第184話「第三継承系統」
戦艦ハルシオンの最深部で、黒い球体は静かな光を放ち続けていた。
その表面に浮かんだ文字を、フランは理解できている。文字そのものを読めるわけではない。それでも意味だけが直接頭の中へ流れ込んでくる。その感覚は、名取家の地下祭殿で惣一が経験したものとほとんど同じであった。
「第二継承系統、継承個体、生存を確認……か」
フランが改めて呟くと、ベルトは彼と黒い球体を交互に見た。
「つまり、艦長が第二継承系統ということですか?」
「そう言われてるみたいだな。でも私に聞かれても分からない」
「名取惣一が第一。艦長が第二……」
ヴァブも端末を見ながら眉を寄せる。
「能力の種類はまったく違います。名取惣一は神足通、艦長は構造物制御。単純な能力分類ではなさそうですね」
「血統などでは?」
ウルスラが口にすると、フランはすぐに首を振った。
「名取家と私に血縁なんてないはずだ。少なくとも私が知ってる限りではな」
『血統だけとは限らない』
通信越しにタジが割り込む。
『海底で名取さんを解析した時も、見てたのは能力名じゃなくて能力因子の構造だった。だったら第一とか第二ってのも、能力の種類じゃなくて“古代の能力因子がどう継承されたか”を分類してる可能性がある』
「だったら私の家系に何かあるということか?」
『それもあり得る。でも、今はまだ断定できない』
「最近やけに慎重だな」
『慎重じゃないと話がどんどん宇宙まで飛ぶんだよ!』
フランが苦笑する。
「もう宇宙すら破壊できる奴がいるがな」
『マラン基準にすんな!』
ベルトが少しだけ笑った。
だが、黒い球体の光は止まらない。第二継承系統という表示の下に、さらに新しい文字列が浮かび上がっていく。
「また出た」
「何と?」
フランはしばらく黙って意味を追った。
「……『帰還座標との同期を開始』」
その言葉に、全員の表情が変わる。
「帰還座標?」
ベルトが嫌そうな顔をする。
「まさか、静穏海域?」
『ハルシオンの進路、まだそっちへ向いてる!』
タジの声が飛んできた。
『しかも速度がまた上がった!』
「止めるッ!」
フランは即座に壁へ手を当て、structūra imperiumを通してハルシオンの操艦系統へ意識を伸ばした。
今度は前回のような暴走感はない。艦の状態も正常に見える。機関も、推進器も、舵も、フランの命令を受け付けている。
それなのに進路だけが戻らない。
「……何故だ」
「操艦系統は?」
「正常。私の命令も届いてる。でも、艦そのものが進みたがってように感じられる……」
フランはそこで言葉を止めた。
前回の暴走とは違う。
あの時は、自律化した能力がフランとハルシオンを一つにしようとしていた。しかし今は、ハルシオン自身が何かを知っているように見える。あるいは、艦内に残る古代構造物が帰還座標と呼ばれる場所へ向かおうとしている。
「艦長」
ベルトが慎重に声を掛ける。
「無理にでも止めますか?」
フランはすぐには答えなかった。
止めることはできるかもしれない。機関を落とし、推進系統を物理的に遮断すれば、少なくとも航行は止まる。ただしそれが黒い球体にどんな反応を引き起こすかは分からない。
「いや」
やがてフランは手を離した。
「今は完全停止はさせない」
「いいんですか?」
「暴走ではない。少なくとも現時点ではな。だったら、どこへ行こうとしてるのか確認した方がいい」
「静穏海域へ突っ込む気ですか?」
「その前に能研と合流する。イーゼルにも来てもらう」
ベルトの目が僅かに明るくなる。
「イーゼルも?」
「ああ。前回みたいに、何か起きた時の外部支援が必要だ。お前の艦だろ」
「はい」
「なら働いてもらう」
「了解!」
副艦長としてではなく、戦艦イーゼル艦長としての表情に切り替わったベルトは、すぐに通信端末を開いた。
◇
能研ハウスでは、タジからの報告を受けた全員が再び大型モニターの前に集まっていた。
「第一が名取さんで、第二がフラン……」
ソウヤは腕を組みながら表示された資料を見る。
「なら第三も、俺たちが知ってる誰かだったりするのか?」
「可能性はあるのではないでしょうか」
燕が答えた。
「ただ、地下祭殿では第三継承系統について詳細が表示されなかったのでしょう?」
「ああ」
惣一が頷く。
「第一は生存確認。第二は照合不能。そして第三については、系統の存在を示す表示のみだった」
「なぜ第二が照合不能だったのに、ハルシオンではフランを認識できたんだ?」
イレイダの問いにタジが答える。
「たぶん祭殿側の照合範囲にフランがいなかったから。逆に、ハルシオン内部の古代構造物はフランと直結してる。だから第二継承系統として認識できた」
「なら第三も、その系統に対応した何かへ近づけば判明するのか?」
「あり得る」
マランは画面を見ながら低く呟いた。
「面倒だな。世界のどこにあるかも分からないものを探すのか?」
「でも、その必要はないかもしれない」
タジが新しい画面を開く。
「ハルシオンの黒い球体が動き始めてから、世界中の能力反応をもう一回見直した。第一と第二の波形を特徴量として使って、近い反応を持つ能力者を探してる」
「できるのか?」
「完全一致は無理だ。でも候補は絞れる」
画面に大量のデータが流れる。
数十。
数百。
そして徐々に候補が減っていく。
「……二十七」
ソウヤが数える。
「まだ多いな」
「次に古い能力因子特徴を条件を追加と」
候補がさらに減る。
「十一」
「もう一個」
「反動パターン」
「それ関係ある?」
「分からん。でも名取さんとフランは、能力そのものと身体の結びつきが普通の能力者より強い。なら反動の出方にも特徴がある可能性がある」
検索結果が更新される。
十一から七。
七から四。
そして。
三人。
「……三人?」
ソウヤがモニターへ顔を近づける。
「名前は?」
「まだ出せない」
「なんで?」
「データ不足なんだ。能力反応だけ引っ掛かった対象も混ざってる」
タジは結果を拡大する。
一人目は海外。
二人目も国外。
そして三人目。
「……日本」
能研の面々が反応した。
「誰?」
「待って。今記録照合してる」
数秒後。
タジの表情が変わった。
「嘘だろ」
「またそれかよ」
ソウヤが身を乗り出す。
「誰なんだ?」
タジは答えようとしたが、そこで別の警告音が鳴り響いた。
ハルシオンからの通信だった。
『能研、聞こえるか』
「フランか?」
『聞こえてるなら先に言う。こっちで第三継承系統に関係するかもしれない表示が出た』
惣一が即座に反応する。
「内容は?」
『黒い球体が新しい文字を出した。私にしか読めないが――第三継承系統について、ひとつだけ情報がある』
「何だ」
通信の向こうでフランが少し間を置いた。
『第三継承系統は、“生体単独型”』
ソウヤが首を傾げる。
「生体単独?」
『私も意味は完全には分からない。ただ、第一と第二には補助構造があるらしい』
惣一が理解する。
「第一は地下祭殿と天墜の欠片」
『そう。第二はハルシオン内部の古代構造物。それに対して第三は、外部構造を必要としない』
「能力者本人だけで古代因子を維持している?」
『恐らく』
タジが検索結果を見る。
「それなら候補の絞り方を変えられる」
端末操作が一気に速くなる。
「外部装置や特殊構造物との長期的リンクなし。先天的能力者。能力因子の高安定性。さらに身体側が高出力へ耐えられる個体……」
候補が三人から二人へ減った。
もう一つ条件を追加する。
「古代特徴があるなら、能力使用歴そのものがかなり特殊なはず。幼少期から発現、もしくは発現時点で高出力……」
残った候補は。
一人。
タジの指が止まった。
ソウヤが横から覗き込もうとする。
「だから誰なんだよ」
「……待て」
「何を?」
「これ、俺たちが知っている人物だ」
その一言で部屋が静かになった。
惣一もタジを見る。
「名前を言え」
タジは画面を開いた。
しかし、表示された記録は断片的だった。古い登録情報の一部が欠落し、所属も時期によって変わっている。確定データとして扱うにはまだ弱い。
「今ここで断定すると危ない」
タジは珍しく慎重に言った。
「候補者本人の能力波形を直接採らないと確定できない。でも……かなり近い」
「誰だ」
イレイダも促す。
タジは全員を見回し、ゆっくりと答えた。
「デウスだ」
部屋の空気が変わった。
「……デウス?」
ソウヤが聞き返す。
遠方から戦いを傍観していた男。
アメスと共に現れ、これまで何度も直接的な介入を避けてきた存在。
惣一の目が鋭くなる。
「根拠は」
「古い観測データ。能力波形そのものは完全には取れてないけど、過去にデウスが能力を使ったと思われる時の周辺反応が残ってる。それが第三継承系統の候補条件に異常なくらい合うんです」
「Conclusion the world orderか……」
ソウヤがその能力名を呟く。
世界そのものに関わるような特異な能力。
もし第三継承系統が外部構造を必要とせず、能力者本人だけで古代の能力因子を高い純度で保持する系統だとすれば、デウスほど候補に適した存在は少ない。
ただし、それはまだ仮説に過ぎない。
「アメスは?」
マランが尋ねる。
「比較データが少なすぎる。でも今の条件だと外れてる」
「だったら、デウス本人に聞けばいいじゃん」
ネリクマがあっさり言った。
「居場所なんて分かるのか?」
ソウヤが聞き返す。
「知らない」
「だよな」
惣一は少し考えた。
「向こうから来る可能性もある」
「何故?」
「デウスとアメスは以前から我々の戦いを観測していた。今回の能力自律化が世界規模へ広がった以上、彼らが何も知らないとは考えにくい」
ソウヤは以前の戦場を思い出す。
遥か遠方の建物の上から、ただ戦いを見ていた二つの影。
デウスとアメス。
あの時はただの傍観者にしか見えなかった。
だが今なら、その行動にも別の意味が見えてくる。
「もしかして、あいつらもずっと能力者を見てたと?」
「観測端末みたいに?」
「そこまで同じとは限らない」
惣一は否定する。
「だが、能力の変化を見ていた可能性はある」
◇
その頃、戦艦イーゼルはハルシオンとの合流地点へ向けて航行していた。
艦橋中央にはベルトの姿がある。
今回はハルシオンの副艦長ではない。
イーゼル艦長、ベルソルト・ヴェルダンディとして指揮を執っていた。
「ハルシオンとの距離は?」
「百二十海里。双方の進路を維持した場合、約二時間で合流可能です」
「静穏海域までは?」
「ハルシオンの現在速度なら、こちらと合流してから数時間以内に到達する可能性があります」
「なら合流を最優先。前回みたいにハルシオンが急加速しても追える位置を維持して」
「了解!」
ベルトは海図へ視線を落とす。
前回、イーゼルは暴走したハルシオンを外側から止める役目を担った。あの時はハルシオンそのものが敵のように動いていたが、今回は違う。
フランは意識を失っていない。
ハルシオンにも敵意はない。
それでも何かに導かれるように静穏海域へ向かっている。
「艦長……また変なもの背負い込んで」
ベルトが小さく呟いた。
隣にいた艦員が聞き返す。
「何か?」
「何でもない。航行続行」
「了解」
その時、レーダー担当が声を上げた。
「艦長、前方に所属不明機!」
「識別は?」
「照合できません。一機……いえ、二つの反応です」
「航空機か?」
「それが……」
担当者が困惑する。
「速度が不自然です。停止と高速移動を繰り返しています」
ベルトの表情が変わった。
「映像出して」
前方監視カメラの映像が拡大される。
空には何もないように見える。
しかし。
数秒後。
イーゼルの進行方向。
遥か上空。
二人の人影が現れた。
航空機ではない。
何かに乗っているわけでもない。
人間がそのまま空中に立っている。
「……まさか」
ベルトが立ち上がる。
一人。
そしてその隣にもう一人。
戦場を遠くから眺め続けていた二人。
デウスとアメス。
二人は攻撃する様子もなく、イーゼルの進路上に静かに浮かんでいた。
「全員、攻撃禁止」
ベルトは即座に命じた。
「でも艦長、相手の正体が――」
「知っている。だから撃つな」
通信チャンネルを外部へ切り替える。
「こちら戦艦イーゼル。前方の二名、聞こえるなら応答してください」
数秒の沈黙。
やがて声が返ってきた。
『聞こえている』
男の声。
ベルトは目を細める。
「デウスですね」
『そう呼ばれている』
「何の用ですか」
『ハルシオンへ向かっている』
ベルトの警戒が強まる。
「目的は?」
『確認だ』
「何を」
デウスはすぐには答えなかった。
その隣ではアメスが静かにイーゼルを見下ろしている。
やがてデウスが口を開いた。
『第二が目覚めた』
ベルトの表情が変わった。
「……第二?」
『フラガラッハ・F・ミストルティン』
その名前を聞いた瞬間、ベルトは通信装置へ身を乗り出した。
「あなた、フラン艦長について何を知ってるんですか」
『知っていることは多くない』
「嘘に聞こえますね」
『ならば一つだけ答えよう』
デウスの声音は変わらない。
『第一継承系統が名取惣一。第二継承系統がフラガラッハ・F・ミストルティン』
ベルトは完全に黙った。
それを知っている。
能研側ですら、つい先ほど判明したばかりの情報を。
「……第三は?」
ベルトが慎重に尋ねる。
デウスは僅かに顔を上げた。
『ようやく、そこまで辿り着いたか』
返答になっていない。
「あなたなんですか?」
一瞬。
沈黙が生まれた。
ベルトはその沈黙だけでも十分に意味があると感じた。
しかし、デウスは肯定も否定もしなかった。
『ハルシオンへ行く』
「待ってください」
『止めるのか』
「場合によっては」
『それは困る』
「フラン艦長に危害を加えるなら、イーゼル全艦で止めます」
ベルトの言葉に艦橋の空気が張り詰める。
デウスは怒らなかった。
むしろ、ほんの僅かに興味を持ったようにイーゼルを見た。
『フランは良い部下を持ったな』
「部下ですから」
『そうか』
「そこ重要です」
アメスが隣で僅かに笑ったように見えた。
ベルトは続ける。
「能研へ連絡します。勝手にハルシオンへの接触はしないでください」
『構わない』
あっさりと承諾されたことで、逆にベルトは警戒を強めた。
「随分と素直ですね」
『我々も確認したいだけだ』
「第三継承系統を?」
デウスは今度こそ答えなかった。
ただ、視線を遥か先へ向けた。
ハルシオン。
そして、そのさらに先にある静穏海域へ。
◇
能研ハウスへイーゼルから通信が入ったのは、その直後だった。
「デウスとアメスが!?」
ソウヤが立ち上がる。
『はい。イーゼル前方に現れました』
ベルトからの報告を聞き、惣一は驚くより先に納得したように目を細めた。
「やはり動いたか」
「しかも第一と第二のこと知っていると?」
「ああ。これでデウスが古代の継承系統について何らかの知識を持っていることは確定した」
「第三本人かどうかは?」
『聞きましたけど答えませんでした』
タジが呆れた声を出す。
「余計怪しいじゃん」
「だが確定ではない」
惣一は冷静だった。
「直接会って確認する」
「ハルシオンへ?」
「ああ」
ソウヤもすぐ立ち上がる。
「俺も同行します!」
「私もだ」
イレイダが続く。
刹那と夢幻も当然のように惣一の後ろへ立った。
マランは一瞬迷ったが、今回は自分からは前へ出なかった。能力自律化直後の自分が、静穏海域へ再接近することの危険性を理解しているからだ。
ハルシオンへ向かえば第二継承系統についてさらに分かるかもしれない。そしてその途中には、第三継承系統の候補と見られるデウスがいる。
第一、第二、第三。
それらが何を意味するのかは、まだ誰にも分からない。ただ、古代の能力因子が現代まで一本の形で残ったわけではなく、少なくとも三つの異なる系統へ分かれて継承されている可能性は高かった。
第一は名取惣一。地下祭殿と天墜の欠片を通じ、古代から神足通に近い能力を受け継いできた系統。
第二はフラン。ハルシオン内部へ残された古代構造物と強く共鳴し、構造物そのものとの境界を極端に拡張できる系統。
そして第三は、外部構造を必要とせず、生体そのものだけで古代因子を保持する系統。
もし本当にデウスが第三なら、その能力――Conclusion the world order(世界結論)がなぜ他の能力とは明らかに異なる性質を持つのかにも、新しい説明がつくかもしれない。
だが惣一には、もう一つ気になることがあった。
「第一、第二、第三……」
小さく呟く。
ソウヤが振り返る。
「どうかしました?」
「本当に三つだけなのだろうか」
「え?」
「地下祭殿では三系統しか表示されなかった。だが、それが全てだとは誰も言っていない」
ソウヤは言葉を失った。
「……まだあるってことですか?」
「分からない」
惣一は静かに答えた。
「だからこそ調べるのだ」
長く続く物語の中で、彼らは幾度も「答え」に辿り着いたと思ってきた。
しかし能力者という存在そのものについては、扉を一つ開けるたび、その向こうにさらに広い世界が現れる。
今回も同様だった。
能力自律化の原因を追って太平洋へ向かったはずが、古代の太陽フレア、未知因子、名取家の地下祭殿、ハルシオンに残された海底構造物、そして三つの継承系統へと繋がっている。
しかも、その全容を知っている可能性のある男が、自らこちらへ近づいてきた。
惣一は窓の外へ視線を向けた。
「デウス」
戦わず、近づかず、長い間ただ世界を見ていた傍観者。
「今度は、黙って帰すつもりはない」
その頃、海上では戦艦イーゼルとデウス、アメスの距離が少しずつ縮まっていた。そしてその先を進むハルシオンでは、黒い球体が新たな表示を浮かび上がらせている。
フランはそれを読み取り、さすがに眉を寄せた。
「……ベルト」
『はい、艦長』
「急いで合流しろ」
『何か分かったんですか?』
「ああ」
フランは黒い球体に浮かぶ文章をもう一度確認した。
そこには第二継承系統の生存確認に続き、新たな状態が表示されていた。
「第三継承系統――」
フランは少し息を整えてから、その内容を読み上げた。
「接近を確認。」
ベルトの返事が止まった。
黒い球体は、まだ姿すら見えていない第三継承系統の存在を既に感知している。
その事実が意味するものは、一つしかなかった。
デウスとアメスは、偶然ハルシオンの前へ現れたのではない。
少なくとも二人のどちらか、あるいはその周囲に存在する何かが、古代から続く第三継承系統と明確に関係している。
そして戦艦ハルシオンは静穏海域へ進みながら、同時にその人物との邂逅を迎えようとしていた。
――第184話 完




