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Psycer Brain ─ 神に抗え。その力で運命を変えろ─  作者: n217 (嘯江 新)


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第188話「追放された皇女の帰還」

 ロスマン共和国へ続く国境線が見え始めた頃、ドルク・B・ロスマンは窓の外を眺めたまま、ほとんど口を開かなかった。


 ロスマン協定が用意した車両は、国連安全保障機構によって確保された特別通行経路を進んでいる。通常なら、祖国から追放されたドルクが正規の国境検問を越えることなど簡単ではない。しかし今回だけは事情が違った。世界各地で能力異常が急増し、ロスマン王宮地下にその原因へ繋がる可能性のある存在が眠っている。国連から正式な調査要請が送られたことで、共和国政府も完全に拒否することはできなかった。


「随分静かですね」

 隣に座るカルラ・エルデリータ・マルティスティンが声を掛けた。

「何か喋ってほしいのか」

「いいえ。ただ、いつもならもう少し文句を仰るので」

「さっきまで散々言っただろう。帰りたくない、面倒だ、今から引き返したい、と」

「最後の一つは初めて聞きました」

「今追加した」

「却下します」

 ドルクはカルラへ一度だけ視線を向け、それから再び窓の外へ戻した。

「……変わっていないな」

「景色ですか?」

「ああ」


 遠くに見える山脈も、国境沿いに広がる平原も、幼い頃に何度も目にしたものとほとんど変わらない。それが、かえって気に入らなかった。


 自分だけが変わったように思える。


 かつて皇女としてこの国に生まれ、能力へ目覚めたことで人々から恐れられ、「ロスマンの魔女」と呼ばれるようになり、最後には追放された。その後どれだけ年月が流れても、故郷は何事もなかったかのように存在し続けている。


「ドルク様」

「分かっている」

「まだ何も言っていません」

「顔を見れば分かる。余計なことを考えるな、と言いたいんだろう」

「少し違います」

 カルラはいつもの落ち着いた表情で答えた。

「必要ならば、いつでも帰りましょうと申し上げようと思いました」

 ドルクが僅かに眉を上げる。

「世界の危機かもしれないのにか?」

「世界より、あなたの方が私には重要なのです」

「お前は時々、とんでもないことを普通の顔で言うな」

「事実ですので」

「……だから困る」

 ドルクは小さく息を吐いた。

 それでも車両を止めろとは言わなかった。

     ◇

 同じ頃、太平洋の静穏海域付近では、戦艦ハルシオンとイーゼルが並行して航行していた。

 海面は再び異様なまでに静まり返っている。二隻の巨大艦が進んでいるにもかかわらず、その航跡は一定距離を越えると消え、鏡面のような海へ飲み込まれていた。

 ハルシオンの作戦室では、ロスマン共和国へ向かうドルクたちの位置と、海底から検出されている能力因子反応が同時に表示されている。

「管理個体覚醒まで、残り六十九時間二十一分」

 タジが画面を確認しながら告げた。

「律儀にカウントダウンしてくるの怖いな」

 ソウヤが嫌そうに呟く。

「俺に言うな。黒い球体が勝手に時間出してるんだ」

「その時間って正確なのか?」

「古代構造物に時計合わせの方法聞いてくれ」

「会話できるのフランだけじゃん」

 少し離れた場所でフランが振り返った。

「私だって好きで読めるようになったのではない」

「でも第二継承系統なんだろ?」

「急に肩書きみたいに使うな」

 その隣では、惣一とデウスが海底の反応を確認していた。

 三つの継承系統が揃ったことで、黒い球体から読み出せる情報量は明らかに増えている。しかし、肝心の「源基」が何なのか、そして管理個体が覚醒すると具体的に何が起こるのかについては依然として不明な部分が多い。

「ロスマン王宮地下にあるものが本当に管理個体なら、目覚める前に接触する必要がある」

 惣一が言う。

「目覚めたらまずいんですか?」

 ソウヤが尋ねる。

「分からない」

「その答え多くありません?」

「分からないものは分からない」

「名取さんまでデウスみたいになってきた」

「それは心外だ」

 デウスが横から口を挟む。

「私も少し心外だ」

「二人とも似てるって」

「似ていない」

「そこだけ息合うなよ」

 アメスが小さく笑う。

「でもソウヤの言うことも分かります。二人とも説明が足りないもの」

「私は必要なことは話している」

「それを決めるのは聞く側ですよ」

 デウスが珍しく黙った。

「アメス強いな……」

 ソウヤが感心していると、タジの端末へ新たな警告が表示された。

「また能力異常」

「どこ?」

「複数。北米で三件、南欧で二件、東南アジアで一件。それから――ロスマン共和国国内でも反応上昇」

 フランが表情を変える。

「ドルク?」

「違う。ドルクの位置とは離れてる。共和国国内の能力者だ」

「ロスマンって能力者を恐れてる国なんだよな?」

 ソウヤの問いにデウスが答えた。

「少なくともドルクが追放された当時は、能力者に対する社会的警戒が強かった」

「今回の異常が広がったら、まずくない?」

「まずいだろうな」

 惣一の声が少し低くなる。

「能力者本人が悪意なく暴走したとしても、人々にはその違いが分からない。恐怖が先に立てば、排斥が始まる」

 その言葉を聞き、ソウヤは東京での聖舩とのやり取りを思い出した。

 能力者を救うのか。

 それとも止めるのか。

 世界規模で異常が広がれば、その判断を迫られるのは日本だけではない。

「聖舩さん、ロスマン政府と話してるんだよな?」

「ああ」

 タジが国連側から共有された情報を開く。

「でも交渉、あんまり上手くいってないみたい」

     ◇

 国連安全保障機構日本支部。

 柊聖舩は通信画面の向こうに映るロスマン共和国政府高官を、無言で見つめていた。

『我が国の地下施設へ、国外追放者を立ち入らせることは認められない』

「国外追放者ではあるが、同時にロスマン王家の地下施設を実際に見た数少ない人物だ」

『それでもだ』

「現在、世界各地で能力異常が起きている。貴国でも既に複数の発生を確認しているはずだ」

『それと旧王宮地下に何の関係がある』

「関係がある可能性が高いから調査を求めている」

『可能性だけで国家主権を侵害されては困る』

「こちらも侵害するつもりはない。正式な調査要請だ」

 相手の表情は硬い。

 聖舩は机の上に置かれた資料へ一度視線を落とした。ドルクから送られた証言、ハルシオン内部の古代構造物、名取家地下祭殿、そして源基関連反応。

 それらをすべて公開することはできない。

 しかし時間もない。

「では一つだけ確認する」

『何だ』

「旧王宮地下に、長期保存された生体が存在するな?」

 通信の向こうで、僅かな沈黙が生まれた。

 それだけで十分だった。

「やはり知っているのか」

『……回答する義務はない』

「ならこちらで判断する」

『何をするつもりだ』

「国連安全保障機構として、世界規模の能力災害に関連する重要施設として緊急調査指定を申請する」

『脅迫か?』

「手続きだ」

 聖舩は冷静だった。

「こちらも時間がない。管理個体と呼ばれる存在の覚醒まで三日を切っている。もしそれが世界中の能力者へ影響するなら、貴国だけの問題ではない」

『管理個体……?』

 相手が明らかに反応した。

 聖舩の目が鋭くなる。

「その言葉を知っているな?」

『……』

「なら話は早い」

『これ以上は回答できない』

「そうか」

 聖舩は通信を切ろうとした。

『待て』

 相手が止める。

『ドルク・バルティスティン・ロゼリアは……現在どこにいる』

「貴国国境へ向かっている」

 画面の向こうの男は、長く目を閉じた。

『あの方が戻るのか』

 その呼び方に、今度は聖舩が反応した。

「追放者ではなかったのか?」

『政治上はそうだ』

「政治上?」

『……これ以上は言えない』

「さっきからそればかりだな」

 聖舩は小さく息を吐いた。

「だが一つ分かった。ドルクの追放には、単なる能力者への恐怖以外の事情がある」

 相手は否定しなかった。

     ◇

 ロスマン共和国の国境検問所。

 ドルクたちの車両が停止すると、すぐに武装した警備兵たちが周囲を取り囲んだ。

 カルラは剣へ手を伸ばしていない。

 それでも視線だけで全員の配置を確認していた。

「十五名」

「数えるな」

 ドルクが小声で言う。

「癖です」

「怖がらせるなよ」

「ドルク様の方が怖がられているかと」

「否定できないのが腹立つな」

 検問所の奥から、一人の男が歩いてくる。

 制服から見て、国境警備隊の指揮官だろう。

 男は車両の前で立ち止まり、ドルクを見た。

「ドルク・B・ロスマン」

「その呼び方で構わない」

「本名確認が必要です」

 ドルクの表情が僅かに変わる。

「……ドルク・バルティスティン・ロゼリア」

 周囲の兵士たちが僅かにざわめく。

 ロゼリア。

 旧王家の名。

「国連安全保障機構から臨時入国許可が出ています。ただし共和国政府からは、王都まで武装警護付きで移送するよう指示を受けています」

「監視付きと言え」

「意味は同じです」

「正直で結構」

 男の視線がカルラの剣へ向かう。

「武器は預けてもらう」

「断ります」

「カルラ」

「これは譲れません」

「入国できなくなるぞ」

「なら帰りましょう」

「お前、本当に私より帰る気満々じゃないか?」

「あなたを守れない状態で入国する意味はありません」

 国境警備隊長がカルラを見る。

「規則だ」

「ドルク様の護衛を共和国側で保証できますか?」

「我々が護衛する」

「能力者による襲撃があった場合は?」

「……」

「世界規模で能力異常が起きています。あなた方が無能力者であることは責めません。しかし私も無能力者です。その条件で、この方を能力者から守る訓練を積んでいます」

 カルラの声は穏やかだった。

 だからこそ、逆に圧力があった。

「剣を預けることはできません」

 しばらくの沈黙の後、隊長は通信機で上層部へ確認を取った。

 数分後。

「……携行を許可する。ただし抜剣は緊急時のみだ」

「承知しました」

「意外と話通じるな」

 ドルクが呟く。

 隊長は彼女を見る。

「共和国全体が、あなたを敵視しているわけではありません」

 ドルクの表情が止まった。

「何?」

「……失言でした」

 隊長はそれ以上何も言わず、移動を指示した。

 車両が再び動き出す。

 ドルクは窓の外を見たまま、先ほどの言葉を反芻していた。

 共和国全体が敵視しているわけではない。

 なら、誰が自分を追放したのか。

 正確には――何を恐れて追放したのか。

     ◇

 王都へ近づくにつれ、街の様子が変わっていった。

 一般市民は普段通り生活しているように見えるが、広場や主要道路には武装警備が増えている。さらに能力異常への注意を呼びかける緊急放送が流れ、能力者と思われる者への接触を避けるよう政府から勧告まで出されていた。

「……やはりな」

 ドルクの声が低くなる。

「ドルク様」

「能力者を恐れ始めている」

「異常が起きている以上、警戒そのものは仕方ありません」

「分かっている。だが、これはすぐ別のものへ変わる」

 カルラは何も言わなかった。

 ドルク自身が経験しているからだ。

 危険への警戒と、人間そのものへの恐怖。

 その境界は驚くほど簡単に崩れる。

 その時、車列前方が急停止した。

「何だ?」

 警護車両から警報が鳴る。

 通信が入った。

『前方で能力異常発生!一般車両を停止させてください!』

 カルラがすぐに窓の外を見る。

 数百メートル先。

 交差点の中央に一人の少年が立っていた。

 年齢は十代半ばほど。両手を見ながら、明らかに混乱している。

 その周囲。

 地面から無数の石が浮き上がっていた。

「能力者……」

 ドルクが呟く。

 少年は能力を止めようとしているのだろう。しかし焦れば焦るほど、石の数は増えていく。周囲の人々が悲鳴を上げて逃げ始めたことで、少年の表情はさらに恐怖へ染まっていった。

『対象能力者、制御不能!』

 警備兵たちが車両から降りる。

 銃口が少年へ向けられた。

 ドルクの目が鋭くなる。

「やめろ」

 車の扉を開ける。

「ドルク様!」

「ここにいろ」

「聞くと思いますか?」

 カルラも同時に降りた。

 ドルクは何も言わず、前方へ歩き始める。

 警備隊長が止めようとした。

「危険です!」

「分かっている」

「対象は能力を制御できていません!」

「見れば分かる」

「なら近づかないでください!」

 ドルクは足を止め、隊長を振り返った。

「お前たちはあの子をどうする」

「まず武装解除を命じます」

「あの状態で聞けると思うか」

「聞かなければ制圧します」

「能力者を銃で?」

「必要なら」

 その言葉を聞いた瞬間、ドルクの表情から完全に笑みが消えた。

「私も同じように追放された」

 隊長が黙る。

「能力を怖がられた。制御できないかもしれないという理由だけで、私という人間まで危険物として扱われた」

「今はその話をしている場合では――」

「同じ話だ」

 ドルクは少年へ向き直った。

「私はあれを繰り返す気はない」

 カルラが隣へ並ぶ。

「私が先行します」

「能力者相手だぞ」

「存じています」

「能力異常中だ」

「それも存じています」

「……止めても行くな」

「はい」

「本当に面倒な側近だ」

「ドルク様ほどではありません」

 二人はゆっくりと少年へ近づいた。

     ◇

「来るな!」

 少年が叫んだ瞬間、浮いていた石が一斉にドルクたちへ向きを変えた。

「カルラ!」

「はい!」

 無数の石が飛来する。

 カルラは剣を抜いた。

 閃光のような連続斬撃が走り、飛来した石だけを次々と弾き落としていく。一つも少年へ打ち返さない。石を砕けば破片が周囲へ飛ぶため、軌道だけを変え、地面へ落とす。

「すげぇな……」

 後方の兵士が思わず呟く。

 ドルクはカルラの後ろから歩みを止めなかった。

「大丈夫だ」

「来るな!」

「行かない」

 少年が混乱する。

 ドルクはその場で足を止めた。

「ここから動かない。だから少し聞け」

「俺が……俺がやってるんじゃない! 勝手に!」

「知っている」

 少年が顔を上げる。

「私も数時間前、同じ目に遭った」

「……え?」

「私の能力は悪魔を呼ぶ。本人の意思に反して勝手に現れたら、お前の石なんかよりよほど迷惑だ」

 カルラが横から口を挟む。

「森林一帯が燃えかけました」

「今それ言う必要ある?」

「事実です」

 少年は僅かに目を瞬いた。

 恐怖の中に、ほんの少しだけ別の感情が混ざる。

 その瞬間、浮いていた石の数が減った。

 ドルクは気付く。

「そうだ。そのままでいい」

「どうすれば止まる?」

「止めようとするな」

「何言って――」

「私も同じだった。無理に抑え込もうとしたら余計に反発した。まず自分の力だと認めろ」

 少年は震える手を見る。

「怖い……」

「怖くていい」

 ドルクの声は静かだった。

「私だって自分の能力は怖い。使えば寿命が減る。長時間使えば死ぬ。それでも私の力だ。だから最後に命令するのは私だ」

 少年の呼吸が少しずつ落ち着いていく。

「お前の能力がお前を守ろうとしているのか、感情を勝手に拾っているのかは知らない。だが、今ここに敵はいない。まずそれだけ理解しろ」

 少年が周囲を見る。

 銃を構えていた兵士たち。

 逃げた市民。

 そして目の前に立つドルクとカルラ。

 ドルクは警備隊長へ視線を向けた。

「銃を下ろせ」

「しかし――」

「今だ」

 隊長は数秒迷った後、右手を下げた。

「全員、銃口を下げろ」

 兵士たちが従う。

 少年の周囲に浮いていた石が、一つ、また一つと地面へ落ちていった。

 最後の一つが落ちた時、交差点に静けさが戻った。

「……止まった?」

「ああ」

 ドルクが答える。

「自分で止めた」

 少年は力が抜けたようにその場へ座り込んだ。

 医療班が近づく。

 今度は誰も武器を向けなかった。

 ドルクはその光景を見ながら、ゆっくり息を吐いた。

「ドルク様」

「何だ」

「お顔が青いです」

「能力使ってないぞ」

「まだ先ほどの反動が残っています」

「……身体は正直だな」

「ですから車へ戻りましょう」

「分かった」

「珍しく素直ですね」

「また倒れたら、お前がうるさいからな」

「学習されたようで何よりです」

 ドルクが車へ戻ろうとした時だった。

 道路の向こうにいた人々の中から、一つの声が上がった。

「……皇女殿下」

 ドルクの足が止まる。

 振り返る。

 高齢の男性が、人垣の中からこちらを見ていた。

「殿下……ですよね」

 ドルクは何も答えなかった。

 その呼び名を聞いたのは、何年ぶりだろう。

 男の声に反応して、周囲の人々も彼女を見る。

 ロスマンの魔女。

 追放された能力者。

 そして。

 かつての皇女。

「ドルク様」

 カルラが静かに隣へ立った。

「行くぞ」

 ドルクはそれだけ言って車両へ戻った。

 だが、窓が閉まる直前。

 外から。

「おかえりなさい」

 誰かの声が聞こえた。

 ドルクは振り返らなかった。

 ただ、その手だけが僅かに強く握られていた。

     ◇

 夕刻。

 ロスマン王都の中心に、旧王宮が姿を現した。

 巨大な城壁と幾つもの尖塔を持つその建物は、共和国成立後も歴史的施設として残されている。しかし現在、その周囲は軍によって完全に封鎖されていた。

 車列が正門を通過すると、ドルクは窓越しに王宮を見上げた。

「……帰ってきたな」

 カルラは何も言わなかった。

 彼女がいるから、ドルクはここまで来られた。

 それだけで十分だった。

 やがて車両が停止する。

 二人が降りると、王宮入口に複数の政府関係者が並んでいた。

 そしてその中央。

 一人の年老いた男性を見た瞬間、ドルクの表情が変わった。

「……お前」

 男性はゆっくりと頭を下げる。

「お久しゅうございます」

 ドルクは動かなかった。

「ドルク・バルティスティン・ロゼリア殿下」

 カルラが僅かにドルクを見る。

 その老人は、かつて王宮に仕えていた人物だった。

 ドルクが幼い頃。

 そして。

 彼女が能力者として追放された日にも。

 王宮にいた男。

「まだ生きていたのか」

「残念ながら」

「その冗談、昔から面白くないぞ」

「殿下もお変わりありませんな」

「その呼び方をやめろ。私はもう皇女じゃない」

 老人は少しだけ目を伏せた。

「では、ドルク様」

「それでいい」

 老人は背後の王宮を見る。

「地下へご案内します」

「随分素直だな」

「時間がありません」

 ドルクの表情が鋭くなる。

「何があった」

 老人はすぐには答えなかった。

「三日前から、地下祭殿の温度が上昇しています。昨日からは封印設備の一部が機能を停止。そして先ほど――」

「先ほど?」

「眠っている方の心拍を確認しました」

 ドルクとカルラの表情が変わった。

「今まで心拍はなかったのか?」

「少なくとも、現代の機器では確認できませんでした」

「なのに生きていた?」

「だから我々も、長年あれを『眠っている』としか表現できなかったのです」

 老人は二人を地下へ続く廊下へ案内し始める。

「そしてもう一つ」

 歩きながら、低い声で続ける。

「ドルク様が国境を越えた直後から、地下の石板が発光を始めました」

「私に反応した?」

「そう見えます」

 ドルクが足を止めた。

「待て」

 カルラも止まる。

「太平洋の連中が探している管理個体は、地下に眠ってる奴だろ?」

「その可能性は高いかと」

「なら、なぜ石板が私へ反応する?」

 老人は答えなかった。

 いや。

 答えられない様子だった。

 ドルクの胸に嫌な予感が生まれる。

 第一継承系統は惣一。

 第二はフラン。

 第三はデウス。

 自分はそのどれにも含まれていないはずだ。

 それなのに。

 地下の古代構造物が自分へ反応している。

「カルラ」

「はい」

「どうやら、ただ昔の家へ帰ってきただけじゃ済まないらしい」

「最初からそう思っていました」

「言うな」

 ドルクは再び歩き始めた。

 王宮地下への階段は、記憶していたより深く感じられた。

 幼い頃、皇族だけが許された儀式として一度だけ降りた場所。あの日、自分は黒い石板と、透明な容器の中で眠る人物を見た。

 そして今になって、もう一つの記憶が蘇る。

 当時。

 地下に入った瞬間。

 自分の能力はまだ発現していなかった。

 それでも。

 石板に触れたわけでもないのに。

 背後で誰かの声を聞いた。

 ――戻った。

 幼いドルクは、それを大人たちの声だと思っていた。

 だが。

 誰もそんな言葉を口にしていなかった。

「……まさか」

「ドルク様?」

「いや」

 彼女は自分の胸へ手を置いた。

 diabolus Invocare。

 悪魔召喚。

 Daemonium。

 そして、寿命という異常な反動。

 もし自分の能力にも。

 古代の能力因子と繋がる何かがあるとしたら。

 ドルクはその考えを振り払い、前を見た。

 やがて地下最深部。

 巨大な扉の前へ到着する。

 扉の中央には。

 ハルシオンの黒い球体と。

 同じ紋様が。

 淡く光っていた。

 老人が扉へ手を伸ばす。

「ここから先です」

 ドルクの表情から、完全に軽さが消えた。

 カルラも静かに剣の柄へ手を添える。

 扉がゆっくりと開いた先には、幼い頃に見た光景がそのまま残されていた。

 黒い石板。

 巨大な祭壇。

 そして部屋の最奥に置かれた透明な容器。

 その中には、一人の人間が眠っている。

 しかし昔と違うことが一つだけあった。

 閉じていたはずの目が。

 今は。

 ゆっくりと開きかけていた。

 ドルクは息を呑んだ。

 管理個体覚醒まで、残り六十八時間。

 そう表示されているはずだった。

 だがロスマン王宮地下では、その予測を無視するように、長い眠りについていた存在が既に目覚め始めていた。


――第188話 完

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