第182話「禁足の地下祭殿」
名取家の屋敷、そのさらに地下に存在する祭殿。
名取玄一からその存在を聞かされたソウヤは、嫌な予感を拭えないまま廊下を歩いていた。
先頭を進む玄一の後ろには惣一、刹那、夢幻が続き、そのさらに後ろをソウヤとタジが歩いている。つい先ほどまで古文書を囲んでいたはずなのに、状況はいつの間にか「歴代当主ですら開けることを禁じられた場所へ向かう」という、どう考えても面倒事の中心へ変わって
いた。
「なあ、タジ」
「何だよ」
「俺たち帰った方がよくない?」
「奇遇だな。俺も三分くらい前から思ってる」
「では帰るか?」
前を歩いていた惣一が振り返る。
二人は同時に黙った。
「……いや」
「ここまで来たら気になるというか」
「なら静かに歩け」
「はい」
惣一が前へ向き直ると、タジが小声でソウヤへ耳打ちする。
「絶対あの人、俺たちの会話聞いて楽しんでるぞ」
「俺も最近そう思ってる」
「聞こえている」
「怖っ!」
刹那が小さく笑った。
普段なら夢幻も何か言いそうなものだが、今日は珍しく口数が少ない。彼は廊下の壁や天井を注意深く見ながら歩いていた。
「夢幻?」
「少々気になることがありましてね」
「何だ?」
「この屋敷に長年住まわせてもらっておりますが、ここまで奥へ入ったことはありません。それ自体は不思議ではないのですが……」
夢幻は足を止めず、壁へ指先を近づける。
「妙な気配があります」
「呪いか?」
「似ていますが違います。呪詛ならば、もう少し人間の感情が残る。憎悪、執着、恐怖、怨念……そういったものが何もない。ただ、何かを遠ざけるという役割だけが残されているような感覚です」
玄一が前方から答えた。
「それこそが、初代が封印した物だと伝えられている」
「初代本人が?」
「ああ」
「では初代は、地下にある何かを他人から守ったのではなく……」
夢幻が僅かに目を細める。
「人間を、地下にあるものから遠ざけたかったのかもしれませんね」
その言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。
廊下の突き当たりに、小さな部屋があった。
玄一が中へ入る。
見たところ何もない和室だ。
「ここ?」
ソウヤが周囲を見回す。
「地下への階段なんてないけど」
「そう見えるようにしてあるのだ」
玄一は部屋の中央まで進むと、畳を二枚外した。その下から古い木板が現れ、さらに木板を取り除くと石造りの蓋が姿を現す。
中央には名取家の家紋。
その周囲を囲むように、複雑な文字が刻まれている。
タジがしゃがみ込む。
「写真撮っていいですか?」
「構わん。ただし触れるな」
「承知!」
端末を向ける。
「これ、いつ頃の文字なんだろう?」
「分からん」
「名取家の古文書と同じゃないということですか?」
「違う」
答えたのは惣一だった。
「私ですから読めない」
「名取さんでも?」
「ああ」
刹那も首を振る。
「私も見たことがありません」
「俺も無理だ」
ソウヤが言うと、タジが横を見る。
「お前は最初から戦力外だろ」
「なんで俺だけ扱い違うんだよ」
「古文書読めるの?」
「読めません」
「ほら」
「腹立つな!」
そんな二人を放置して、玄一は石蓋の中央へ手を置いた。
「ここから先は、名取家の当主あるいは次期当主がいなければ開かないと伝えられている」
「鍵?」
「そういう話では説明がつかんのだ」
玄一が惣一を見る。
「惣一、試してみなさい」
「私がか?」
「天墜の欠片に神足通が反応した。ならば、こちらも同じ可能性がある」
惣一は石蓋の前へ進み、右手を置いた。
何も起きない。
「能力を使えということか」
「恐らくな
」
惣一は僅かに意識を集中させる。
iddhi-vidha-ñāṇa(神足通)。
空間が小さく揺らいだ。
その瞬間、石蓋へ刻まれていた文字が淡く光った。
「反応した!」
タジが端末を向ける。
「能力反応あり。しかも名取さんの神足通と同じ波形が混ざってる」
「同じか?」
「完全一致でさないですが。でもかなり近い」
玄一の表情が僅かに変わった。
「やはりか」
「爺さん?」
「歴代当主の中には、この蓋を開けようとした者もいた。しかし、いずれにせよ開くことは出来なかったようだ」
「神足通を使ってもか?」
「ああ」
ソウヤが惣一を見る。
「じゃあ……」
「私だからこそ、反応した可能性があるのか」
海底で告げられた解析結果。
惣一の能力因子には、現代能力者とは異なる古い特徴が残っている。
もしそれが、この封印を開く条件なのだとしたら。
「初代に近い能力因子を持つ人間だけが開けられる権利があると?」
タジの言葉に玄一は答えなかった。
代わりに、石蓋が低い音を立てて動き始める。
長い年月、一度も開かれなかった地下への入口がゆっくりと姿を現した。
◇
石造りの階段は、想像以上に深く続いていた。
照明はない。
タジの端末と懐中電灯だけを頼りに、六人は慎重に降りていく。
「電波が死んだ」
タジが画面を見る。
「外部通信完全に圏外」
「地下だからじゃないのか?」
「それだけじゃない。能研側に用意してた独立回線も落ちた。何かに遮断されてる」
「戻るか?」
玄一が尋ねる。
タジは少し迷った後、端末をしまった。
「……行きます」
「お前、こういう時だけは勇気あるよな」
「好奇心と言ってくれ」
「それもっと危ないやつだろ」
階段を降りるにつれて空気が冷たくなっていく。
だが湿気はない。
地下深くにあるはずなのに、異様なほど乾燥している。
やがて階段が終わった。
その先には巨大な石造りの空間が広がっていた。
神社や寺院の地下とは思えない。
天井は高く、巨大な柱が等間隔に並んでいる。その表面には先ほどの石蓋と同じ未知の文字が刻まれ、中央には円形の祭壇が置かれていた。
「……何年前の建物だよ、これ」
ソウヤが呟く。
玄一は首を振る。
「名取家が建てたものではない」
「え?」
「初代がこの場所を発見した時には、既に存在していたと記録されている」
全員の足が止まった。
「ちょっと待って」
タジが玄一を見る。
「名取家の地下にあるから、名取家が作ったんじゃ?」
「逆だ」
玄一は祭殿を見渡した。
「この場所があったからこそ、初代はここへ居を構えた」
ソウヤは思わず惣一を見る。
「初耳ですか?」
「当然だ」
惣一の表情も僅かに険しくなっていた。
「私も地下祭殿の存在そのものを今日初めて知った」
刹那が柱へ近づこうとする。
しかし夢幻が腕を伸ばして止めた。
「触れない方がいい」
「何か感じますか?」
「先ほどより強い。ただし、やはり呪詛ではない」
夢幻は柱を見上げる。
「ここ全体が何かを封じているというより、隔離しているように感じます」
「隔離……」
その時だった。
惣一が立ち止まる。
「どうしました?」
ソウヤが尋ねる。
「神足通が反応している」
「また?」
「ああ。ただし天墜の欠片とは違う」
惣一は祭壇を見る。
「こちらへ行けと言っているような感覚だ」
「能力が?」
「そう感じる」
「それ大丈夫なんですか?」
「分からない」
「分からないのに行くんですか?」
「ここまで来て帰るのか?」
「名取さん、意外と好奇心強いですよね」
「否定はしない」
一行は祭壇へ向かった。
近づくにつれて、中央に何かが置かれているのが見えてくる。
最初は石碑だと思った。
だが違う。
それは人間ほどの大きさをした、黒い板状の物体だった。
表面には文字も装飾もない。
ただし中央に、一つだけ窪みが存在する。
タジが目を細めた。
「これ……」
「どうした?」
「あの窪み、何かに似てないか?」
ソウヤも見る。
数秒考えて気づいた。
「天墜の欠片?」
形が似ている。
正確には、先ほど玄一が持っていた黒い石が、その窪みに収まりそうな形をしている。
「持ってきているのか?」
惣一が玄一へ尋ねる。
「いや」
「正解だと思います」
タジが即答した。
「これ絶対、嵌めたら何か起きるやつだと」
「珍しく意見が合ったな」
ソウヤが言う。
「俺だって学習するんだよ!」
玄一は祭壇の周囲を調べた。そして呟く。
「初代の記録には、この祭壇について何も残っていない」
「初代は知らなかったのか?」
「あるいは……意図的に残さなかったか」
惣一は黒い板へ近づいた。
触れる直前で手を止める。
「……妙だ」
「何がだ?」
「ここまで来ると、神足通が静かになった」
「反応しなくなったということか?」
「違う」
惣一は適切な言葉を探すように少し考えた。
「落ち着いた、と言った方が近い」
能力が本来あるべき場所へ戻ったような感覚。
それは惣一自身にとっても初めてだった。
そして同時に、海底で解析された時の言葉を思い出す。
――能力因子接続率、極めて高値。
――一部配列に古い特徴を保持。
「田島よ」
「何ですか?」
「私の能力反応を測れ」
「了解です!」
タジが携帯型測定器を起動する。
数秒後、表情が変わった。
「……嘘だろ」
「どうした」
「安定している」
「それだけか?」
「それだけじゃない。名取さん、普段からかなり安定してるけど、今はさらに異常なくらいノイズがない」
タジは何度も数値を確認した。
「能力と身体の境界が……ほとんどズレていない」
惣一は黒い板を見つめる。
「この場所が私の神足通へ何か関与しているのだろうか?」
「可能性あります」
「悪影響は?」
「今のところ逆。能力自律化の兆候もゼロ」
ソウヤは祭殿全体を見渡した。
「じゃあ、ここって能力を安定させる場所なのか?」
「まだ断定できない」
タジは慎重だった。
「名取さんだからという可能性もありますが」
その言葉が終わった直後だった。
黒い板の表面へ、一本の光が走った。
「触れてないですよね?」
「あぁ、一切」
惣一が一歩下がる。
光は徐々に増えていき、板全体へ幾何学的な模様を形成していった。
それを見た玄一が息を呑む。
「……同じだ」
「何と?」
「天墜の欠片に刻まれている。肉眼ではほとんど見えないが、同じ紋様だ」
やがて黒い板の中央に文字のようなものが浮かび上がった。
誰にも読めない。
少なくとも、そのはずだった。
「――『継承個体』」
惣一が呟いた。
全員が彼を見る。
「読めるか?」
「……いや」
惣一自身が最も戸惑っていた。
「文字そのものは読めない。だが意味が分かる」
ソウヤの表情が固まる。
「海底の奴と同じなのでは?」
あの存在の声も、人間の言語ではないはずなのに意味だけは理解できた。
「タジ、記録しているか?」
「してる。ただ俺には文字列にしか見えない」
惣一が黒い板へ視線を戻す。
新しい文字が浮かび上がった。
「――『因子照合』」
次。
「――『原型適合率……』」
惣一が言葉を止めた。
さらに文字が現れる。
今度は長い。
惣一は少しずつ意味を読み取っていった。
「『継承系列を確認』……『長期保存による変質、許容範囲内』……」
そして、最後の一文を見た瞬間に惣一が完全に黙った。
「惣一様?」
刹那が声を掛ける。
惣一はすぐには答えない。
「何て書いてあるんですか?」
ソウヤが尋ねる。
しばらくして、惣一が口を開いた。
「――『帰還を確認』」
静寂が落ちた。
「帰還?」
「誰が?」
夢幻の問いに惣一は答えられなかった。
自分たちはここへ初めて来た。
それなのに、この場所は惣一を「戻ってきた」と認識している。
直後、祭殿全体へ淡い光が広がった。
柱に刻まれた文字が次々と発光し、長い年月沈黙していた空間が目覚めるように動き始める。床の紋様が祭壇を中心に広がり、惣一の足元へ集まっていった。
「惣一様、離れてください!」
刹那が腕を掴もうとする。
「待て」
惣一は彼女を制した。
「危険な感じはしない」
「しかし――」
「何かが起動している。今離れれば、情報を失う可能性がある」
玄一も止めなかった。
名取家が何百年、あるいはそれ以上の年月守り続けてきた場所が、初めて反応している。しかも、その中心にいるのは歴代当主ではなく、次期当主である惣一だった。
黒い板の表面が変化する。
文字が消え。
代わりに映像が現れた。
荒れ果てた大地。
今とはまったく異なる地形。
空には巨大な太陽活動による光が広がり、地表の各地から淡い粒子が立ち上っている。
「古代の太陽フレア……?」
ソウヤが呟く。
しかし映像の中心に映っていたのは空ではなかった。
地上であった。
複数の人影がいる。
古代の人間たち。
その一人が、空間の歪みの上へ立っている。
水面でも地面でもない場所へ、まるでそこに足場が存在するかのように。
惣一の表情が変わった。
「神足通……」
「初代の方ですか?」
刹那が尋ねる。
「いや」
玄一が否定した。
「名取家初代より遥かに古い」
映像の年代が正確ならば、名取家という家そのものが存在するより前だ。
それでも映像の人物は、神足通と酷似した現象を起こしている。
その人物が黒い物体へ触れる。
天墜の欠片より遥かに大きい。
次の瞬間、周囲の空間が大きく歪み、人影の身体を光が包み込んだ。
タジは息をすることすら忘れたように映像を見ていた。
「まさか……」
「どうした?」
「名取家が神足通を生み出したんじゃない」
タジは惣一を見る。
「もっと前から存在していたんだ」
惣一は何も言わなかった。
名取家は能力を生み出した家系ではない。
古代から存在していた能力の一つを、極めて純度の高い形で現代まで継承してきた家系なのかもしれない。
だから惣一の能力因子には古い特徴が残っている。
だからこの祭殿は惣一を認識した。
そして、だからこそ。
名取家初代はこの場所へ辿り着いた。
映像はさらに続く。
古代の能力者らしき人物が振り返った。
顔は光に遮られて見えない。
しかしその背後。
遥か遠方の空に、奇妙なものが映り込んでいた。
タジが映像を拡大する。
「……これ」
ソウヤが息を呑む。
太陽ではない。
雲でもない。
巨大な何かが、空に浮かんでいる。
形状は不鮮明だったが、現代の航空機とも自然現象とも思えなかった。
「観測端末を作った連中か?」
ソウヤが尋ねる。
「断定はできない」
タジが答える。
「でも……可能性はある」
そこで映像が途切れた。
黒い板に再び文字が現れる。
惣一だけが、その意味を理解する。
「何と書かれている?」
玄一が尋ねた。
惣一は表示を見つめながら、ゆっくり読み上げた。
「――『第一継承系統、生存を確認』」
続いて、新たな表示。
「――『第二継承系統……照合不能』」
さらに。
「――『第三継承系統……』」
惣一が言葉を止める。
「惣一?」
「存在している」
「何がじゃ?」
惣一は振り返った。
「名取家だけではない」
祭殿の光が、三本の線を表示していた。
そのうち一つは惣一へ繋がっている。
残る二つは、どこか別の場所へ伸びるように途中で途切れていた。
「古代の能力因子を色濃く継承している系統が、他にもある」
名取家は唯一ではなかった。
そして、その瞬間。
タジの端末が復旧した。
「通信戻った!」
大量の通知が一気に流れ込む。
「うわ、何だこれ……」
「どうした?」
タジの表情から血の気が引いた。
「能研から緊急連絡が」
「何があった」
タジは最新のメッセージを開く。
送信者は結衣だった。
内容は短い。
だが、その一文で全員の意識が地下祭殿から現実へ引き戻された。
「――ハルシオンから救援要請」
イレイダたちが向かうより先に、事態が動いた。
フランの状態が再び急変したのだ。
しかも今回は、前回とは違う。
フランだけではない。
戦艦ハルシオンそのものが、自ら進路を変更した。
乗組員の操作を一切受け付けず、フランの意思にも反応しないまま太平洋上を進み始めている。
タジが現在位置を確認し、さらに表情を強張らせた。
「行き先……嘘だろ」
「どこだ?」
ソウヤの問いに、タジは画面を向けた。
ハルシオンが向かっている方角。
それは偶然とは思えなかった。
「さっきまで俺たちがいた――」
タジは低い声で続ける。
「静穏海域だ。」
古代の能力因子を継ぐ名取家の地下で、過去の記録が目覚めたその時。
現代で最も特殊な能力者の一人であるフラガラッハ・F・ミストルティンと戦艦ハルシオンもまた、海底で目覚めた存在へ向かって動き始めていた。
惣一は祭壇の光を見つめた後、迷うことなく踵を返した。
「戻るぞ」
「でも、地下祭殿は?」
「消えはしない。こちらは後で調べられる」
惣一の声から、先ほどまでの探究心は消えていた。
「だがフランは緊急性大だ。待てない」
刹那と夢幻も異論なく後へ続き、ソウヤとタジも急いで端末を回収する。玄一だけが最後まで祭壇の前へ残り、再び沈黙し始めた黒い板を見つめていた。
「第一、第二、第三……か」
名取家以外にも存在する古代からの継承系統。
その正体は、まだ分からない。
だが玄一には一つだけ確信があった。
名取家が長年守ってきた秘密と、世界で今起きている異変は、もはや別々の問題ではない。
そして地上では、制御を失った戦艦ハルシオンが静穏海域へ向けて加速を続けていた。
その艦内で、フランは誰も触れていない操舵系統が勝手に動くのを見つめながら、自分の胸へ手を当てていた。
彼の心臓は、この身体にはない。
ハルシオンの内部にある。
だからこそ分かる。
これは艦が勝手に動いているのではない。
ハルシオンの奥深くで、自分のstructūra imperium(構造物制御)が何かに応えようとしている。
「くそッ!……またか」
フランは歯を食いしばりながら、艦内へ響く低い振動を感じ取った。
「私は、こんな命令を出してはいない……!」
それでも巨大な戦艦は止まらない。
静穏海域へ。
海底で待つ何かへ。
そしてそのさらに遠方では、もう一隻の戦艦――イーゼルもまた、ハルシオンの異常航行を捉え始めていた。
――第182話 完




