第180話「解析するもの」
太平洋の海面から伸びた淡い光は、調査船の目前で静止したまま揺らめいていた。
その先には、海底で目覚めつつある正体不明の存在がいる。世界各地で発生している能力異常は、その存在が覚醒した際に発生した副次的な共鳴であり、意図的な攻撃ではない。そして、その異常を止める方法も持っている可能性がある。
ただし、交換条件のように提示された要求は単純ではなかった。
能力者一名の「内部解析」。
何をされるのかも、どれほど危険なのかも分からない。
それでも名取惣一は、自分から名乗り出た。
「本当に行くんですか?」
ソウヤは何度目になるか分からない確認をしたが、惣一の答えは変わらなかった。
「ああ。観測端末は私を『高接続個体』と呼んだ。ならば能力因子を調べるのであれば、私を解析した方が得られる情報は多いだろう」
「だからって危険性不明の場所に行く必要あります?」
「誰かは行かなければならない」
「そういうところ、マランと似てきてません?」
「それは不本意だな」
「聞こえたら怒るぞ、あいつ」
こんな状況でも普段通りの口調を崩さない惣一を見て、ソウヤは余計に不安になった。
一方、聖舩は国連安全保障機構の隊員へ指示を出していた。彼も惣一と同行するつもりでいる。能力を持つ惣一だけを未知の存在へ預けるのではなく、非能力者の視点から解析そのものを監視するためだ。
「親父、本当に行く必要あるのかよ」
千太は甲板へ出てきた聖舩を睨んだ。
「ある」
「名取さんだけでも十分だろ」
「十分かどうかを判断する材料がない。ならば能力を持つ者と持たない者、双方が入った方が比較できる」
「また理屈かよ」
「感情だけで決めるよりはいい」
「そういうこと言ってんじゃねぇよ」
千太は苛立ったように頭を掻いた。
「さっきまで能力者の扱いがどうとか話してた人間が、自分は平気で未知の海底へ突っ込むのがおかしいって言ってんだよ」
聖舩はしばらく息子を見つめていた。
「心配しているのか?」
「してない」
「そうか」
「そこで終わるな!」
ソウヤが思わず吹き出した。
「千太、完全に心配して――」
「お前は黙れ」
「はい」
聖舩はほんの僅かに口元を緩めたが、すぐに表情を引き締めた。
「戻る努力はする。それでいいか」
「『努力はする』じゃなくて戻ってくるんだよ」
「善処する」
「悪化してる」
千太は大きく溜息を吐いた。
親子の距離はまだ遠い。それでも、以前の二人なら交わさなかったであろう会話が少しずつ増えていることに、周囲の者たちは気付いていた。
やがて惣一と聖舩が甲板の先端へ並んだ。
海面から伸びる光は二人を待っている。
聖舩が観測端末へ問いかけた。
「同行者は二名だ。問題はあるか」
『――能力因子保有個体、一。非保有個体、一。解析条件として許容』
「解析中、生命への危険は?」
『――保証不能』
「予想通りか」
聖舩は溜息を吐く。
「中止を求めた場合は?」
『――本人意思による中断要求を認識可能』
「それなら最低限は話になる」
惣一が横を見る。
「随分と信用するのだな」
「信用していない。条件を確認しているだけだ」
「なるほど」
「お前も少しは警戒しろ」
「している」
「そうは見えん」
妙な組み合わせだった。
世界でも有数の能力者である名取惣一と、能力を一切持たない国連安全保障機構 日本支部長・柊聖舩。これまでなら同じ目的で並んで行動することなど想像しにくかった二人が、今は未知の存在へ向かおうとしている。
光が足元まで伸びてくる。
惣一が一歩を踏み出した。
その足は海へ沈まなかった。光そのものが足場となり、海面の上へ道が形成されている。
「……神足通ではないんですよね?」
ソウヤが確認する。
「私ではない」
「なんか名取さんが普通に歩いてると、どっちの能力か分からなくなって」
「今は能力を使っていない。一切な」
惣一は振り返らずに答えた。
続いて聖舩も光の上へ足を乗せた。
二人が数歩進んだ瞬間、光が海中へ向かって緩やかに沈み始める。にもかかわらず海水は二人へ触れず、透明な筒状の空間が形成されていった。
「親父!」
千太が思わず一歩前へ出る。
聖舩は振り返り、短く片手を上げた。
「待っていろ」
「子供扱いすんな!」
「なら騒ぐな」
「……帰ってきたら、一発殴る」
「……好きにしろ」
二人の姿は、光とともに海面の下へ消えていった。
残されたソウヤたちは、その場所を黙って見つめていた。
「……行ってしまったな」
イレイダが腕を組む。
「名取なら、そう簡単にどうにかならないとは思うがな」
「親父もな」
千太の声はいつもより小さかった。
イレイダが横目で見る。
「そこは信用しているのだな」
「身体能力だけはな」
「素直ではないな」
「うるさい」
◇
海中へ沈んでいるはずなのに、惣一と聖舩には水圧も浮遊感もなかった。
光の通路を歩いているだけだ。
それにもかかわらず周囲の景色だけは確実に海中へ変化し、遠くには魚群や海中を漂う微細な粒子が見えている。問題は深度だった。
聖舩が携帯端末を確認する。
「深度表示が狂っている。二百、五千、一万二千……今度はマイナスか」
「距離そのものが正常ではないのだろう」
「君の神足通でも似たことはできるのか」
「条件次第ではな。ただし、ここまで大規模に空間そのものを安定させ続けるのは面倒だ」
「不可能とは言わないのか」
「言う必要があるか?」
「いや。聞いた私が悪かった」
聖舩は端末をしまった。
しばらく歩いていくと、周囲から海そのものが消えた。
いつ切り替わったのか分からない。
気付けば二人は、巨大な白い空間に立っていた。
「……ここは」
聖舩が周囲を見る。
壁も天井もあるようで、境界が見えない。床だけは存在しており、足音も返ってくる。ただし材質は金属でも石でもない。
惣一が足元へ目を向ける。
「能力反応がある」
「構造物全体にか?」
「ああ。ただし人間の能力とは少し違う」
「使えるのか、神足通は」
惣一は試すように意識を集中させた。
今度は反応があった。
わずかに周囲の空間が揺らぐ。
「使える」
「さっき海面で封じられたのにか?」
「ここではむしろ、能力との接続が普段より強い」
惣一の眉が僅かに寄る。
「強すぎるくらいだ」
「暴走の兆候は?」
「今のところない」
「少しでも異常を感じたら言え」
「医者のようなことを言うのだな」
「管理責任者として当然だ」
そこで二人の前方に光が集まり、観測端末と似た人型が形成された。
先ほど海上にいた個体とは外見が若干異なる。白い外殻に覆われ、顔にあたる部分には目のような二つの光だけが存在していた。
『――解析対象、到着』
惣一が尋ねる。
「ここは海底の存在の内部か?」
『――否定』
「では?」
『――解析領域』
「実際の場所ではなく、解析のために形成した空間ということか」
『――概ね肯定』
「便利な場所だな」
聖舩は周囲を見回した。
「では始める前に確認する。解析とは具体的に何をする」
『――能力因子構造、肉体適合率、精神接続率、遺伝継承情報を取得』
「身体を切り開く必要は?」
『――不要』
「意識喪失は?」
『――可能性あり』
「記憶への干渉は?」
人型端末が一瞬停止した。
『――能力因子と強く結合した記憶領域について、参照可能性あり』
「そこは本人の許可を取れ」
『――理由を要求』
「記憶は本人のものだ」
『――解析効率低下』
「それでもだ」
『――了解』
惣一が聖舩を見る。
「交渉に慣れているな」
「これでも組織の長だ」
「能力者に対しても、その程度に丁寧なら千太とも絶縁せずに済んだのではないか?」
聖舩が惣一を睨んだ。
「今その話をするのか」
「思っただけだ」
「余計なお世話だ」
「そうか」
惣一は涼しい顔で前を向く。
聖舩は深く息を吐いた。
「……君、意外と性格が悪いな」
「よく言われるので慣れている」
◇
『――解析開始』
人型端末の声と同時に、惣一の足元へ円形の光が広がった。
「何かあればすぐ中止を要求しろ」
聖舩が横から念を押す。
「承知している」
光が惣一の身体を下から上へ通過した。
痛みはない。
しかし、身体の内側を一枚ずつ読み取られているような奇妙な感覚がある。
光が胸元へ到達した時。
惣一の神足通が反応した。
「……」
「どうした」
「能力が引っ張られている」
「止められるか」
「ああ」
惣一は呼吸を整えた。
神足通は発動しない。
それでも光に呼応し、能力因子と呼ばれるものが身体の奥で熱を持っているように感じられる。
目の前に複数の表示が浮かび上がった。
『――能力因子接続率、現代基準値を大幅超過』
『――肉体適合率、高』
『――精神構造による抑制、低』
『――能力因子の自己認識安定性、極高』
聖舩が一つずつ確認する。
「それが名取惣一の能力自律化が比較的軽度だった理由か?」
『――可能性高』
「本人と能力の境界が安定している?」
『――肯定』
惣一は僅かに目を細めた。
「要するに、私は自分の能力を自分のものとして認識できているということか」
『――簡略化表現として妥当』
「随分当たり前の話だな」
『――現代能力者の多数は、その状態に未到達』
「なぜだ」
『――解析継続』
光が惣一の頭部へ到達する。
その瞬間。
景色が変わった。
名取家。
幼少期の鍛錬。
玄一。
刹那。
夢幻。
能力を初めて自覚した日。
壁を歩き、水面へ立ち、空へ浮かんだ記憶。
それらが断片的に空間へ浮かび上がる。
「止めろ」
聖舩が即座に言った。
『――能力因子関連記憶を参照中』
「本人の許可を取る条件であるはずだ」
『――確認要求』
惣一は数秒だけ記憶の断片を見つめた。
「構わない」
「名取」
「ここまで来た以上、必要な情報は渡す。ただし関係のない記憶へ触れれば中止する」
『――了解』
解析が続く。
そして。
突然、全ての表示が止まった。
『――異常』
初めて、人型端末の声に明確な変化が現れた。
「何だ」
『――解析結果に矛盾』
聖舩の表情が鋭くなる。
「具体的に言え」
『――当該個体の能力因子。現代能力者群の標準構造と一致せず』
惣一も人型端末を見る。
「私だけ違うとでもいうのか?」
『――完全な別種ではない。ただし、能力因子の一部配列に古い特徴を保持』
「古い特徴……」
『――比較対象を検索』
空間に膨大な文字列のような光が流れる。
その速度は、人間の目では追えない。
やがて、一つだけ表示が停止した。
『――一致候補あり』
「何と一致した」
端末はすぐには答えなかった。
代わりに、白い空間の一部へ映像が浮かび上がる。
荒れ狂う太陽。
巨大な紅炎。
宇宙空間へ噴き上がる高エネルギー粒子。
そして。
地球。
「古代の太陽フレア……」
聖舩が呟く。
『――能力因子起源事象記録』
惣一は黙って映像を見る。
これまでGENESISやオールドマンの研究から知ったものとは違う。
推測でも再現映像でもない。
まるで、その時代を直接観測した記録のようだった。
「これは実際の記録か」
『――肯定』
聖舩が即座に問いかける。
「誰が観測した」
端末が停止する。
『――記録作成主体、破損』
「海底の存在か?」
『――否定』
「観測端末を作った存在?」
『――回答不能』
まただ。
ここへ来てもなお、最も重要な部分だけが欠けている。
しかし映像は続いた。
古代の太陽フレアによって放出された粒子が地球へ到達する。その後、人間の身体へ直接何かが入り込むような描写はない。
代わりに。
地球の大気圏。海。地中。
複数の場所へ、粒子と似た光が広がっていく。
「待て」
聖舩が映像を凝視する。
「能力因子は太陽フレアの粒子が直接人間へ作用したのではないのか?」
『――不正確』
二人の表情が変わる。
『――太陽由来高エネルギー現象は起点』
「起点?」
『――地球環境内に存在していた未知因子群との反応によって、後世の能力因子原型が形成』
惣一が静かに尋ねる。
「つまり太陽フレアだけでは、能力は生まれなかったということか?」
『――肯定』
これは、これまでの設定を否定するものではない。
能力発生の原因が古代の太陽フレアであることに変わりはない。
ただ、その仕組みが一段深かった。
太陽フレアによって地球へ到達した高エネルギー現象が引き金となり、もともと地球環境に存在していた何かと反応した。その結果、人類へ受け継がれる能力因子の原型が形成された。
「では海底にいる存在は、その『未知因子』と関係しているのか?」
聖舩の質問に。
人型端末は長く沈黙した。
『――可能性』
「確定ではないのか?」
『――記録不足』
惣一が映像を見つめたまま口を開く。
「なるほど。これで古代の太陽フレアと十四年前の現象が別である理由も説明できる」
聖舩が振り向く。
「続けろ」
「古代の太陽フレアは、未知因子と反応して能力因子そのものを生み出した起源だ。しかし十四年前は、既に能力因子が存在する世界で再び太陽活動が起き、海底の存在へ刺激を与えたに過ぎない」
『――概ね肯定』
「そして現在は太陽活動が直接の原因ではない。海底の存在が覚醒し、その副作用として能力因子へ共鳴が起きている」
『――肯定』
聖舩は腕を組んだ。
「ようやく整理できたな」
能力者誕生の原因は、古代の太陽フレア。
十四年前の現象は、その起源を再現したものではない。太陽活動が海底に眠る存在をわずかに刺激しただけ。
そして現在の能力自律化は、目覚め始めた海底存在と世界中の能力因子が共鳴したことで起きている。
三つは繋がっている。
だが、同じ現象ではない。
惣一の解析結果が、その区別を初めて明確な形で示した。
◇
その頃、調査船ではソウヤたちが二人からの通信を待ち続けていた。
直接通信は繋がらない。位置情報も取得できない。ただ、海底から伸びた光だけは消えずに残っている。
「何分経った?」
千太が尋ねる。
「こっちの時計じゃ二十二分」
イレイダが答える。
「向こうも同じ時間だといいけど」
「嫌なこと言うなよ」
十四年前の航空調査では、現場の三分が外部の二時間四十一分に相当した例がある。
「明日とかになって戻ってきたらどうする?」
ソウヤが言う。
「黙れ」
「千太、お前さっきから俺に厳しくないか?」
「親父が海底に行ってる時に変な想像させんな」
「やっぱ心配してる」
「……殴るぞ」
その時。
タジが通信越しに割り込んだ。
『お前ら、ちょっと静かに!』
「何かあったのか?」
『海底側の能力反応に変化』
全員が海を見る。
『名取さんの神足通に似た反応が一瞬だけ出た。でも、それだけじゃない』
「じゃあ何?」
『古いデータと照合してる』
キーボードを叩く音。
数秒後。
『……マジか』
「タジ?」
『GENESISで回収したオールドマンの研究に、似た波形が残ってる』
ソウヤの表情が変わる。
「オールドマン?」
『でも本人の能力反応じゃない。あいつが研究してた能力因子のサンプルデータ』
「それが今の海底と同じ?」
『完全一致じゃない。でも近い。かなり』
イレイダが腕を組む。
「つまりオールドマンも、この海底の存在に関係する何かを研究してた可能性があるということか?」
『可能性はある。でもまだ断定しない』
「今日は慎重だな」
『お前らが設定矛盾起こすなってうるさいからだよ!』
「誰に言ってんだ?」
「さあ」
ソウヤと千太が顔を見合わせる。
その瞬間。
海面の光が大きく揺らいだ。
「来た!」
千太が甲板へ出る。
光の中から二つの人影がゆっくりと浮かび上がってくる。
「名取さん!」
「親父!」
惣一と聖舩だった。
二人とも歩いて戻ってくる。
怪我は見当たらない。
ただ。
惣一だけが、どこか妙な表情をしていた。
「惣一様」
刹那がすぐに駆け寄る。
「ご無事ですか」
「ああ」
「何をされた?」
イレイダが尋ねる。
「解析だ」
「それだけか?」
「それだけではない」
惣一はソウヤたちを見る。
「能力因子について、いくつか分かったことがある」
聖舩も甲板へ上がり、千太の前で足を止める。
「ただいま」
千太が少し固まる。
「……急に普通の父親みたいなこと言うなよ」
「戻れと言ったのはお前であろう」
「そうだけど」
「なら帰還した」
「……そうかよ」
千太は視線を逸らす。
「まあ、生きててよかったんじゃね」
「素直に安心したと言えないのか」
「言えるか!」
聖舩は僅かに笑った。
その後方。
惣一が自分の右手を見る。
「それと。」
「まだ何かあるんですか?」
ソウヤが尋ねる。
「ああ」
惣一は静かに答えた。
「私の能力因子には。」
「現在の能力者とは違う特徴が残っているらしい。」
千太の表情が変わる。
「それって。」
「どういうことですか?」
「まだ分からない。」
惣一は海底を見る。
「だが。名取家に伝わる能力が我々が思っていた以上に、古い時代の能力因子へ近い可能性がある。」
ソウヤは息を呑んだ。
名取惣一。
歴代随一と呼ばれる名取家の次期当主。
その異常なまでの神足通の完成度。
それが、ただ本人が強いからだけではないとしたら。
新しい疑問が生まれる。
「だったら名取家って。」
「何者なんですか。」
ソウヤの問いに惣一は、静かに首を振った。
「それをこれから調べる。」
海底の存在は、能力自律化を止められると言った。
そして。
古代の太陽フレアについて、能力因子の起源について、まだ多くの記録を持っている。
しかし、今回得られた情報だけでも今までの能力者の歴史に大きな空白が存在することがはっきりした。
太陽フレアから現代の能力者までのその間に何があったのか。
そして、なぜ名取家の能力因子だけが古い特徴を今も残しているのか。
その謎が、新たな物語の入口として静かに彼らの前へ姿を現していた。
――第180話 完




