク側で何か起きてる」

「管理個体が目覚めたのか?」

 ソウヤが尋ねる。

「可能性は高い。それと妙な反応がある」

「何だ」

「ドルクの能力波形と、源基関連反応が一時的に接続した」

 デウスが初めて明確に眉を寄せる。

「ドルクが源基へ接続したと?」

「分かるのか?」

「第三に残る記録の中に、類似する概念がある」

 フランがすぐ横から睨む。

「今初めて言うのか?」

「今までは関連性が分からなかった」

「次から関連性分からなくても言えって言ったよな?」

「……そうであったな、」

「覚えていたのならば言えよな」

 アメスが溜息を吐く。

「デウス、あなた学習してるようでしてないですね」

「努力はしている」

「努力で済むならフランが怒ってないます」

「お前、分かっているな」

「当たり前です」


 フランとアメスの妙な相性の良さを横目に、惣一は本題を促した。


「記録とは何だ」


 デウスは今度こそすぐに答えた。


「原型三系統とは別に、能力因子の特性を外部へ接続する個体が存在したという記録だ。継承系統ではない。能力そのものが『門』として機能するタイプだ」

「門……」

 タジが反応する。

「召喚系とか、転移系?」

「現代の能力分類へ当てはめれば、そうした性質の中に残っている可能性はある」

「じゃあドルクの悪魔召喚は、その古い性質を強く残してる?」

「可能性が出てきた」

 フランが腕を組む。

「つまりドルクは第四じゃない。でも古代因子に関係ないわけでもない」

「ああ」


 デウスは頷いた。


「三系統が能力因子そのものの主要継承系列だとすれば、ドルクのような個体は、それらとは別の役割を継承している可能性がある」

「役割?」

「接続者。あるいは門を開く者」

 その時、黒い球体に新しい文字が浮かび上がった。

 三人が同時に表示を見る。

「何て書いてあります?」

 ソウヤの問いに、惣一が答えた。

「『源基接続経路――一部復旧』」

 続いてフランが読む。

「『管理個体、覚醒過程を開始』」

 そしてデウスが最後の表示を読み上げる。

「『外部接続個体を確認』」

 タジがゆっくり顔を上げた。

「それって……ドルク?」

「可能性が高い」

 直後、これまで六十八時間以上残っていた管理個体覚醒までの予測時間が消えた。

「カウントダウンが……」

 ソウヤが画面を見る。

 代わりに表示された文字は短かった。

 覚醒過程――進行中。

「予定より早まった?」

「違うかもしれない」

 惣一が静かに言う。

「最初から時間経過だけで目覚めるものではなかった可能性がある」

「条件が揃ったから?」

「ああ」

 三系統が集結した。

 源基関連反応がロスマン王宮地下で確認された。

 そしてドルクという「外部接続個体」が、管理個体の近くで古代構造物と共鳴した。

 それらが重なったことで、覚醒条件そのものが満たされ始めたのかもしれない。

「じゃあドルク側が危ない」

 ソウヤがすぐに言う。

「聖舩さんに連絡!」

「もうやってる!」

 タジが通信回線を繋ぐ。

     ◇

 ロスマン旧王宮地下では、黒い石板へ吸い込まれていたドルクの能力反応が徐々に弱まり始めていた。

 ドルク自身はまだ立っている。

 寿命の消耗も感じない。

 しかし透明な容器の中にいる人物は、先ほどより明確に意識を取り戻している。目は完全に開き、わずかながら頭も動かしていた。


「お前が管理個体なのか」

 ドルクが問いかける。

 すぐには返事がない。

「源基というものを管理している。それで合っているか」

 今度は、僅かに頷いた。

 カルラは警戒を緩めないまま尋ねる。

「あなたはドルク様を知っているのですか」

 視線がカルラへ向く。

「……知らない」

「でも先ほど、本名を呼んだ」

「記録……照合」

 ドルクが眉を寄せる。

「私個人を知っているわけではないのか?」

「……ロゼリア……系譜」

 老人の表情が変わった。

「王家を……?」

「老人」

「はい」

「ロスマン王家は、こいつはどこまで知っていた」

「私は……地下を管理する役目を一部引き継いでいただけです。歴代王族でも、詳細を伝えられる者は限られていました」

「私の父は?」

 老人は答えに詰まった。

 それだけでドルクには分かった。

「知っていたんだな」

「……一部は」

「だから私はここへ連れてこられたと?」

「ドルク様が幼少期に地下へ入られたのは、王家の慣例でした」

「何の慣例だ」

 老人はしばらく迷った後、静かに答えた。

「王位継承候補の適合確認です」

 ドルクの表情が固まった。

「……何?」

「ロゼリア王家では、代々の王位継承候補をこの地下へ連れてくる慣例がありました。石板が反応する者と、しない者がいたと聞いております」

「私には反応したのか?」

「はい」

 カルラが鋭い視線を老人へ向ける。

「それとドルク様が追放されたことに関係があるのですか」

 老人は答えない。

「答えてください」

 いつも穏やかなカルラの声に、今は明確な圧があった。

「……あります」

 ドルクは笑わなかった。

「続けろ」

「あなたが能力へ目覚めた時、王宮は大きく二つに割れました。強大な能力を持つ皇女を次期統治者として擁立すべきだという者と、その能力を危険視する者です。しかし本当の問題は、能力であるdiabolus Invocareそのものではありませんでした」

「なら何だ」

「地下の石板が、あなたへ再び反応したのです」

 ドルクは透明な容器へ視線を向ける。

「……私が能力者になったからか?」

「当時の王宮上層部はそう考えました。そして古い記録には、『門が再び王家に現れた時、管理者の眠りが終わる』という記述があった」

 カルラが息を呑む。

 ドルクはしばらく何も言えなかった。

「私を追放したのは……能力を恐れたからだけではないのか?」

「能力を恐れた者は多くいました。それは事実です。しかし一部の者は、あなたが国内に留まることで地下の存在が目覚めることを恐れました」

「だから国外へ?」

「はい」


 ドルクの拳がゆっくりと握られる。

 追放された日。

 能力者だから危険だと言われた。

 国民を脅かす可能性があると言われた。

 そのすべてが嘘だったわけではないのだろう。


 だが。

 真実の全てでもなかった。


「……馬鹿なのではないか」

「ドルク様」

「私に何も話さず追放して、これが目覚めないように祈っていた? その結果、何十年経って世界中で能力がおかしくなって、結局私を呼び戻す羽目になったと?」

 老人は何も返せなかった。

 ドルクは怒鳴らなかった。

 むしろ静かな声の方が、カルラには彼女の怒りがよく伝わった。

「私は能力者として恐れられたことより、選択する権利を奪われたことの方が気に入らない」

 ドルクは透明な容器の前へ進む。

「お前も同じか?」

 管理個体へ問いかける。

「私が戻ったから目を覚ますのか」

 相手はゆっくりと首を横へ振った。

「ではなぜ?」

「……門だけでは……ない」

 その声は、先ほどより僅かに明瞭だった。

「三つ……戻った」

 ドルクの表情が変わる。

「第一、第二、第三?」

 僅かな頷き。

「それに私が加わった?」

「……接続経路……復旧」


 つまり、ドルク一人が管理個体を目覚めさせたわけではない。


 惣一。

 フラン。

 デウス。


 三つの主要継承系統が一か所へ集まり、さらに「門」としての性質を持つドルクが源基へ接続した。

 長く断たれていた古代の仕組みが、現代で少しずつ繋ぎ直されてい

る。


「それが揃うと何が起きる」

 ドルクが尋ねた。

 今度の沈黙は長かった。

 管理個体の瞳が僅かに揺れる。

「……選択」

「何の?」

「能力因子……現代系統……維持」

 呼吸するような間を挟み、続ける。

「あるいは……」

 ドルクは待った。

「原型……再接続」

 カルラの表情が険しくなる。

「違いは?」

「現代能力者を……現在のまま維持するか……原型系へ……戻す」

 ドルクはすぐに理解した。

「世界中の能力者を、昔の状態へ戻せるということか」

「……可能性」

「それをやったらどうなる」

「個体差……大。生存保証……不能」

 ドルクの目が鋭くなった。

「却下だ」

 即答だった。

 管理個体が僅かに瞬きをする。

「何が『原型』だ。本人の意思も分からないまま世界中の能力者を作り変えるなど、私は認めない」

 カルラがほんの少しだけ表情を緩めた。

「私も同意します」

「お前は能力者じゃないだろ」

「だからこそ、他人の身体を勝手に変える権利など誰にもないと思います」

 ドルクは小さく笑った。

「そういうことだ」

 管理個体は反論しなかった。

 その代わり、ゆっくりと右手を動かした。

 透明な容器の内側から。

 手のひらを。

 ドルクへ向ける。

「何だ」

「……選択には……」

 少しずつ声が整っていく。

「原型三系統……接続個体……そして管理者の合意が必要」

「管理者ってお前だろ」

「……違う」

 ドルクが目を見開いた。

「何?」

「私は……管理個体」

「管理者ではない?」

 相手は頷く。

 カルラが尋ねる。

「では管理者は誰なのですか」

 透明な容器の中の存在は、ゆっくりとドルクを見た。

「……ロゼリア」

 地下祭殿が静まり返った。

「待て」

 ドルクの声が低くなる。

「それは家名を言っているのか。それとも私を指している?」

 今度は明確だった。

 管理個体の指先が。

 ドルクへ向けられる。

「……現管理者候補」

「私が?」

 追放された皇女。

 ロスマンの魔女。

 ロスマン協定を率いる能力者。

 そのどれとも異なる、新たな役割。


 そしてその瞬間、黒い石板の表面へ、ドルクにも理解できる形で一つの意味が直接流れ込んできた。


 《管理者候補――帰還確認》


 ドルクはしばらく石板を見つめた後、心底嫌そうに顔を歪めた。


「……私は今日、何回『帰ってきた』扱いされればいいのだ」

「少なくとも故郷には一度ですね」

「そういう意味じゃない」

 カルラの返答に、ドルクは大きく息を吐いた。

 しかし今度ばかりは冗談だけでは済まない。

 原型三系統。

 源基。

 管理個体。

 外部接続個体。

 そして管理者。

 古代に成立した能力因子の仕組みは、彼らが想像していた以上に複雑な構造を持っていた。

 しかも、その一部へロスマン王家が深く関わっていた可能性がある。

     ◇

 ほぼ同時に、ハルシオンの黒い球体にも新たな表示が現れた。

 惣一、フラン、デウスの三人がその内容を読み取る。

「『源基管理経路――再接続』」

 惣一が最初の一文を読み、続いてフランが次を見る。

「『管理個体、意識復旧』」

 デウスは最後の表示をしばらく見つめていた。

「何だ?」

 ソウヤが尋ねる。

「管理者候補が認証された」

「誰?」

 タジの端末へ、ロスマン側から緊急通信が入った。

『こちら国連安全保障機構。ロスマン王宮地下より新情報。』

 聖舩の声。

『ドルク・B・ロスマンが、源基の「管理者候補」として認識された可能性がある』

 フランが思わず顔をしかめる。

「また役職が増えたぞ」

「本人が一番嫌がっていると思います」

 アメスが冷静に返す。

 惣一は黒い球体へ視線を戻した。

「管理個体と管理者は別だったということか」

『そのようだ』

 聖舩が答える。

『そして管理個体から、重要な情報が出た。世界で進行中の広域共鳴を収束させるには、二つの選択肢が存在するらしい』

「二つ?」

『一つは現在の能力因子構造を維持したまま、広域共鳴だけを停止する方法』

 タジがすぐに反応した。

「それが一番安全そう」

『もう一つは、現代能力者の能力因子を原型系列へ再接続する方法』

 室内から声が消えた。

 ソウヤが眉を寄せる。

「それって、どうなる?」

『個体ごとに結果が異なり、生存すら保証できないそうだ』

「だったら選ぶわけないだろ」

 ソウヤは即答した。

「能力者全員を勝手に変えるなんてあり得ない」

「同感だ」

 惣一も迷わなかった。

 フランも頷く。

「俺は今の能力だけで十分面倒だ。原型とかいうのに戻されても困る」

 デウスだけはすぐには答えなかった。

「デウス?」

 アメスが見る。

「いや。私も現時点では維持を選ぶ。ただし原型再接続という選択肢がなぜ用意されているのかは確認すべきだ」

「それは後でいい」

 イレイダが言う。

「今は世界中で能力者が苦しんでる」

 その言葉に異論はなかった。

『問題は、広域共鳴を止めるためにも条件が必要という点だ』

 聖舩が続ける。

「条件?」

『原型三系統の同意。管理者の同意。そして――』

 一瞬の間。

『源基本体への接続』

 タジが海底の反応を見る。

「源基本体って……まさか」


 黒い球体が反応した。


 表示される座標。

 それはハルシオンが今いる場所ではない。

 もっと深い。

 静穏海域の海底。

 前回、正体不明の存在が目覚め始めた場所と重なっている。


「また潜るのかよ……」

 ソウヤが嫌そうな顔をする。

 惣一は海の向こうへ目を向けた。

「今回は前回とは目的が違う」

「何がですか?」

「調査ではない」


 第一継承系統。

 第二継承系統。

 第三継承系統。


 そして遠くロスマン王宮で管理者候補として認識されたドルク。

 彼らの同意を一つにまとめ、源基本体へ接続し、世界規模の広域共鳴を止める。

 ようやく目的が見えた。

 しかし同時に、一つの問題も明確になった。

「ドルクはロスマンにいる」

 フランが言う。

「私たちは太平洋だ」

「距離が離れすぎてる」

 タジも頷く。

「管理者本人が源基のところにいないと駄目なら、連れてくる必要があります」

「その必要はないかもしれない」

 デウスが黒い球体を見る。

「ドルクは『門』でもある」

 惣一が理解する。

「遠隔接続か」

「ああ。もし管理者候補として源基への経路を開けるなら、物理的に同じ場所へいる必要はない可能性がある」

 タジはすぐに検証を始めた。

 まだ確証はない。

 それでも初めて、世界規模の異常を終わらせるための具体的な道筋が見え始めている。

 そしてロスマン王宮地下では、ドルクもまた聖舩から同じ説明を受けていた。

「つまり私は、ここから太平洋の海底へ繋げろと?」

『可能ならばな』

「簡単に言うな」

『簡単だとは言っていない』

「やはり気が合わないな、お前」

『奇遇だな』

「その返しは腹が立つ」


 ドルクは通信越しに聖舩へ文句を言いながらも、透明な容器の中で目覚めつつある管理個体へ視線を戻した。


 彼女はまだ、自分がこの役割を引き受けると決めたわけではない。

 祖国に秘密を隠され、能力者として追放され、今さら古代の管理者候補だと言われても素直に受け入れられるはずがなかった。


 それでも、世界のどこかで自分と同じように能力へ苦しむ人間がいることだけは知っている。


 だからドルクは逃げなかった。


「……話だけは聞いてやる」

 その言葉にカルラが僅かに笑う。

「十分です」

「まだ引き受けるとは言ってないぞ」

「ええ」

「絶対、私が断らないと思っているだろう」

「長い付き合いですので」

「本当に面倒な側近だな」


 世界を覆う広域共鳴は、今なお進行している。


 しかし同時に、それを止めるために必要な者たちも揃い始めていた。


 太平洋の海底と、ロスマン王宮の地下。遥かに離れた二つの場所を結ぶ古代の経路が、長い年月を経て再び開こうとしていた。


――第189話 完

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